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第24話 対面(前編)

朝日が、東の客間の露台を照らしていた。

白い石の手すりの向こうに、城下の街並みが広がっている。

煙突から立ちのぼる朝餉の煙。

石畳を行き交う人々。

そのずっと向こう、南の地平に、勇者の湖が、朝の光を受けて、きらきらと光っていた。

露台の真ん中に、小さな丸い卓。

向かい合った、同じ高さの、二脚の椅子。

卓の上には、湯気の立つ茶器と、白い皿。

皿の上には、白くて、丸くて、ふっくらとした菓子が、四つ並んでいた。

ヴァルグレイヴは、片方の椅子に座っていた。

座って、立って、また座った。


「陛下」


露台の入り口で、リリエラが言った。


「先ほどから、七度目です」

「……数えるな」

「胃薬は」

「二包、飲んだ」

「三包目を、こちらに」


リリエラは、薬包を一つ、卓の端にそっと置いた。

それから、主の襟を、最後にもう一度だけ直した。


「陛下」

「何だ」

「何があっても、驚かれませんように」


ヴァルグレイヴは、秘書官を見上げた。

リリエラは、いつもの無表情だった。

ただ、ほんの少しだけ、口元がゆるんでいるように見えた。


「……どういう意味だ」

「そのままの意味です」


秘書官は一礼して、露台の入り口の陰に、下がった。


◆ ◆ ◆


客間の扉が、開いた。

ヴァルグレイヴは、立ち上がった。八度目だった。

勇者が、露台に出てきた。

全身鎧。

そして、兜。

いつもの姿だった。

ただ、左手首には青い石の腕輪が光り、腰には、使い込まれた布が、きちんと畳んで差してあった。

その後ろから、ネフィが顔を覗かせた。

目が真っ赤だった。

足元で、シロが、尻尾をぶんぶん振っている。

勇者は、卓の前で、立ち止まった。

兜の奥から、こちらを見ていた。


「……おはようございます、ヴァルさん」


ヴァルさん、と呼ばれた。

魔王でも、陛下でもなく。


「……ああ。おはよう、白石殿」


声が、少し、裏返った。


「座ってくれ」

「はい」


勇者は、向かいの椅子に、腰を下ろした。

鎧が、かしゃりと鳴った。

同じ高さの椅子。

間に、茶器と、白い菓子。

沈黙。

朝の風が、露台を吹き抜けていった。

ヴァルグレイヴは、何を言えばいいのか、分からなくなっていた。

何日も考えてきたはずの言葉が、全部、頭から抜け落ちていた。

先に口を開いたのは、勇者だった。


「ヴァルさん」

「……ああ」

「最初に、ちゃんと、顔を見せたくて」


勇者は、両手を、兜にかけた。

ヴァルグレイヴは、息を止めた。

入り口の陰で、リリエラが、静かに目を伏せた。

ネフィが、両手で口を押さえた。

シロが、尻尾を振るのをやめて、じっと見上げた。

召喚された日から、一人の時にしか外したことのない兜。

留め紐が、ほどかれた。


◆ ◆ ◆


兜の下から、黒い髪が、こぼれ落ちた。

肩の少し下まで伸びた、まっすぐな黒髪。

朝の風に、さらりと揺れた。

現れたのは、二十代の後半ほどの、女性の顔だった。

少し日に焼けた頬。きりっとした眉。

少し眠たそうな、穏やかな目。

目の下に、ほんの小さな泣きぼくろがあった。

美人、というよりは、どこにでもいそうな、けれど一度話したら忘れられない、人の好さそうな顔。

その顔が、少し照れくさそうに、笑っていた。


「改めまして。白石です」


ヴァルグレイヴは、動かなかった。

動けなかった。


「……」

「ヴァルさん?」

「…………」

「あの、ヴァルさん……?」

「…………女性、だったのか」


ようやく、それだけ、声が出た。

白石は、きょとんとした顔をした。


「はい。……あれ、言ってませんでしたっけ」

「聞いていない」

「あ、すみません。兜、ずっと被ってたので、てっきり、分かってるものかと……」

「分かるわけがあるか!」


思わず、声が大きくなった。白石が、びくっと肩を跳ねさせた。


「す、すまん。……いや、責めているのでは、ない」


ヴァルグレイヴは、額を押さえた。

頭の中で、三百年分ではなく、ここ数か月分の記憶が、一斉にひっくり返り始めていた。

歴代勇者は全員男性だったので、今回もそのように記載されています。

間者の、最初の報告書。

魅了が、効かないんですぅ。

窓の桟に、負けたんですぅ。

