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第三十三話 母の願い

 アイスケはすみません、とこの上ない困り顔で頭を下げるが、ふふふっ、と吹き出すような笑い声が降ってきた。


 ふぇ? と間抜けづらで顔を上げる。


 梶山さんはおかしそうに笑みを零していた。


「すみません…………何だか昔の息子を思い出してしまって。あの子、とても真面目なものだから、よくからかう私に本気で怒ったり、拗ねたり………今のアイスケくんみたいに、ここでよく騒いでいましたの」


 そう言って、二階に繋がる階段の奥を見つめる梶山さんの眼差しは、どこかに悲しげに見えた。


 あの先に、少年がいる。

 まだ名前も顔も知らない。この依頼で救ってみせる、そう誓った一人の少年が。


「梶山さん」


 アイスケは顔を引き締めて、依頼人と向き直った。


「息子さんは、俺たちファミリーズが救ってみせます。そのためにも、息子さんのことを教えていただけないでしょうか」


 そのまっすぐとした純真な瞳に、兄姉とひまりも向き直って、梶山さんはゆっくりと頷いた。


「ありがとうございます」


 か細いけれど、芯のある声。

 梶山さんは、意を決したような真剣な顔で語った。


「息子は中学二年生で、名前は、じゅんと言います。主人は海外へ赴任しているので、ほとんど私と二人で生活しているようなものです。小学生までは、元気で、明るく、友達とはしゃいで遊ぶような、普通の子供でした…………ですが、地区外の私立の中学に入ってから、あの子の笑顔は消えていったんです」


 梶山さんの声が少し震えて、言った。


「いじめに遭ったんです」 


「!」


「気付いたのは、あの子の落書きされたノートを見つけた時です。酷い言葉が殴り書きされていました。それも、たくさん。正直に話してほしい、あの子にそう問い詰めると、泣きながら言いました。クラスの子から無視されたり、笑われたり、物を捨てられたり………あの子はそれでも耐えようとしていたんです。私に心配をかけまいと」


 何て、この世にありふれている、残酷な話だろう。アイスケは聞いているだけで、ぶつけようのない悔しさがふつふつと込み上げてきた。


「私は、すぐにあの子を転校させました。でもその頃には、もう息子は心を閉ざしてしまったんです。部屋に引きこもるようになり、半年間、一切外へ出ることはありませんでした。毎日声をかけましたが、段々と返事が少なくなり、ドアを開けようとすると物を投げて怒鳴るようになりました。お母さんには分からない、と。食事は部屋の前に置いていますが、次第に残す量も増えてきて、大好きだったお菓子も、手をつけなくなってしまって………」


 梶山さんは、涙声で、泣くのを必死に堪えて、それでも目を潤ませながら、語っている。


 息子だけではない。先の見えない闇の中で彷徨っていたのは、母親であるこの人もだろう。


 状況が理解したようで、腑に落ちない点もある。

 この案件が、兄のラムから唐突に振られたことだ。


「梶山さん、純くんは魔法学校に?」


「いいえ。普通科です。私も、主人も、魔法使いではありません」


「………この至急依頼を最初に受けたのは、兄のラムと聞きました。俺たちは今朝まで知ることもなかったので、兄が個人で受けたことです。一体、兄とどんな接点が?」


「ラムさんには、とてもお世話になりました」


 そう言って、梶山さんは小さくお辞儀する。


「実は私の甥っ子が、魔法学校に通っておりまして、その時にラムさんが出張でいらしたみたいです。甥っ子は、従兄弟である息子を心配していたんでしょう。ラムさんがヒーローだと知って、すぐに頼み込んだそうです。助けてほしいと」


