第四十四話 ここから
「じゅ、ん………?」
横たわっていた梶山さんの目が薄く開いて、初めに発したのは息子の名前だった。
ゆらりと顔を上げ、重たい腰を強引に捻って起き上がる。
「純!!」
「ちょっと、いきなり動くのは………」
息子の姿が目に飛び込むと、梶山さんは伏見の制止も聞かずに走り出した。
「純!!」
「お母さん!!」
梶山さんは、再び純くんを抱きしめた。あの青瘴気の時と変わらぬように、愛おしくて、愛おしくて、たまらないというように力を込めて、純くんも痛いよ、と苦笑を漏らすほどで。きっと、彼女にとっては、どんな姿の純くんでも息子であることは何一つ変わらない、揺るぎない母の愛を器に持っているのだろう。
「純くんに取り憑いていた悪魔を抜き出しました。もう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます! ありがとうございます! ああ………よかった」
「ありがとう…………アイスケくん」
親子揃ってのお礼の言葉に、アイスケはにっこりと微笑み返した。
息子は、憂色を浮かべて母の顔を覗いた。
「お母さん………ごめんなさい。僕、ずっとお母さんの話を聞かなくて」
「純………」
「僕、お母さんに合わせる顔がなかったんだ。だって、僕のせいで、お母さんはいっぱい働いて入院までしたのに………それなのに、僕は学校に行かなくなって、部屋に閉じこもるようになって、お母さんに、何も返せなくて………それどころか、迷惑ばっかりかけて! だから、僕は僕が情けなくてっ………!」
「純」
こつん、と母は息子と額を合わせる。
「僕のせい、なんて言わないで。何かを返そうとなんて、思わないで」
「えっ…………」
「母親っていうのはね、子供に何かしてあげたくてたまらない生き物なの。だから今までも、今日も、これからも、全部お母さんが好きでしてることなのよ」
「好き、で………?」
「そうよ。お母さんの好きにさせてよ。純を笑顔にさせてよ! 純を幸せにさせてよ! お母さんがしたいの! それがお母さんの幸せなんだから!」
母の海のように輝く瞳を見て、息子はふぇ、と目尻に込み上げてきたものを慌てて拭った。
母はクスクスと笑う。
「あれ、泣かないの?」
「も、もう泣かないっ! お母さんも子供扱いにしないで!」
「はいはい」
「はいは一回!」
息子にどやされながらも、母は嬉しさ満面に笑った。
そんな母の笑顔を見て、息子は頬を赤く染めてはにかんだ。
「お母さん、ありがとう」
母は目を全開にして見開く。
「あの、さ………お父さんが帰ってきたら、三人で、昔よく行ってた遊園地に、行きたいな………えへへ」
その笑顔は、あの幼き頃と重なった。
体が成長しても、心まで背伸びし始めても、どれだけの悲劇を繰り返しても、純はあの頃と変わらない、幸せ満開に笑う息子だった。
「………うん! お母さんも、おんなじこと考えてた!」
だから母も、あの時と同じように笑えた。これ以上は何もいらないと思えた。
この幸せを一緒に握りしめて、もう一度。
ここから、進もう。陽の当たる道へ。
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