ネフィの、泣き声の念話。

勇者さん、絶対一緒にお風呂入ってくれないですよねぇ。

若い男か。……若い、ですぅ。

嵐の山小屋の、夜明け前の念話。


「……ネフィ」


露台の入り口で、夢魔の少女が、びくりと跳ねた。


「はいぃ……」

「お前、知っていたな」

「…………はいぃ」

「いつからだ」

「……嵐の、山小屋の、夜からですぅ……」

「なぜ、報告しなかった」


ネフィは、白石の方を見た。

それから、まっすぐに、主を見た。


「勇者さんが、自分で言いたくなる時まで、待つって、約束したからですぅ」


ヴァルグレイヴは、何も言えなかった。

それから、入り口の陰の、銀髪の秘書官を見た。


「……リリエラ。お前も、か」

「私は、存じませんでした」


リリエラは、静かに答えた。


「ただ、最初の報告書を拝見した時から、そうかもしれない、とは」

「なぜ、言わなかった」

「報告書に、そう書いてありませんでしたので」


秘書官は、涼しい顔で言った。


「それに、陛下が、勇者を、勇者として見る前に、

別のものとして見てしまうのは、良くないと思いましたので」


ヴァルグレイヴは、椅子に、深く、沈み込んだ。

シロが、のそのそと寄ってきて、魔王の膝に、慰めるように顎を乗せた。


「……ガルム。お前もか」


シロは、ぱたりと、一度だけ、尻尾を振った。


◆ ◆ ◆


白石は、そのやりとりを、少し困ったような、それでいて楽しそうな顔で見ていた。

ヴァルグレイヴは、胃のあたりを押さえながら、ようやく、体を起こした。

もう一つ、聞かねばならないことがあった。

三百年分の分析と、十数スレ分の推理の、答え。


「……白石殿」

「はい」

「そなたの、力のことだ」

「力?」

「毒を消し、瘴気を消し、呪いを消し、幻を消し、

亡者を成仏させ、湿原を湖にし、結界を消し、紋まで消した。

……あれは、いったい、何なのだ」


ヴァルグレイヴは、身を乗り出した。


「浄化の加護か。異界の聖なる術か。それとも、その布が、聖遺物なのか」


白石は、首を傾げた。

本当に、不思議そうに。


「えっと……力、っていうか……」


白石は、腰に差していた布を、手に取った。

使い込まれて、色の褪せた、くたくたの布。


「私、ただ、掃除してただけなんですけど」


露台に、沈黙が落ちた。


「…………そうじ」

「はい。前の世界で、清掃会社に勤めてたんです。

お客さんの家とか、会社とか、ビルとかに行って、掃除する仕事。

ハウスクリーニングとか、言うんですけど」


白石は、布を、少し誇らしげに見せた。


「汚れてるところを見ると、どうしても、放っておけなくて。

気になったら、つい、手を入れちゃうんです。

職業病、ですかね」

「…………」

「あ、この布は、普通のマイクロファイバーのクロスです。

百円ショップの。……すごく長持ちしてますけど」


ヴァルグレイヴは、白石の手の中の、くたくたの布を見つめた。

それから、空を見上げた。

三百年

十二人の勇者。毒殺、魔獣、罠、色仕掛け、呪いの装備、幻術、四天王、瘴気の湿原。

千の罠回廊。嘆きの腕輪。千年の幻術師の幻。

千の亡者。三百年の結界。異界の知恵者たちとの、二十余りのスレッド。

浄化の加護。聖遺物。解呪の眼。自然魔法。

掃除。


「…………そうじ、か」


ヴァルグレイヴは、椅子の背にもたれて、両手で顔を覆った。


「ヴァ、ヴァルさん!? 大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ」


顔を覆ったまま、魔王は言った。

肩が、震えていた。


「……大丈夫だ。ただ」


手のひらの下から、くぐもった声が漏れた。

笑っていた。


「ただ、我は、三百年で、一番……」


魔王は、とうとう、声を上げて、笑い出した。

腹の底から。涙が出るほど。

三百年、一度も、こんなふうに笑ったことはなかった。

入り口の陰で、リリエラが、そっと顔を背けた。

肩が、小刻みに震えていた。

ネフィが、しゃがみ込んで、膝に顔をうずめて笑っていた。

シロが、魔王の膝の上で、わふ、わふ、と鳴いた。

白石は、何が何だか分からないという顔で、きょろきょろと周りを見回していた。

それから、つられて、くすりと笑った。

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