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第四十三話 するべきことは

「アイスケ、アイスケー、おーい、アイちゃ〜ん」


 吊り下げられた人形と化したようにぶらんと脱力するアイスケの肩を、ラムは何度も呼びかけて揺すった。


「もう終わったよ〜、アーイスーケく〜ん!」


「……………んぁ?」


 夢から覚めたようにうっすらと目を開いて、虚な目で周囲を見渡した。


「お前は歌うと周りが見えなくなっちゃうねぇ。まぁそれも才能なんだろうけど」


「………ふぇ?」


「でもお手柄だったよ、おかげて研究も終盤を迎えそうだ」


 ラムの右手には青い靄がかかった試験管、そして、左手には、蠢くビーズが閉じ込められた水晶のキューブ。


 凛がその左手を訝しげに見た。


「青瘴気のサンプルは理解できるが………なぜ記憶晶メモリーピースまで?」


 音、匂い、景色、五感から受け取るすべての記憶を埋めた記憶晶メモリーピースは、高価な魔具まぐの一種である。


「いやぁ、愛弟の活躍ぶりを瞼に焼き付けるだけじゃ足りないんでね〜」


 へらぁ、と締まりのない顔に、凛はむ、と目を尖らせる。


「ラム兄ちゃん………」


「ん〜?」


「おわっ、たの?」


「依頼はね。無事達成だよ、リーダー」


「…………ハッ! 純くんは!?」


 ん、と少年が唸る声。


 その声はあどけなく、もう野太さはない。


 振り向くと、そこにはくすみない健康な肉の肌色を取り戻した純くんが、よろめきながら立ち上がる姿が。


「純くん!!」


 アイスケは真っ先に駆け寄った。


 瘴気がない。少し怠そうな表情だが、白い肌には傷も魔障もない。憑依が完全に解けたのだ。

 恥ずかしながら、意識が異次元にぶっ飛んで記憶はないのだが、確かに自分の歌が影響したらしい。


「純くん! 大丈夫? 痛いとことか、ない?」


「ぼく、は………」


「?」


「ぼく、は、どうしたらいいんだ………」


 その震える声は、まるで迷子になった子供のようだった。


「みんなに迷惑かけて、お母さんまで傷つけて………こんなに弱い僕は………どうすれば………」


 その泣き出しそうな瞳は、暗闇に蹲る一人ぼっちの小さな小さな子供のようで。


「純くん」


 だから、アイスケは手を伸ばす。


「きみは、幸せになるんだ」


 この手を伸ばして、きみの迷子になった手を握って、陽の当たる道へゆっくりと引いてやるんだ、と。


「辛いなら、学校なんて行かなくていい。嫌なことは、無理にしなくていい。周りの目も、気にしなくていい。そんなことよりも、きみは幸せにならなくちゃ!」


「そんなこと………? ぼ、僕がっ! 学校のことで、周りのことで、どれだけ悩んだか! どれだけ苦しんだか! それを、そんなことだなんてっ………!」


「そうだよ。だってきみは、そんなことをして、どんどん不幸になろうとしているから」


「っ!」


「正直、俺はきみの痛みが分かるだなんて簡単には言えない。言っちゃいけない。きみは俺の想像を超えるくらい、俺の経験よりもずっと、ずっと、とっても辛くて苦しかったと思う」


「俺の、経験………?」


「気にしないで」


 アイスケは苦笑する。

 純くんの冷たい指先を、震える手を、今度は自分が救う番なのだから。


「純くん、いじめられたきみは何にも悪くない。そう、悪くないんだ。だからこそきみは苦しんだ分、幸せにならなくちゃいけない。そうじゃないと、その重くて痛い足じゃどこへも進めないよ」


「どう、すれば………?」


「捨てなくちゃ。ずっと抱えていたその忌々しい不幸を」


「…………逃げても、いいの?」


「うん。何度だって言うよ。逃げることは、弱さじゃない。恥ずかしくもない。だってきみの逃げは、きみが幸せへの道を開く鍵になるんだから。むしろ勇気ある立派な行動だよ」


「勇気………」


「そうだ。きみの胸にはもう、勇気が芽生えている」


 もう片方の手で、純くんの胸をとん、と軽く当てた。


「不幸を捨てたら、きみは思うがままに、進むことができる。新しい学校に行ってもいいし、行かなくたっていい。勉強するのにもいくらだって道がある」


「僕の、道………」


「そう。きみだけの道だ! 遊びたいなら、思う存分遊べばいい。泣きたいなら、声が枯れるまで泣いていい。笑いたいなら、馬鹿みたいに笑っていい。叫びたいなら、大声で叫んでいい。走りたいなら、好きな道を走っていい。疲れたなら、いくらでも休んでいい」


 物語るうちに、純くんの目に子供らしい輝きが生まれた。


「きみは自由だ」


 アイスケは、その眩しい瞳に語りかける。


「それは、とーっても幸せなことなんだよ」


 アイスケは、その潤んだ瞳に語りかける。


「大きな幸せを感じた時、きっと夢や憧れが強くなるよ。やりたいって、頑張りたいって思えるようになる。努力するのは、その時でいいんだ」


 温もりを取り戻した手をそっと離して、アイスケは雄々しく握り拳を突き付けた。


「その時になるまで、まずは純くん、幸せになろう! たくさんたくさん、幸せになろう! 誰にも負けないくらい、最強な幸せ者になってやろうぜ!」

 

 なぜだろう。

 笑顔が見たいはずなのに、純くんは泣いていた。


 でも、顔をくちゃくちゃに歪めて、大粒の涙を流す彼の顔に、初めて梶山 純という偽りのない心が見えた。強がって隠していた負の感情をすべて涙と共に曝け出した、真っ正直でありのままの少年の姿だ。


「純くん………お願いがあるんだけど」


 アイスケはむず痒そうに顎をかいて、言った。



「俺の、友達になってよ」



「とも、だち………?」


 純くんはおぼつかない口調で反復した。


「それでさ、勉強教えてくれたら嬉しいかなーって。いや〜俺数学が破滅的で割り算も危ういというか家族に教わっても結局ダラダラして寝オチするし…………純くんみたいな子と友達になれたらな〜、とか…………」


 実を言えばかけ算も危うかったりする。


 おそるおそる視線を向けてみると、



 純くんは、笑った。



 涙を流しながら、ひっく、と嗚咽を漏らしながら、濡れた目が垂れて、窄んだ唇が解けて、おかしそうに笑っていた。


「うん。いいよ」


 母親にそっくりだな、と思ったけれど、その笑顔はちょっぴり生意気にも見えて、


「へへ、僕、勉強には厳しいからねっ!」


 最高にハッピーエンドの景色に、やっと、辿り着いたんだ。

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