第四十五話 伏見の厄日
神樹ヶ咲総合病院にて、梶山親子とアイスケの検査結果は一点の陰りもなく異常なし。
伏見の応急の処置もあってか、母親の体内は一ミリの瘴気も残っておらず、魔障による神経の損傷も見られなかった。
アイスケに関しては、悪魔の治癒力からか疲労感も綺麗さっぱり消えて、健康そのもの。
息子の純は、栄養失調を伴い点滴を必要としたが、幸いにも、シャドウの憑依を受けた後遺症は見られなかった。そもそもシャドウは、取り憑いた生者の肉体を我が物にする目的があるので、己の器にもなる体を傷つける真似はしない。だが、稀に青瘴気が暴発して、生者の体内に魔障がつく恐れもある。
それも兼ねて、魔障科の医師でもある伏見の独断で検査が行われ、今、その検査表を見て彼も一息ついた頃だ。
「一番生力抜かれたのは他ならぬボクかもね…………本当にこの町は心臓に悪い………」
缶コーヒーを一口飲んでは、陰鬱な愚痴がこぼれた。
「伏見さん、お願いがあるんですけど………」
丸椅子から立ち上がって、ラムが言った。
「はいはい………分かってるよ。騎士団にはボクが適当にぼかして報告しておくから………」
「ありがとうございます」
「ボクだって不本意に騎士を名乗る前に医者だ。だからこそ患者のプライバシーを守る義務を優先するんでね………」
「その患者の中に、アイスケも含んでおいてもらえます?」
ピクっと伏見の眉が吊り上がる。
缶コーヒーをテーブルの上に置いて、ラムの方へ向き直った。
「キミの怪しげな研究と、あの子がどう関係しているのかはさっぱりだけど…………今日のアレは、キミの毒でも飲まない限り忘れられる光景じゃないよ………」
「じゃあブスッといきますね」
「冗談にもならないからやめて………」
平然と注射器を突き付けたラムに、伏見はげんなりとした。
四つ子は院内の休憩スペースで待たせており、この鍵がかかった診察室は人知れない二人だけの空間。決して穏やかではない重い空気が流れていた。
「……………母親が関係してるのかな?」
伏見の言葉に、ラムは押し黙った。
「悪魔の力とは思えない………それにあの子の母親は、確か………」
「伏見さん、他所の家庭の詮索はやめて下さい。不愉快なんで」
「詮索って…………そんな嫌味ったらしく言わなくてもねぇ………」
伏見は小さくため息をつくが、ラムは颯爽と背を向けた。
「あの子の歌に関しては俺もまだ研究途中なんです。シャドウの弱点になることは分かっても、あのメカニズムは解明できていない………」
ラムは顔だけ振り返って、言い放った。
「あなたもご存知の通り、この世界には欲にまみれた腐った研究者がごまんといる。煌転生計画の時みたく、子供の命をモルモットとしか見ていないクズどもがね。そんなヤツらに弟の体が弄られるなんてことになったら、そいつら皆殺しにしても俺の怒りは収まりませんから」
脅しとも言える、宣戦布告。
伏見は込み上げてきた唾液を缶コーヒーで流し込んだ。
そして、ラムが扉に手をかけた時。
「キミ、意外とお父さんに似てるところもあるんだね………」
ぴく、とラムの指先が反応する。
「あの暴れん坊魔王も、家族への愛情は異常なまでに強かったってね………まぁ、それを言うならキミたち兄弟はみんな………」
ブシュッ!! と伏見の頭上に注射針が突き刺ささり、ジュワァ、と髪の毛が数本溶け崩れた。
息も凍って見上げた先には、赤黒い目を剥いた悪魔が、獣の唸り声の如く荒い吐息を漏らしていた。
「伏見さん。今回の件に関してはあなたには感謝しています。でも………」
悪魔が耳元で囁く。
「二度とあのゴミクズ野郎と俺を一緒にするな。反吐が出る」
その殺気にギラつく目と、地獄の底から這い上がるような低い声は、飄然とした笑顔の仮面がすべて剥ぎ取られた、彼の本性がチラつかせた瞬間だった。
伏見はひっく、としゃっくりを上げる。
ラムはそれ以上は何も言わずに、注射器を壁から引っこ抜くと、白衣を翻しながら部屋から立ち去った。
ずるずると壁をもたれながらずり落ちて、呆然と床に転がる伏見は、ぼそりとか細い声で呟いた。
「本当に………今日は厄日だよ………」




