第四十九話 俺を誰だと思ってる
「は………」
突如頭に舞い降りた言葉は、瞬時に理解できるものではなかった。
初めて名前を呼ばれ、借金を立て替える約束までされ、その条件が────あの子を、シャドウから、救う?
「ど、どういうこと………?」
「言葉の通りだ。お嬢様には、シャドウが取り憑いている」
「なっ…………で、でも、だったら、あの時の俺の歌で、あの子のシャドウも反応したはずじゃ………!」
そもそもあの子は、最初に会った時から、邪気なる表情やオーラは微塵も感じなかったはずだ。
素直で、正直で、ヒマワリが咲くような元気いっぱいで明るい笑顔の女の子。
そんな子が、悪霊に憑依されているなど容易に信じられるものではない。
だけど凛は、眉根を寄せて言い張った。
「もう…………融合してしまっているんだ」
「ゆう、ごう?」
「シャドウが生者の肉体に取り憑く第一段階が、憑依だ。心の影に潜み、肉体の半割を乗っ取る。その段階では、シャドウは完全なる器を手にしていない。祓魔の儀式をすれば、不安定な青瘴気は肉体から分離できる」
「じゃあ………第二段階っていうのは………」
「融合だ。生者の心と肉体の百パーセントを占領し、完全なる器を手にしたヤツらの野望そのもの。そこまで堕ちるとなると、祓魔師の詠唱も、生者と一体化したシャドウに効き目はない。無論、聖水も、聖魔力も、取り憑いた対象が人間であれば、人の免疫をそのまま利用して無効化とする」
「そんな………それじゃまるで! 救いようが……な………」
その言葉を言い切ってしまうのも怖くて、アイスケの声帯は弱々しく萎縮した。
だけど凛は、それが正論だと言うように重く頷いた。
「気付いたのは、一ヶ月前………まだ町外れの別荘にいた頃だ………お嬢様と、剣術の訓練の手合わせをしていた時、お嬢様は突然嘔吐された。その日は食欲がないとおっしゃって、朝食も召し上がっていらっしゃらなかった。私はすぐに医者に診せようとしたが、お嬢様は頑なに拒否され………その時、お嬢様の吐息から、青い、靄が………」
「!」
「勇者のお子であるひまりお嬢様が、シャドウに憑依されたことが世間に知られたら、全世界の騎士たちも黙ってはいない…………何より、純真なお嬢様が好奇の目に晒されるのが、私にとって耐えられないっ! お嬢様はお優しい心の持ち主なのに…………その心に闇があるなどと何も知らないヤツらに好き勝手に罵倒されるのが………お嬢様がこれ以上傷つけられるのが…………私はッ! 許せないッ!!」
その声は、怒りと苛立ちを掻き混ぜたように怒張していた。
一方で彼女の瞳は、底知れぬ恐怖の光に揺らめいていた。
「だから私は………貴様の兄と同じ、表の状態を狙って、祓おうとした」
「聖水を?」
「いや、月詠だ。聖魔法にしても、煌一族のお嬢様ご自身には、光に対して免疫があると踏んでな」
「…………シャドウに効果は全くなかったの?」
「魔法の手本として、訓練の際にお嬢様の近くで光を放った……………だが、お嬢様の満月眼は、それを反射した」
「えっ…………! ひまりちゃんに、そんな力があるのか!?」
確か、彼女は自分と同様、魔力のコントロールが不得意だったはずだ。
ヘルハウンドとケルベロスの戦いの際にも、満月眼は使えるのも少量と言っていた。現に、一回切りで魔力を使い果たしてしまったのだ。
「私も、最初は不思議でたまらなかった。お嬢様の眼力は未発達で未熟だ。もしかして、お嬢様が魔法使いとしての才能を開花させたのかもしれない…………そんな期待もあったが………違った。お嬢様はその時、無意識で反射されたのだ」
「え………?」
「シャドウが、させたんだ」
「なっ………!」
「もう、遅かった………シャドウとの、融合が始まっていたんだ。シャドウは、お嬢様の能力までも意のままに利用するようになった………」
凛は震える手で大太刀を握りしめた。
