第33話 白石家(前編)
長野行きの特急の窓から、山が見えていた。
紅葉が、山肌を、赤と黄色に染めている。
東京では、まだ少し早い色だった。
「……緊張しますね」
隣の席で、権田が、ぽつりと言った。
今日は、作業着ではなく、洗いざらしのチェックのシャツを着ていた。
それでも、膝の上には、例の道具鞄が乗っていた。
「権田さんも、ですか」
「そりゃあ、しますよ。行方不明の娘さんの親御さんに、異世界にいますなんて、どう言えばいいのか」
佐伯は、膝の上のクリアファイルを、ぎゅっと握った。
分厚くなっていた。
過去ログに加えて、昨日の夜、白石が掲示板に書いてくれた、
両親へのメッセージを、印刷して挟んであった。
「……正直に言うしか、ないと思います」
「信じてもらえますかね」
「分かりません」
佐伯は、窓の外の山を見た。
「でも、嘘をついて信じてもらうより、本当のことを言って、
信じてもらえない方が、いいと思うんです」
権田は、少し黙ってから、頷いた。
「……課長さん、いい上司ですね」
「いえ。ずっと、悪い上司でした。最近、ようやく、少しだけ」
◆ ◆ ◆
白石家は、山あいの小さな町の、外れにあった。
古い、木造の平屋だった。瓦屋根。縁側。庭先に、柿の木が一本、橙色の実をつけている。
軒先には、丁寧に手入れされた鉋や鑿が、木の箱に収められて並んでいた。
玄関の前に、小柄な女性が立っていた。
五十代の後半。白髪まじりの髪を、後ろで一つに結んでいる。
目元が、写真の白石に、よく似ていた。左目の下に、小さなほくろがあった。
「……佐伯さん、ですか」
「はい。佐伯です。こちらは、権田さんです」
「白石由美子です。あかりの、母です」
由美子は、深く、頭を下げた。
それから、顔を上げて、二人を見た。
疲れた顔だった。一年分の、眠れない夜が、目の下に、くっきりと刻まれていた。
それでも、その目は、まっすぐだった。
「どうぞ。……主人も、中におります」
◆ ◆ ◆
居間の座卓の向こうに、六十がらみの男が、正座していた。
日に焼けた、深い皺の刻まれた顔。太い指。白髪の短い髪。作務衣のような、紺の作業着。
「主人の、白石正三です。宮大工を、しております」
由美子が紹介すると、正三は、無言で、小さく頭を下げた。
目は、佐伯と権田を、じっと見ていた。
値踏みするような目ではなかった。
けれど、警戒している目だった。
座卓の上に、お茶が出された。
それから、小さな皿に、白い菓子が二つ。
大福だった。
佐伯は、思わず、皿を見つめた。
「……あかりが、好きだったので」
由美子が、小さな声で言った。
「あの子が帰ってきたら、いつでも出せるように。
毎週、作っているんです。誰も、食べないんですけど」
佐伯は、胸が詰まって、何も言えなかった。
◆ ◆ ◆
佐伯は、全部、話した。
掲示板のこと。
魔王のこと。
異世界のこと。
あかりが、そこで、勇者として召喚されたこと。
毒を拭い、亡者を成仏させ、湖を作り、魔王と友達になったこと。
今、帰り道を探していること。東雲台駅の、光の糸のこと。
クリアファイルの、印刷した過去ログを、一枚ずつ見せながら。
権田は、隣で、黙って座っていた。
時々、佐伯の説明に、言葉を添えた。
光の糸のこと。駅のホームの、黒い粒のこと。
話し終えるまで、一時間以上かかった。
居間は、静まり返っていた。
由美子は、印刷された過去ログを、震える手で、めくっていた。
正三は、一度も、過去ログに目を落とさなかった。ただ、佐伯の顔を、じっと見ていた。
やがて、正三が、口を開いた。
「……帰ってくれ」
低い、静かな声だった。
「あなた」
由美子が、夫の袖を引いた。
「帰ってくれ」
正三は、繰り返した。
「娘が、異世界にいる。魔王と、友達になった。
……そんな話で、うちのやつを、これ以上、振り回さないでくれ」
「あなた!」
「一年だ」
正三の声が、わずかに、震えた。
「一年、こいつは、毎晩、電話を待って、毎週、大福を作って、
東雲台まで、貼り紙を貼り替えに通った。
悪戯の電話も、何度も来た。
霊能者だの、占い師だのも、何人も来た。
娘さんは、こういうところにいる、と言って。金を取って」
正三は、太い指で、膝の上の作業着を、握りしめた。
「あんたたちが、悪い人間じゃないのは、分かる。
目を見れば、分かる。……だが、悪い人間じゃなくても、間違っていることは、ある」
宮大工は、立ち上がった。
「帰ってくれ」
それだけ言って、正三は、居間を出ていった。
縁側の向こうの、作業場の方へ。
由美子が、両手で、顔を覆った。
佐伯は、何も言えなかった。
正三の言うことは、正しかった。
異世界、魔王、光の糸。どれも、普通の人間が、信じられる話ではない。
信じてもらえないことは、最初から、分かっていた。
それでも。
佐伯は、クリアファイルを、閉じかけた。
その時、権田が、佐伯の腕に、そっと手を置いた。
「課長さん」
「……はい」
「掲示板、開いてください」
佐伯は、権田を見た。
「ここで、ですか」
「はい」
権田は、静かに言った。
「印刷した紙じゃ、だめです。今、ここで、本人に、聞いてもらいましょう」




