第二十ニ話 星空の下で
今夜は空気が澄み切っていて、星と月が幾分近く見える。
雲一つない、夜の小川の輝き。
高いところで冴えた光を放つ、丸みの帯びた金色の宝石。
こんな絶景を眺めながら、夕食を食べられるだなんて夢のような話だ。
これが豪華なリゾートホテル────だったらの話だが。
現実にもここはしがない、我が家の一軒家。
空が見えるのも、ガラス張りの天井があるわけではなく、天井そのものがくり抜けている。
地面は足の踏み場を確保するために懸命に掃除したものの、フローリングが焼けて、剥き出しになったコンクリートまで黒ずんだ焦げ目がこびり付いている。というか、タイルの剥がれた床は石のように硬くて、座るだけでお尻が痛い。あと、冷たい夜風が入ってきて肌寒い。
屋根も、座布団も、ちゃぶ台もない。
焦土の上で家族揃って円になって、竪穴住居にすら及ばない、原始時代の夕食が始まろうとしている。
本当に、夢だと思いたかった。
「キッチンが無事なのは奇跡でしたねぇ」
ベリーは炊飯器と鍋を開け、食料の確保に一息つく。
「今から温め直しますから、ちゃんといい子にして待つんですよ!」
カウンターから顔を出して、ひもじそうに座る弟妹に対して言い放った。
「ほんっと、最悪。どうやって寝るっていうのよ! 凍死すんじゃない!」
ココロは震える体を自分で抱きしめている。
ハッ、とフウガがせせら笑った。
「んなモンここで布団敷いて毛布三重にくるみゃ凌げんだろ」
「だからその布団と毛布ないのよバカ!! 家のありとあらゆる防寒具が炭になってんのよ!!」
「うるせーなぁ、ディアボロスの悪魔が寒さ如きで泣き言言ってんじゃねーよ! 男なら気合と根性で乗り越えろ!!」
「男じゃないし!! 何その脳筋バカみたいなセリフ! アンタが読んでる古くさいヤンキー漫画に感化されすぎじゃないの!?」
「あァ!? 『薔薇裂 凶獄の愛羅武勇伝』のどこが古くせーってんだ!? 神作品だぞ!?」
「そのタイトルからもう古くさいのよ!! そんなむさ苦しい厨二病な死語満載のクソ漫画見てヤンキー目指そうとか今どきあり得ないし!!」
「ゴラァ!! テメー俺の愛読書を読みもしねーで冒涜しやがって喧嘩売ってんのかァ!? 薔薇裂 凶獄を敵に回すと巨大リーゼントに埋もれて窒息すっぞ!!」
「あーむさいうるさい寒いもうやだぁ!!」
「おい聞いてんのかッ!」
「こらっ! 二人とも静かにしなさい!!」
キッチンからベリーに怒声を飛ばされ、二人はぐぬぅ、と歯軋りしながら押し黙った。
「常に騒がしいねぇ…………」
ラムがぼそっと呟く。
その傍らには、ボロボロのクッションを枕にして仰向けになるユウキの姿が。
虚な目が薄く開いて、ピクッピクッと不規則に揺れる体。
至るところにできた火傷に、ラムは半透明の水薬を塗ってガーゼを貼り付けてやる。ポーション────瘴気によって生じた傷、魔障を癒す、霊薬の一種だ。人間が対悪魔用に発明したもので、人界の救急箱にかかせない万能薬である。無論、同族の争いにも等しく。
「…………………」
そのいたわしい姿を、アイスケは憂わしげな表情で見守っていた。
「兄ちゃん、ごめん…………俺のせいで」
「は、は。アイちゃんは、悪くないよ?」
口まで痺れているのだろう。歯と歯が上手く噛み合わず、どもるように話すユウキ。
それなのに、彼はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを見せた。
その優しさが、余計胸を痛める。
自己満足のために、兄を巻き込んでしまった。
自分の無力さが恨めしい。
「ハイ、治療は終わり。たぶん、明日の朝には自由に動けるだろうね」
と、あっさりと言ったラムに、アイスケはうつむいていた顔を上げた。
「えっ、そんなに回復早いの!?」
確かに悪魔の治癒力は人間の百倍だが、食らったのはあの天性血統レヴィアタンのライゴウだ。人間がほんの少し触れただけでも、全治三ヶ月はかかったと話には聞いていたのに。
「普通なら瘴気をくるんだ十億ボルト食らえば悪魔でも即死しかねないんだけどね?」
「じゃあ何で………?」
ラムはにやにやと口元を緩めて、
「どこかの鬼畜さんがかなり電圧抑えてたんじゃないかな? 筋肉や神経はそれほど損傷してないみたいだから」
ケッ、とにやつく視線にうっとおしそうに顔を逸らしたバニラ。
そんな彼の膝に頭を乗せて寝転がるミントが、クスクスと満悦そうに笑った。
「バニちゃんはやっぱり優しい子だねぇ〜」
「うっせニート。さっさと降りろ」
「え〜、やだ〜。ここ俺の特等席だもん」
「一分につき利用料金五千円だ」
「たっか!」
アイスケは、部屋の隅においやった真っ二つに割れたVRマシンを見た。買ってすぐに粗大ゴミに成り果てた残骸は、ゴミ袋に閉じられて来週には回収してもらうそうだ。
「……………………」
胸の痛みはきっと、無力さへの恨みだけではない。
「バニラ兄ちゃん」
膝立ちで歩いて、バニラの方へ寄る。
「……………ごめんなさい…………ロミオ十二号のことは俺も怒ってるけど…………せっかく買った兄ちゃんの大事なもの、調子に乗って壊しちまった。それは、ごめん」
正座したまま、アイスケは小さく頭を下げた。
許してもらえるかは分からない。これ以上兄の癪に触るのも正直怖い。だが、勇気を持って謝らなければ、何も解決しない気がした。
「…………………」
バニラは感情のない目で見下ろしていたが、スッと手をこちらに伸ばした。
ビクッと反射的に目を瞑る。
「わっ!」
髪の毛をクシャクシャに撫でられた。
それももう、前髪が逆立つくらいに。
「謝る暇あるなら弁償しやがれドケチヒーロー。可愛い顔で擦り寄ってくりゃ何でも許してもらえるたぁ、恵まれたガキだなオイ」
皮肉を言われて、返す言葉もない。
「いてっ」
ピンッ、と人差し指で額を弾かれた。
「明日は非番だ」
「えっ…………」
「超級魔獣退治でも廃ビルの解体でも準備運動になるぐれーの依頼持ってこい」
バニラは背中を向けて言った。
「マセガキの小言はもううんざりだからな。このエースががっぽり稼いできてやるよ」
「兄ちゃん…………」
鼻の奥がツンと痛み、目の縁から今日で何回目だろうかの涙が染み出てきた。
でも、今日一番の、嬉し涙だ。
「に、兄ちゃああああああああん!! わあああああんだいすきいいいいいいっ!」
「おいッ、離せ!!」
「ツンデレ萌えええええええええ!!」
「もう一発落とすぞ?」
「バニちゃ〜ん! 俺も大好き〜! だからクレジットカード貸して〜?」
「働けヒキニート」
二人にべったりと抱きつかれ、バニラはうざったそうな顔で悪態をつくが、振り払うことはなかった。
疲れてそんな気力もないのか、それとも、少し、ほんの少しだけでも、この最凶の兄と打ち解けられたのかな? なんて、アイスケはまさに夢のようなことを考えていた。




