第四十一話 小さな狂詩曲《ラプソディー》
ほぇ? と腑抜けた声が出た。
振り向くと、ラムはにこりと口を緩ませて、まっすぐとこちらを見ている。
ラムだけではない。その場に佇む全員が、アイスケに釘付けだった。
突如スポットライトを当てられた主役のような立ち位置に、ふぇ? とアイスケはさらに素っ頓狂な声が漏れた。
「アイスケ、歌ってごらん」
「え………?」
呆然と、首を傾げる。
「何で、今………?」
「いいから。お兄ちゃんを信じて」
「ど、どんな風にすれば………?」
「どんな風でも。お前の好きなように歌えばいいよ」
「好きなようにって………」
「そうだな………アイスケが最初に作ったあの曲、小さな狂詩曲、だっけ?」
「アレは幼稚園児の頃に作ったただのお遊戯だよ……….」
「大丈夫」
兄は何を根拠に余裕をかましているのか分からないが、どうやら意地でも歌わないと、この異様な空気の場を凌げないようだ。
アイスケは胸に手を当て、深呼吸する。
目を閉じて、暗い無の空間で集中力を研ぎ澄ました。
小さな狂詩曲。
幼稚園児の時に、ふと思いついた。
悪魔と人が、助け合えるような、結び合えるような、そんな歌があったら素敵だなって。
気付いたらメロディーを口ずさんでいて、思うがままに歌詞を入れて、遊興にふけるように、完成させた。
家でも、幼稚園でも、散歩道でも歌った。
ついでと言って、気に入ったダンスも付け足して。
ある日何気なく、ミュージカルスクールで披露した。
童謡を歌うようないつもの軽いノリだったが、隣の子供も、目の前の講師も、目を丸くして口をあんぐりと開いて、やがて大きな拍手に包まれた。あの瞬間が、まるで本物の舞台に立っているようで嬉しかった。一瞬だけでも、スターになれたような──
悪魔がスターになれるわけがない!
あれは、人殺しの子だ!
悪魔は出て行け!
呪いの言葉が蘇って、びくりとアイスケは戦慄が走った。
手が冷たい。震えている。
(鎮まれ。鎮まれ。鎮まれ)
あの時と同じだ。
あの時と同じ、逃げ切れなかった恐怖だ。
(鎮まれ。鎮まれ。鎮まれ。鎮まれ。鎮まれ。鎮ま、れ………?)
とん、と、四つの手が背中を軽く押した。
四つ子の三人と、ラムの、四人の兄姉だった。
皆、溶けるような笑みを浮かべ、温かみのある眼差しを向けている。
「大丈夫。アイちゃんの歌は、最高に素敵だよ。何せ未来のスターなんだから」
ぽん、ぽん、と赤子の背中を軽く叩くようして、ユウキの手はアイスケの冷えた身体に優しい熱を与えた。
手の震えが、収まった。
そうだ。
あの時も、そうだった。
あの逃げ切れない恐怖に襲われた時、声が枯れるまで泣きじゃくった時、ボロボロの涙を拭ってくれたは、家族だった。地獄の底から手を引いて救い出してくれたのは、かけがえのない家族だった。
だから自分は、立ち上がって、再び走り出すことができた。
道は変わっても、あの頃以上のとびっきりの笑顔で、歌って、踊って、ふざけるように役になりきって、予想もできない将来よりも、鮮明に見える今を生きることができたんだ。
「…………うん、ありがとう」
だから今度は、自分の番だ。
すっ、と息を吸い込む。
「歌おう 歌おう 歌おう 時忘れて
繋ごう 繋ごう 繋ごう この歌声」
天まで伸びるほど高らかで、澄み渡る水面のように透明感のある声が響いた。
高いけれど、腹の底から力を込み上げる少年らしい凄みも感じさせる。
「踊ろう 踊ろう 踊ろう 手を繋いで」
両手を上へと上げて舞い上がり、髪を振り立てて旋回する。ピンク色の花吹雪を連想させるような、華麗で軽やかな舞姿。
「みんな 巡り会えた奇跡にキスをして」
うひっ、と青い少年が一際強い嗚咽を漏らした。
「きみと ぼくは 涙拭いあって
痛み 愛も すべて分かち合える」
少年──いや、シャドウから、凄惨な呻き声が飛び出る。
周囲は身構えた。
だけどアイスケは、まるで別世界で謳歌するように、目を爛々とさせて、踊り、歌い続けた。
「さぁ 歌おう
ラララン ラララン ララランランランランランランラン」
喉も張り裂けんばかりの、シャドウの叫喚と、潤いに満ちたアイスケの歌声が、奇妙なリンクを繰り広げた。
「ラララン ラララン ララランランランランランランラン」
少年の脳天から、ツノが突き出て、青白い顔が這い上がり、そのキバが剥いた口から苦痛も混じった罵詈雑言の叫びが飛ぶ。
それでもアイスケは、目もくれず耳にも入れずに歌い続けた。
「ラララン ラララン ララランランランランランランラン」
姿を現したのは、全身に青い瘴気が燃え上がる男の亡霊。少年の頭からすり抜けて、眼球が飛び出るほど苦悶に満ちた顔で奇声を吐いていた。
「ラーラーラー ラララー」
少年の身体から青瘴気を掻っ攫って分離し、殺意の言葉を吠えてアイスケに飛びかかる。
「響け 永遠の 愛よ」
まるで迫り来るシャドウを抱きとめるかのように、大きく手を広げたアイスケは、棚引く水のベールのようなビブラートを響かせた。
意気揚々と笑う少年の鼻先で、シャドウは叫びは途端に絶息し、青瘴気は風に吹かれる灯火のように消散した。




