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第四十話 シャドウ

「悪魔の、亡霊………?」


 口がぽかんと開いた。


「そう。例えば………強い恨み、嫉み、悲嘆、憎悪、殺意、破壊衝動。そんなはち切れそうなほどの負の感情を残して死んだ悪魔は、成仏されず、亡霊となってこの世を彷徨う。彼らは、霊力によって青く染め変えられた瘴気を纏い、それに触れた者は生力を吸収され、やがて屍になる」


 ひいっ! とアイスケは背筋が凍って、己の腹をおそるおそる見た。


「あー、屍って言っても、瘴気抜き(セイントヒール)さえすれば傷も浄化されるし、最悪ポーションでも気休めにはなるから。アイスケも梶山さんも大丈夫。そのために伏見さんを呼んだわけだし」


 ふう、とアイスケは腹を抱えて息を吐いた。

 が、すぐにハッと吸い込んだ。


「じゃあ、純くんは? 純くんはどうなるんだ!? 普通の人間の子が、あんなに瘴気を纏って………」


「純くんは、瘴気に触れてるんじゃない。あの子は、憑依されたんだ」


「ひょう、い?」


 アイスケは首を傾げた。


「そもそもシャドウは亡霊で、実体を持たない。だから、常に探し回っているんだ。自分に合う器を」


「………取り憑くってこと?」


「そう。自分と同じ、負の感情を持った生者に狙いをつける。感情が大きいほど、ヤツらのつけ込む心の影の範囲も広くなる。そうやって巧みに生者を唆し、誘導させ、やがてその身体に憑依する。だからヤツらの存在は、シャドウ、と呼ばれるようになったってわけ」


 生者の心の影に、つけ込む。

 皮肉にも、お似合いな名前だと思った。


「じゃあ、純くんは………」


 アイスケは、人外の声で悶える純くんを見た。

 心身共に衰弱していた彼には、つけ込む隙など剥き出しなほどあったはずた。


 ラムは小さく頷く。


「俺の予想だと純くんは、自分を責める一方で、いじめていた子たちへの憎悪も大きかったと思う。当然だね。でもあの子は、はっきり理解できなくとも、己に取り憑いたシャドウの存在に気付いて、怯えていた。隙を見せれば爆発する殺意を抑えようと必死だったんだ。だから怒りの矛先を自分に向けるように、自分を責めて、シャドウの声を無視しようとしていた。でも今日で、限界だったみたいだね」


「ねえ! それいつから気付いてたのよ?」


 ココロが尖った声で兄に問いかけた。


 ラムは困ったように微笑する。


「黙っててごめんね。梶山さん一家のためにも穏便に済ませたかったのと、まぁあとは、俺の研究の進展のためかな………」


「「「「やっぱり!」」」」


 ははは、とラムは乾いた笑みを浮かべた。


「研究はちょっと置いといて、解析担当の俺から今回の依頼を簡単に報告するよ」


 ラムの淀んだ眼差しに、鈍い光がギラついた。


「聞いたと思うけど、依頼を受けたのは三週間前。もちろん最初は、不登校の児童の様子見としか思ってなかったよ。だけど、あの子と話をして、あの子は自分ばかり責めるものだから、聞いてみたんだ。いじめてる子たちを憎くないの? って」


 ラムは少し声を低くして、述べた。


「その時、かすかに見えた。あの子が、そんなことないって、震えながら言った唇から、青い靄が浮き出たのが」


「!」


「それから依頼の目的が、俺の中で変わった。あの子を救うには、まずシャドウを祓うしかない。でも下手に刺激したら、暴走しかねないしね。俺はあの子が表の状態の時を狙って、聖水を仕込んだお菓子を渡したんだ」


「ん? どういうこと………?」



「生者の正気が保たれている時。それを表の状態という」



 首をひねったアイスケに、凛が強く言い放った。


「シャドウは憑依しても、生者の身体は完全にコントロールできない。心の影で囁くことはできても、身を委ねるのは生者の意思が決めることだ。表の状態では、シャドウは身動きが取れない。それを機に聖水を仕込めば、青瘴気を弱化させシャドウを祓うことができる。なるほど、悪魔学書にも書かれていた基本の悪魔祓いだな…………」


