第二十三話 一家団欒は遅れてやってくる
あー、と尖った犬歯を剥き出しにして口を大きく開けたユメカ。
ひっ、と防衛する隙もなくビクついたココロの無防備な肩に、逃がさんばかりの力で噛み付いた。
「がぶっ!」
「いっだぁっ!」
姉の苦痛な悲鳴も無視して、ユメカは貪り食うハイエナの如く歯を突き立てる。
「バカユメカ!! やめろっての!! いっ!」
ココロの肩から黒い血が滲み出ると、ちゅうちゅうと舌を絡めて吸い取った。瘴気すら丸ごと飲み下して、それでも物足りなさそうに喉を鳴らす。
「おいユメカ!! 落ち着け!!」
「あーあー完全に飢えてるねぇ」
ユメカの愛らしいつぶらな瞳が、獰猛な肉食獣のように紅く変貌していた。
フウガとラムが二人がかりで腕をつかみ、力任せに引っ剥がしたが、うう、と不満そうに口周りの血を舐め取る。
「ほらほらユメちゃん、もうちょっとでご飯来るから、お利口さんにしなきゃだよ〜………ん?」
「がうっ!」
「わーダメダメ」
ラムと目が合ってすぐ、白衣越しのお腹にがぶりつく。
が、舌が触れた瞬間、ユメカは言葉にもならない呻き声を上げてのたうち回った。
「俺の血は多種の毒素が混ざり合ってるから、不味さナンバーワンなんだよね………」
平常時であれば、悪魔の瘴気は有害物質を削減できる。だが蝮の一族アスモデウスは、息絶えるまで消えることのない毒を持て余す、歩く毒牙だ。
「ぺっ! ぺっ! ぺっ! うぇっ」
「そこまで嫌がられるとちょっと傷つく………」
飢餓感に疼くユメカは、四つん這いになって、次は隣に立つフウガを押し倒す。
「っでぇ!!」
フウガの右胸をガジガジと小刻みにかじっては、赤子のように口に含ませ吸い付いた。
「こら、ユメカ! どうせおっぱい吸うならもっと巨乳の美女を選びなさい! そんなむさい男じゃ絵にならないでしょっ!」
「黙れ飛ばすぞムッツリ野郎!!」
ラムに怒号を吐き出しながら、フウガは妹の頭を鷲づかみにして引っ剥がす。
うああ、とユメカは飢えた視線を彷徨わせた。
ピクッと鼻が反応して、欲望が咲くように目を閃かせたその先は────
「がぶぅっ!!」
「っだぁっ!! もう!! 何でいっつも私なのよー!?」
妹に押し倒され、首筋をがぶりつかれたココロが半泣きで絶叫する。
その悲惨な光景を見下ろすラムとフウガは、神妙に頷いた。
「ユメカはお姉ちゃんっ子だからねえ」
「愛だ愛。姉として受け止めてやれ」
「他人事みたいに言ってんじゃないわよ!! ぶん殴るわよ!! っていだだだだっ! こら! かじりながらチューチューすんな! 私はスルメじゃないっての!!」
「お待たせしました〜、カレーができましたよ〜………って何じゃれてるんですか!? ちょっと可愛すぎるからカメラ持ってきますねっ!」
「ふざけんなッ!! カメラじゃなくてカレー! カレーを早くこのハイエナの口にぶちこんで!! 早く!!」
キッチンからトレイを両手に来たベリーは、慌てて床に膝をついて、牛肉ゴロゴロ大盛りカレーの皿を差し出した。
ハッと息を呑んで、ユメカはカレーを目に捉えると、ヨダレを垂らしながら大口を開けてガツガツと食らいついた。
「もう、お行儀が悪いんですから………」
這いつくばって犬みたいに貪るユメカに、ベリーは呆れるようにため息をつく。
一方で痛みから解放された歯形だらけのココロは、安堵の一息をついた。
ようやく始まった黒野家の夕食。
空から吹く風の寒さとコンクリートの地の冷たさに凍える中、ホクホクと白い湯気が立つスパイシーな香りのカレーライスが、一家の唯一の温もりだった。
ちゃぶ台もなくて、円になって皿を床に並べるまさに原始時代だけど、そんな不満は溢れる食欲が吹っ飛ばした。
「いっただっきま〜す!!」
手を合わせて、アイスケが一番乗りに食べた。いや、一番の座はフライングした大食いユメカにあるので、二番乗り。
「うっまぁ〜い」
兄弟は皆恍惚の表情を浮かべた。
レッドペッパーとバターが絡むまろやかな辛さとコク、噛むたびに広がるスパイスのほんのり甘い香り。野菜と肉もいっぱいで食べ応えもあって、トロトロのルーとほどよい硬さのご飯が相性抜群だ。
「さて問題です。今日の隠し味は何でしょう?」
ベリーがにこりと笑って、黒野家恒例のクイズを出した。
「チョコレート!」
「はちみつ?」
「牛乳とか?」
「うんこ! うんこ!」
「コウちゃん、ちょっと黙っときなさい?」
隠し味。加えることで食材の風味を引き立てる料理のアクセントになるものだが、その名の通り、食材の奥深く隠れてしまうミステリアスな味だ。特にベリーの料理のスキルは高く、一切の抜け目もなく見事絶品の味に仕上げてしまうので、なかなか察知できない。
「牛乳が惜しいですねぇ」
「チーズ?」
「あー、ちょっと離れちゃった」
「ぼにゅー! ベリー兄のぼにゅー!」
「コウちゃん、お口チャックですよぉ?」
まずい。アホのせいで我が家の母が微笑みながら額の静脈を浮き出させている。
アイスケは顎に手を当て、う〜んと頭を捻った。
唐辛子のピリッと痺れる辛みが抑えられているので、おそらく甘いものだ。
牛乳に近いということは、乳製品。
チーズだと離れてしまったのは、きっと固形物ではない。
(……………あっ!)
