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第三十六話 青い少年

 魔法を使わないごく普通の一般市民。

 数秒前までそう認識していた少年が、人外の力を放出した。

 この神経まで痺れるような腹の痛みが、禍々しい青い傷が、信じがたい可能性を現実へと重ねていく。


「アイちゃん!」


「アイスケくんっ!」


 三人の兄姉とひまりが窓から飛び降りて、駆け寄ってきた。


「純くんは………?」



「呼んだかァ?」



「!」


 嘲笑の混じった声が降ってきて、振り向いた先、白い塀の上に彼は仁王立ちしていた。


 体を包む青白い霧は、さっきよりも大きく渦を巻くように広がっている。

 しらけた笑みを青い皮膚の上に浮かべて、暗く光る瞳は真紅に染まり切っていた。


「なん、で………」



 あれは、同族の目。



「その姿………どうやって………」


「どうもこうも、俺ァ鈍っちまうほど待ちくたびれたぜ? このガキ、一丁前に殺意膨らましてるくせに、ヘタレすぎて俺を萎えさせる。ガキのくせに扱いにくい器だ」


「お、まえ………」


 げらげら嗤うその瞳の奥を睨みつける。



「お前は、誰だ…………」



 にたぁ、とそいつは口端を捲り上げた。


 あの時の泣き声は、悲痛の叫びは、確かに少年のものだった。


 だけど、今目の前で嗤うこいつは───違う。

 まるでこの世のものでないような、蒼白な肌に、怪火のように青白く揺れる霧。

 これは明らかに、人間の異能力の範囲に留まるものではない。


「アイちゃん………! その傷!」


 群青の痣を凝然と見た四つ子は、一気に顔が青ざめた。


「ああ、魔障だ…………それも何か、力が吸い取られるような、やばい感じの………」


「じゃあ、純くんは悪魔の力を持ってるってことなの!? 普通のニンゲンさんが、そんなことできるの………!?」


「何かの禁術だったらあり得なくもないけど………あの子、半年も引きこもってたんでしょ? どうやって禁書を手に入れたっていうのよ………」


「まさか、ラム兄が関係してるんじゃ………」


 ハッ、と四つ子は同時に息を呑んだ。


「禁術の実験体にしたってこと!? 一般人の中学生に対して!?」


「だってあまりに不自然じゃないか。三週間も俺たちに黙秘しながらあの子に近づいて、突然逃げ出したんだよ? 何か目論見があっての行動にしか思えない………」


「じゃあラムお兄ちゃん、ユメたちまで巻き込むつもりで………」



「んなわけねえだろッ!!」



 末っ子の掠れた怒声に、兄姉はびくりと慄いた。


「ラム兄ちゃんが、そんなことするわけねーだろ。確かにあいつはぁ危険な捻くれモンだけど、依頼人の子供の体を弄るなんて真似、絶対しねえ。俺たちの兄貴は、そこまで落ちぶれていねえよ。お前らも家族だったら、分かんだろ!」


 冷や汗塗れで息を荒く吐きながらも、アイスケの瞳にはまだ強い光が揺らめいていた。

 いつでも目に浮かぶのだ。

 白衣を纏い、子供たちに不器用な笑顔を向ける、兄の姿が。

 あの笑顔には、あの眼差しには、確かに愛があった。

 飄々とした口調で誤魔化して、わざと恐怖で塗り潰させた、ぶっきらぼうな愛が。


「………ひまりちゃん?」


 あの青い少年を目に映したひまりが、激しく震えている。

 口をぱくぱくと開いて、はっ、はっ、と不規則に息を吐きながら、信じられないものでも見るような、恐怖の光が広がった瞳を開き切っている。


 さらに、ドアが強く叩き開けられたかと思うと、駆け出してきたのは母親の梶山さんだった。


「純!!」


 変わり果てた息子の姿を見て、梶山さんは短い悲鳴を上げた。


「純!! どうしてしまったの!? ねえ、純!! お母さんよ!! 分かる?」


「梶山さん、危険です!! 離れてください!!」


 アイスケが呼び止めても、梶山さんは泣き出しそうな顔で、息子の名前を呼び続けている。


「うっぜェなァ!」


 青い少年はうざったそうに舌打ちして、地を蹴って飛びかかり、青い霧を纏った拳を母親の頭上に振い落とした。



「くっ!」



 神速で駆けたユウキがブーメランを盾にして、梶山さんの前に立ち塞がった。


 青い拳と、黒いブーメランが凄まじい衝撃波を打って激突する。

 ベランダの窓が粉砕され、植木が根こそぎ掻っ攫って吹っ飛ぶ。

 平穏な住宅街が風に飲まれて、ざわざわと木々と共に住人たちもざわめいた。



「その青瘴気あおしょうきには触れちゃダメですっ!!」



 不意にひまりが、前のめりになって叫んだ。


「青、瘴気………?」


 聞いたことがない単語に、アイスケは首をひねった。

 瘴気は黒色を帯びるものだという知識が、物心つく頃から頭に染み付いている。

 だけど、この魔障はあの青い霧に触れて負傷したもので間違いない。


(この子は………知ってるのか?)


 幼くとも勇者の血統。魔法の知識量では彼女の方が遥かに上回っているはずだ。


「そんなの見れば分かるよっ! 明らかにやばそうだって! くっ! こっちは魔力のコントロールでいっぱいいっぱいなんだよ!!」


 ユウキが苛立ったように言い放つと、青い少年は本来ないはずの牙まで剥いて吠えた。


「あァ!? 手加減してますとか生意気にほざいてんじゃねーぞォッ!!」


「うるさいなぁ! 俺だって訳分からないけど、少なくともきみの体を傷つけちゃいけないことぐらいは分かるんだよ!!」


「ふざやがってクソガキがァ!! 余裕かまして手ェ抜いてっとこのまま後ろの女もまとめて首もぎ取るぞッ!!」


「だから余裕でもないんだってば!」


「殺す………殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」


 青い少年は、ぶつぶつと呪文のように殺意を零している。


 ブーメランがガクガクと不安定に揺らぎ、波打つ青瘴気に気圧されつつあった。

 ユウキは顔をしかめながら、視線だけ後ろに向けた。


「梶山さん、すぐに避難してください! もうじき騎士団も駆けつけてきます!」


「そんな………純は!? 純はどうなるんですか!?」


「見ての通り、純くんは今正気を失っています。誰彼構わず襲ってくるでしょう。もちろん、彼の身は守ります。ただ………こちらとしても、ある程度の抵抗はさせてもらいます」


「じゅ、ん………」


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