第二十九話 名前を呼んで
薄緑色の翡翠のネックレスを見せつけて、ひまりは得意げに笑った。
その可愛さは十分認めるけれども、もう喋るには疲れた。
喉が砂漠の大地みたいに干からびている。
アイスケはふらつきながら自販機の前に寄って、ピンクパンダ小銭入れから百円玉を取り出し、コイン投入口に入れた。
「…………………」
なぜ冬でもないのにおしることコーンポタージュがぎっしり二段も並んでいるのだろう。
そしてなぜトラウマのモツ鍋サイダーまで存在しているのだろう。
ツッコむ気力も削がれてきているので、とりあえず尻尾を地面に弾いて高々とジャンプし、一番上のミネラルウォーターのボタンを押した。
ガゴン! と取り出し口から出たペットボトルをすぐさま掴み取って、蓋を開けてしゃぶりつき、ようやく冷たく清らかな水が喉を潤した。
うっく、うっく、と喉を鳴らしながら一気に飲む。
体の芯から漲るような気分だった。
「すごく喉が乾いてたんですねぇ………」
「ぷはぁっ!………いろいろ事情があってね。きみも何か飲む?」
「いいえ。ただ興味本位なだけでして。それに、ここもカードは使えないようですし」
「………庶民の日常体験には、小銭が必要だね?」
「ぷっ! あはははっ」
「にしししっ」
二人は顔を見合わせて、吹き出した。
ひまりは、小鳥が歌うような高い声で、お腹を抱えてよく笑う子だった。
「あ」
物足りない、と感じていたひまりの髪の結び目を見て、アイスケは顎が落ちた。
慌ててリュックのチャックを開けて、思い出のアルバムのように奥にしまいこんでいた、ヒマワリの髪飾りを取り出す。
「それは………!」
「ごめんごめん。今思い出した」
ひまりの瞳が、月の中で星屑を飾ったように煌びやかに輝いた。
「あ、あなたが持っていてくれたんですねっ! ありがとうございます! とても、大事なものだったんです………よかった」
ほっと息を吐いて、ひまりは髪飾りを受け取る。慈しむような愛情深い眼差しで見つめていた。よっぽど思い入れがあるのだろう。
ヒマワリの裏にあるクリップを開いて、ヘアゴムに深く差し込んで、カチッと音をたてて挟んだ。
最初に出会った時の、ヒマワリ頭の女の子になった。
「はははっ、やっぱり似合うね! らしさ、っていうのかな」
「ありがとうございます! 未来の魔王さん!」
「だから違うって!! 魔王とかなれないしなる気もありません!!」
「ええっと、じゃあ、小さな悪魔さん」
「俺より小さい子に言われたくないな………」
「正義のヒーローさん!」
「面と向かって言われると何か恥ずかしい………」
アイスケはちょっとむず痒そうに顎をかいて、
「普通に、アイスケでいいよ。俺も、ひまりちゃんって、呼ぼうかな」
できるだけ、自然に、少しでも、恥じらいの色を見せないように、アイスケは言った。
初めて名前を呼んだ、ヒマワリみたいな女の子に。
「ぁ」
ひまりは、生まれて間もない赤子のように辿々しく唇を開く。
「あ、アイスケ、くん…………」
火照ったように頬を赤らめ、視線が迷子になりながら、少女は名を呼ぶ。
「あ、の」
赤い顔が近づいて、満月の瞳が目の前を照らした。
熱い吐息が首筋にかかり、フレッシュな花の甘い香りが鼻をくすぐる。
「え、えっと、その」
金色に潤んだ瞳がこちらを見上げた時、心臓が早鐘となって胸を突き上げた。
「男の子の、お名前っ、めったに、呼ば、ないから………恥ずか」
「アイちゃぁん? 何してるのぉ?」
研ぎ澄ました刃のようなドスの効いた声が、二人の会話を引き裂いた。