「そ……そうだったんですか…………それは、いつ頃の話ですか?」


「春休みが始まる前でしたので、三週間前のことです」


「えっ、三週間も?」


 そんな長い間、兄が情報を一切共用せず黙っていたことに不審に思った。

 あの兄のことだ。胡散臭い笑顔の裏で何を考えているかなんてこれっぽっちも読めないが、何か企んでいるような気がしてならない。


「兄は純くんと、何か話したんですか?」


「はい。ラムさんが声をかけると、純は初めて自分からドアを開けて、部屋でラムさんとお話ししたんです!」


「ええっ! 直接!?」


 一体どんな脅しをかけたのか、一瞬そう思ったが、梶山さんは喜色を露わにしている。穏便に話せたということだろか。


「あいつ何かやらかしませんでした?」


 アイスケは聞いた。


「毒針とか突きつけてませんでした?」


 続けてユウキが聞いた。


「怪しい薬とか飲ませてませんでした?」


 加えてココロが聞いた。


「新薬の実験体にさせてませんでしたか?」


 さらにユメカが聞いた。


 四つ子は言い出すとキリがないラムの危険性を、抑えきれずに暴露した。


 しかし、梶山さんは首を横に振る。


「私は部屋には入れてもらえなかったので、何を話したのかは知りません。でも、ラムさんには何度も来ていただいて、息子の様子を見に来てくださったんです。ラムさんが持ってきてくださったお菓子を、息子は少しだけですか食べました」


「お腹壊しませんでした!?」


「美味しかったですよ?」


 つい家での拷問タイムを思い出しては、ツッコまざるを得なかった。


 ひまりが何も知らない幼児のようにきょとんとする。


「そんなにラムさんって怖いお兄さんなんですか?」


「「「「怖い! キモい! やばい!」」」」


 もはや彼がヒーローで教師というキャリアも忘れつつある四つ子。


 梶山さんも、あの教師モードの外面そとづらだけ見てだいぶ美化されて見えているようだ。


 四つ子の誕生日に用意した大きなホールケーキに仕込んだ痺れ薬、床に転がって悶絶したあの苦痛と屈辱、下目遣いの黒い笑み。一生忘れない恨みだ。


「ん?」


 だが、そんな都合のいい話が事実だとしても、まだ引っかかる点がある。


「えっと、兄は結局、この依頼を達成できなかったんですよね………? やっぱり説得はできなかったと………」


「母親の私でも見向きもされないくらいですし………それは仕方ありません。ただ………」


「ただ?」


「ラムさんは今朝に四度目の面会にいらっしゃって、息子の部屋を出た時…………とても、深刻な顔をなさって、おっしゃいました。自分一人では息子さんは救えません。弟たちに交代させます、と」


「それで、俺たちが………?」


「はい。ですがラムさんはすぐに引き継ぎの準備をすると真剣におっしゃったので、私も急いで、あなた方への依頼のメールを打ちました」


「それで、兄は?」


「調べ物があるとおっしゃって、外へ出て行かれました」


「はぁ………」


 分からない。兄の魂胆が。


 正直言って、外面そとづらとは言え兄の子供への対応は慎重かつ適切なはずだ。

 引きこもりの純くんが自分からドアを開けて、二人だけで話し、お菓子までも口にした。

 これはもう、着々と良い結果に向かっている最中さなかではないか?

 それを、突然、自分の手では負えない、弟に交代する、と言って去って行くなどどうも割り切れない。

 はたから見ると責任放棄に思えるだろうが、あのメンタルおばけの兄がそんな弱気になるなどいくら考えてもあり得ない。



 あり得るとするならば、交代せざるを得ない絶対的な理由があった?



 アイスケはますますあの天才の兄の思考が分からなくなった。


「あの………」


「!」


 梶山さんがおずおずと声を発した。


 アイスケはハッとする。


 そうだ。今依頼を受けているのは、兄ではなく自分たち。理由は分からなくとも、託されたのは自分たち四人だ。

 余計なことを考えている暇などない。

 アイスケは姿勢を正して、梶山さんに向き直った。


「私は、純に学校に行ってほしい、とは言いません」


 梶山さんはきっぱりと言い張った。


「ただ、純の笑顔をもう一度見たい。あの子の傍にいて、あの子の声を聞きたい。来週、主人が帰ってきます。元気になったら、三人で、あの子の大好きだった遊園地に連れて行きたいんです。昔のように、家族みんなで、小さなことでも、笑い合いたい。ただそれだけなんです」


 言いながら、梶山さんの指先は震えていた。

 それはきっと、恐怖でも悲しみでもなく、切実な願い。


 本当は、今にでもこの人は泣き出してしまいそうなのだろう。

 だけど、必死に繕っている。

 たった一人の息子のために、息子の未来を望むために。

 母親という両手いっぱいの大きな器を壊さないように、耐え忍んでいる。

 見ないでと言わんばかりに、震える指先を手の平に握り込んで。


「息子さんの部屋に、案内していただけますか」


 アイスケは立ち上がって、小さな胸に拳を当てる。



「俺が、俺たちが、絶対に救ってみせます。あなたたちを」


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