「生クリーム!」
「ピンポーン! アイちゃんの正解で〜す!」
「っしゃあ!」
「景品として、にんじんたっぷりおかわりさせてあげま〜す!」
「やったーじゃねええええええええっ!! そこは普通肉だろ!! 俺野菜嫌いなんだけど!?」
「好き嫌いはいけません。大きくなれませんよ? ただでさえおチビなんですから」
「俺は大器晩成型なの!! 野菜なんぞに頼らなくてもあと二、三年すれば細マッチョの巨人に………ってにんじん皿に入れるなーっ!」
「今のうちに頑張らないと絶対伸びないわよ? はい、私もあげる」
「ユメも〜」
「俺も」
「やめろ──────っ! おいこらバニラ兄ちゃんさりげなく肉と入れ替えんなっ!」
あっという間にオレンジ塗れのにんじん山盛りカレーになってしまった。肉も抜かれたし。まさに鬼畜。
「アイちゃん、お兄ちゃん、が、お肉、あげるよ」
ユウキがおぼつかない口調で、カクカク手を揺らしながら牛肉ののせたスプーンを寄せる。
ぶらん、と手の平が垂れ落ちて、スプーンが床に転がった。
アイスケは拾って、ティッシュで床の汚れも拭き取る。すでにこびりついた焦げ目の汚れは手遅れなくらいだけれど。
「ごめん、ね」
「いいから。ほら」
アイスケは自分のスプーンでユウキの皿から一口掬い、突きつけた。
「あ〜ん」
ユウキは呆然として、ぱちぱちと目を瞬きさせた。
「ほら、あ〜ん」
アイスケは猫のように首を傾けて、スプーンを突き出す。
カァッとユウキは顔から耳の付け根まで赤くなり、溢れ出たヨダレを飲み込んだ。
震える唇がゆっくりと開くと、アイスケは傷つけないように兄の口にスプーンを押し込む。
「今日は俺が食べさせてあげるっ! にっしっし〜」
甘えん坊な笑顔に、ユウキは鼻血を垂らしながら言った。
「バニラ兄…………明日も、ライゴウ、浴びせて、ほしい」
「イカれてんなオイ」
アイスケはいつもの、ごく普通の景色を見た。
兄が笑っている。姉も笑っている。くだらない話をしたり、からかって小突いたり、思いっ切り甘えたり。みんなで同じものを食べている。同じ時に食べている。
これって、当たり前な日常だけど、本当はすごく恵まれていて、とても幸せなことで、奇跡のような絶景なんだ。
だって他では、一生見られない。
だから、この時間が誰にも奪われたくないほど好きだ。
好きだ。大好きだ。怒りも痛みもすべて忘れてしまうくらい、超好きだ。
家族って、いいな。
そう呟いた時にはもう、魔法にかけられている。
「にっしっし〜」
「アイスケ、何ニヤニヤしてるんですか?」
ほら、不思議に笑いが止まらないんだ。
「なんかさっ! なんかさっ! あったかいな〜って、思っただけ!」
それはきっと、強大な魔力もいらない、莫大なお金でも買えない、小さじ一杯の愛情で生まれた温もりの魔法だから。
ひとつまみだって、分け合えたら、分け合えたからこそ、あったかいんだよ。
お読みいただき、ありがとうございます。
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