第三十九話 不穏な空気
「ありがとう、伏見さん………」
「はいはいどういたしまして…………」
一分も数え切らないうちに、アイスケの傷は完治した。重石が取れたように痛みが和らぎ、体が軽くなる。頭も冴えてきて、視界も霞むことなくくっきりと鮮明に見えた。
騎士団のみならず神樹ヶ咲総合病院でも顔が知られている彼の腕は承知の上だったが、この得体の知れない魔障までも造作もなく消してみせた神業に、アイスケは圧倒された。
魔王に殺されかけた人間が、魔王の子を治癒する。
それも何だか変な話だが、彼の言う通り、それだけ世の中に予想も裏切る変化が起きていることに違いはない。
この目の前の青い少年だって、そうだ。
アイスケは縋るような眼差しを向けるが、伏見は目を細めて言った。
「でもさすがにあの子は手に負えないかな………」
「そんな………!」
「ボクだったら、の話だけど………」
「?」
魔障は治癒できても、青瘴気そのものは消せないということだろうか。
そもそも、兄は、ひまりは、何と言った。
あの得体の知れない青を、まるで見たことがあるかのように──
『シャドウ、だからね』
『シャドウが! シャドウが出たんです!!』
(シャドウ………?)
「どういうことだっ!」
獰猛な面構えで、凛が大太刀の切っ先をラムの顔に突きつけた。
「貴様の弟たちと、ひまりお嬢様が未曾有の事件に巻き込まれているかもしれないと、司令官の指示も跳ね除けて私と伏見をここへ呼んだかと思えば…………シャドウが出現したなど一言も聞いてないぞ!? 隠していたのか!?」
「本部で公にできる事情じゃないでしょう。元は瘴気抜き持ちの伏見さんだけ呼ぶつもりだったんだけど………どうもあなたのところのお嬢さんも絡んでる気がしてならなかったのでね。まぁあなたはついでですよ」
「何だとぉ!?」
「あいにく今は鬼退治する余裕もないんだけど」
「っ!」
突きつけられた切っ先に睨みを利かせた悪魔の顔に、凛はピクっと眉を動かした。そっと尻目で背後の光景を再び見ると、しぶしぶと大太刀を鞘に収めた。
ふう、とひまりが息を吐く。
「ラム兄ちゃん! シャドウってのは何だ? 兄ちゃんは依頼を受けた時から、何か知ってたのか!?」
聞くと、ラムはさらに前へ進んで、アイスケの横に並んだ。
「私は、聞いたことがあるわ」
「ユメも」
「俺も………でも、アレって、魔界にまつわる伝説でしょ………?」
三人の兄姉は、唖然とした様子でラムを見上げる。
「ユウキの言う通り、元は魔界だけの案件だったんだけど………」
ラムは頭を抱えて呻き声を上げる少年を眺めて、告げた。
「でも、ここ二、三年前から、人界にも出現するようになったんだ。悪魔の亡霊、シャドウはね」




