↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
96/99

幕間㉜ 佐伯、一本の電話をかける

日曜日の朝、佐伯正は、自宅のダイニングテーブルの前で、四十分、座っていた。

テーブルの上には、スマートフォンと、一枚のメモ用紙。

メモ用紙には、昨夜、東雲台駅の貼り紙から書き写した、携帯電話の番号。

その下に、ボールペンで、びっしりと、文字が書き込まれていた。


――突然のお電話、失礼いたします。

――私、佐伯と申します。

――娘さんのことで、お伝えしたいことがあり、お電話いたしました。

――決して、怪しい者ではございません。


最後の一行を、佐伯は、ボールペンで二重線を引いて消した。

怪しい者ではない、と言う者ほど、怪しい。部下にも、取引先にも、そう教えてきた。


「……お父さん、何してんの」


台所から、高校二年生の娘が、怪訝そうな顔で覗き込んでいた。


「ちょっと、大事な電話をな」

「日曜の朝に? 仕事?」

「仕事じゃない」


娘は、テーブルの上のメモ用紙を、ちらりと見た。

それから、父親の顔を見た。


「お父さん、最近、変だよね。夜中に、ずっとスマホ見てるし。昨日も、終電で帰ってきたし」

「……すまん」

「別に、いいけど」


娘は、冷蔵庫から牛乳を出して、コップに注いだ。

それから、少しだけ、ためらってから、言った。


「でも、最近のお父さん、前より、ちょっと楽しそう」


佐伯は、顔を上げた。

娘は、もう、牛乳を持って、リビングに行ってしまっていた。


◆ ◆ ◆


掲示板を見つけたのは、偶然だった。

残業続きの、終電の電車の中。

眠れずに、スマートフォンで、何とはなしに掲示板を眺めていた時。

――【悲報】勇者が殺せない件

なりきりか、創作だろう、と思った。

でも、読んでしまった。

魔王を名乗る誰かが、毒が効かない、魔獣が手懐けられた、と大真面目に嘆いていた。

胃が弱い、と書いてあった。

三百年、一人で国を治めてきた、と。

佐伯は、電車の中で、自分の胃を押さえていた。

同じだ、と思った。

上からは数字を求められ、下からは人手不足を訴えられる。

誰にも相談できず、誰にも弱音を吐けず、胃薬を飲みながら、毎日、書類と向き合う。

家族とは、ろくに話もしない。

魔王は、異界の者たちに、相談していた。

草とは何だ、と聞きながら。

佐伯は、気がつくと、書き込んでいた。

――横から失礼します。過去スレを、最初から読ませていただきました。

あれから、もう、何か月も経つ。


◆ ◆ ◆


午前十時。

佐伯は、スマートフォンを、手に取った。

メモ用紙の番号を、一つずつ、押していく。

指が、少し、震えていた。

呼び出し音が、鳴った。

一回。二回。三回。

出ないかもしれない、と思った。

知らない番号からの電話だ。

一年間、貼り紙を貼り続けてきた家族のもとには、

きっと、心ない悪戯の電話も、かかってきたことだろう。

四回目の呼び出し音の途中で、音が、途切れた。


「……はい」


女性の声だった。少し、かすれた。

警戒するような、それでいて、何かを待っているような。

佐伯は、メモ用紙を見た。

書いてきた言葉が、全部、頭から抜け落ちていた。


「……あの」

「はい」

「突然、お電話して、申し訳ありません。私、佐伯と申します」

「……はい」

「東雲台駅の、貼り紙を、拝見しまして」


電話の向こうで、息を呑む音がした。

佐伯は、目を閉じた。

課長として、何百回も、謝罪の電話をかけてきた。

取引先に。部下の家族に。上司に。言葉を選ぶのは、得意なつもりだった。

でも、今は、選べなかった。選ばずに、一番大事なことだけを、言うことにした。


「あかりさんは、ご無事です」


電話の向こうが、静まり返った。


「元気で、いらっしゃいます。

……今、ちゃんと、ご飯を食べて、お仕事をして、仲間と、笑っていらっしゃいます」


長い、長い、沈黙。

それから、電話の向こうで、何かが、崩れ落ちるような音がした。


「……あかりが」


震える声だった。


「あかりが、生きてるんですか」

「はい」

「どこに。どこにいるんですか。あの子は、今、どこに」


佐伯は、一瞬、言葉に詰まった。

異世界です、とは、言えなかった。

言っても、信じてもらえない。それどころか、悪戯だと思われて、切られてしまうかもしれない。


「……とても、遠いところです。すぐには、帰ってこられない場所です」

「遠いところ……」

「でも、あかりさんは、帰るつもりでいらっしゃいます。

今、帰り道を、皆で、探しているところです。

私も、その手伝いを、させていただいています」


電話の向こうから、嗚咽が聞こえた。

佐伯は、何も言わずに、待った。


◆ ◆ ◆


どれくらい、そうしていたか分からない。

やがて、電話の向こうの声が、いくらか、落ち着いた。


「……佐伯さん、とおっしゃいましたか」

「はい」

「あなたは、あかりと、話をしたんですか」

「直接では、ありません。……手紙のような、もので」

「あの子は、何か、言っていましたか」


佐伯は、目を閉じた。

昨夜の、掲示板の書き込みを、思い出していた。

――驚かせないように。……できれば、私が、元気でいるって、それだけでも。

それから、もっと前の、書き込みも。

――お母さんに、会いたい。

――桜、見たい。


「……お母様に、会いたい、と」


佐伯は、静かに言った。


「それから、貼り紙の、お母様の手書きの文字を、読まれたそうです。

どこにいても、いいから、元気でいてね、と。

……ありがとう、と、伝えてほしいと」


電話の向こうで、また、泣き声が聞こえた。

今度は、さっきとは、少し違う泣き声だった。


◆ ◆ ◆


電話を切ったのは、一時間後だった。

白石あかりの母親は、最後に、こう言った。

――信じられない話だと、思います。

でも、あなたの声を聞いていたら、嘘を言っている人じゃないって、分かりました。

――一度、会いに来ていただけませんか。

あかりの話を、もっと、聞かせてください。

そして、住所を、教えてくれた。

長野の、山あいの、小さな町だった。

佐伯は、スマートフォンを、テーブルに置いた。

メモ用紙の、書き込みだらけの文字が、涙で、少し滲んでいた。

いつの間にか、自分も、泣いていたらしい。


「……お父さん?」


リビングから、娘が、顔を覗かせていた。


「泣いてるの?」


佐伯は、眼鏡を外して、目元を拭った。


「……なあ」

「なに」

「今度の休み、どこか、行くか。二人で。お母さんも、誘って」


娘は、目を丸くした。


「……え、なに急に。気持ち悪」


そう言いながら、娘は、少しだけ、嬉しそうな顔をしていた。

佐伯は、スマートフォンを手に取って、異界掲示板を開いた。


61:◆PDCAおじさん

白石さん。

お母様と、お話しできました。

あなたが、元気でいることを、お伝えしました。

お母様は、泣いておられました。

でも、最後は、少しだけ、笑っておられました。

会いに来てほしい、と。あなたの話を、もっと、聞かせてほしい、と。

来週末、長野のご実家に、伺ってまいります。


62:白石

>>61

……課長さん。

ありがとうございます。

本当に、ありがとうございます。


63:魔王 ◆VaLgRaVe

>>61

課長。

我からも、礼を言う。

それと、お前の胃は、大丈夫か。


64:◆PDCAおじさん

>>63

……はい。

不思議と、今日は、痛みません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。