「一刻を争う事態に、私はお嬢様を神樹ヶ咲に連れて、あの神の手を持つ者に極秘で診てもらった。あいつはいのり様………お嬢様のお母様の師でもあるから、信頼は厚い………だが、何度検査しても、お嬢様の魔力にシャドウの影は見られなかった」
「何で………?」
「推測できるのは…………シャドウが、お嬢様の魔力に適合し、青瘴気すら消しても融合を許されているということだ」
「ん? どういう意味?」
「貴様ら悪魔も、瘴気を出すだろう。だが、それを収まる時は、どんな状況を表す?」
うーん、と、アイスケは首を捻った。
「瘴気が出ないのは………リラックスしてる時とか………まぁ、敵意はゼロって時、かな」
「そうだ。お嬢様に取り憑いたシャドウも、お嬢様に脅威を与えていない」
「!」
「脅威を与えずとも、お嬢様と合一している。その真意は分からないが…………姑息な手を使って、お嬢様の心につけこんだのだろう。お嬢様の体を………まるで我が物ヅラで弄んでやがる………!」
カタカタと彼女の溢れ出る怒りが震えとなって、武器と共に揺れ動いていた。
「でも一番憎いのは………私自身だ………」
凛が、うつむきながらポツリと呟く。
「ずっとお嬢様のお傍にいながら…………お嬢様の異変に気付けなかった! 気付いた時にはもう遅かった! 何の力にもなれなかった! 私が………私がもっと注意を払っていれば………お嬢様はっ…………こんなことには………!」
凛の噛み締めていた唇から、悔根の呻きが零れる。
痛くて、痛くて、たまらない痛みを堪えるような、呻き声。
この人は、単なる鬼じゃない。
か弱い女性でもない。
主の少女を想い続ける、一途な従者だと、そう思えた。
「伏見は………こんな前例のない患者の対処は、分かりかねると、悔しげに零していた。そんな時だ………お前の歌を聴いたのは」
凛はしげしげとこちらを見つめた。
「お前の歌で、言葉で、あの少年は救われた。悪魔のお前が、人に光を照らしたように見えた。その時、思ったんだ。お前の声なら、お嬢様の心の影に届くのではないかと」
凛は縋るような目でこちらを見つめた。
「勝手なことを言っているのは分かっている! どうあがいても、お前と私は対立関係であることも。だが………だがっ! 私はっ! お嬢様をっ!」
「凛さん、俺を誰だと思ってるの?」
へ? と凛が顔を上げた先のアイスケは、悪魔でありながら、聖人のような柔らかい笑みを浮かべている。
凛は口を開けたまま、その笑顔に視線を縫った。
「言ったでしょ? ファミリーズは、人間とか、悪魔とかでもなく、困っている人の味方だって」
にっしっし〜、とアイスケは息を漏らして笑う。
「対立関係とか、そんな概念で縛られるなら、俺はそれをぶっ壊してでも、あの子の方へ行くよ」
「…………!」
「周りが何と言おうと、関係ないよ。あの子が困っているなら、苦しんでいるなら………それを言葉にできなくても、凛さんが助けてって代わりに言ってくれるなら、その言葉を聞いたなら…………俺は絶対にあの子を救ってみせる!!」
闇を突き抜ける稲妻の如く叫びに、凛の目が咲くように見開いた。
彼女の瞳に映る少年は、鬼の眼光をも貫く、初めて出会ったあの時よりも強く燃え盛る火矢のようだった。
その火が燃え移ったかのように、凛の瞳に熱い光が宿った。
そうだ。その少年は、悪魔や人間を名乗る前に、どんな戦場も駆け抜ける恐れ知らずのヒーローであったのだ、と。そんな当たり前のことを、思い出させるように。
「………………あり、がとう………アイスケ………」
凛は、小さく頷いた。
彼女がずっと抱えていた大切な誇りを、今、一人の少年に託されたのだ。
「あのさ………凛さん、この依頼を受けることで、一つ気になることがあるんだけど………」
「何だ?」
「ひまりちゃんの、負の感情って、なに?」
「あ…………」
シャドウは、自分と同じ負の感情を持つ生者に取り憑くとラムは言っていた。
だからこそ、その発端を突き止めないと、この依頼には踏めない。
凛は、切なげに視線を落としながら言った。
「私の予想が正しければ…………おそらく………お嬢様は…………」