「いや、シャドウ祓いって言ってくださいよ。それだと俺たちも含まれちゃうでしょ」


「含んでいるつもりだが?」


「はぁ〜あ、やっぱり連れてくるんじゃなかった……」


「聞こえているぞ悪魔!! ハッ! 現に貴様のやり口は失敗しているじゃないかっ!」


 青い少年に視線をやって、凛は声を激した。


「純くん、お菓子を食べなかったってこと?」


「正確に言うと、食べないというより、食べられなかったんだ」


「あっ………」


 ふと、思い返した。ドアの前で彼が叫ぶ中で、ご飯を食べても吐いてしまう、と言葉を漏らしていたことに。


「飲み込む前に吐き出しちゃって、たぶん、恥ずかしいと思ったんだろうね。お母さんには黙っていてほしいって言われてね」


 母親の梶山さんは言っていた。大好きだったお菓子も手をつけなくなった、と。

 恥ずかしい、だけではなく、心の底が抜けるような虚しさも彼にはあったのだろう。


「でもどうにかこの方法で収めたくて、お茶やジュースに聖水を仕込んで、あの子に飲ませようとしたんだけどね………」


「全部吐いちゃったの?」


「吐いたというより、吐かせたんだろうね」


「は………?」


「シャドウが」


「なっ………! で、でもあそこの世話係のー………誰だっけ?」


「霧崎 凛だッ!」


「そうそう、凛さんが言ってたじゃん! 表の状態の時は、シャドウは身動きが取れないって」


「うん、そう。つまり、次第に裏が剥き出てきたんだよ」


「!」


「今朝に面会に来た時、純くんは純くんを失い始めていた。あの子のすでに青く染まった肌を見て、もう強硬手段しかないと思ってね………」


 ラムは、意を決したように頷いた。

 もし兄の言う穏便な方法で解決できたら、世間体や、安全性、どれだけのものが守れただろうか。兄は、どれだけのものを守りたかっただろうか。自分の知らないところで、兄はずっと、先の見えない吊り橋の上を一人渡っていた。兄のことだから、あの胡散臭い笑顔を簡単に張り付けて、背後に潜む闇なんてこれっぽっちも見せずにいたのだろう。


 だけど、そんな兄が四つ子を頼りにした。

 アイスケは、その理由が何となく頭に浮かぶ。


「俺たちは、時間稼ぎってことか………」


「まぁ、それもあるね」


 淡々と答えたラムに、ユウキがムッとしてジト目で見上げる。


「それもって…………それしかないでしょ。全く、人使いの荒い兄貴だよ。俺たちはともかく、か弱いアイちゃんまでこんな危険な依頼に巻き込むなんて………」


「か弱いって………一応リーダーなんですけど」


「現に魔障受けたのよ、このポンコツリーダー」


「可哀想でしょっ! おチビちゃんなのに」


「お前ら………」


 リーダーとしての威厳なんて、最初から微塵もなかったようだ。


 まぁこの現状からして己の不甲斐なさには頷くしかないが。


「それに、聖水を使わなくたって、あの人たちの聖魔法で一発じゃないの?」


 あの人たち、とユウキが顎で指した先は、煌家の鬼執事と、お嬢様のひまり。

 世話係の方は煌の血は引いていないものの、あの時目で見た通り、同等の力を持ち合わせている。


「いや、無理無理……」


 ずっと黙って聞いていた伏見が、苦虫を潰したような顔で言った。


「こんな聖魔力ゴリゴリのゴリラ一族の月詠なんて食らったら、シャドウだけじゃなくあの子の体まで焼き尽くしちゃうよ………」


「誰がゴリラ一族だ!?」


 凛の怒声を無視して、伏見は続ける。


「聖水だって、口から含んで体内から浄化するのが本来の手口………裏の状態になった今じゃ飲んでくれそうにもないし、体外から浴びせればその分あの子の体にも傷がつく………魔力量の多い魔法使いだったら、多少手荒にしてでも浄化させるけど、相手は一般人の子供だよ………? 肉体が耐えられなかったら終わりさ………」


 ごく、とアイスケは生唾を飲んだ。


「じゃあ………どうしたらいいんだ!?」


「正式なシャドウ祓いは、魔法陣を描いた上に対象を配置させ、詠唱で祓魔エクソシズムの儀式を行う………祓魔師エクソシストは騎士じゃなくて傭兵だよ………? ラムくん、呼ぶ相手が足りなかったんじゃないの………?」


「いいえ、十分足りてますよ」


 ラムは得意げに笑って、ぽん、とアイスケの肩を叩く。



「この子がいれば、純くんは必ず救えます」

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