第3話 千の罠回廊(前編)
「お任せくだせえ、陛下」
工兵隊長ドルガンは、ずんぐりした胸をどんと叩いた。
岩のような肌に、煤けた革の前掛け。背丈は魔王の腰ほどしかないが、
魔王城の城壁も、領内の橋も水路も、半分はこの男の手によるものだ。
「勇者の野郎が通る灰岩の渓谷。あそこに、わしら工兵隊の技術をありったけ詰め込んでやりまさあ」
ドルガンが広げた設計図には、渓谷を貫く街道が描かれていた。
その一本道に、赤い印がびっしりと打たれている。
「まず落とし穴。底には溶解スライムを敷き詰めて、落ちたら鎧ごと溶けまさあ。
穴の上は偽装布と土で覆って、熟練の盗賊でも見抜けやせん」
「うむ」
「次に、崖の上の落石。足元には魔蜘蛛の糸を張りまさあ。髪の毛より細くて目には見えねえ。
足が引っかかった瞬間、頭の上から岩が降ってくる寸法で」
「うむ」
「それから、街道の石畳に爆裂のルーンを刻みまさあ。踏めばドカン。
ルーンの上には隠蔽の粉を撒いて、魔力探知にも引っかからねえ」
「素晴らしい」
「最後に、出口の手前に粘着スライムの床。足を取られて動けなくなったところに、
両側の岩壁から毒矢が千本」
ドルガンは、にやりと笑った。
「名付けて、千の罠回廊。わしの百五十年の集大成でさあ」
ヴァルグレイヴは、深く頷いた。
完璧だった。罠は勇者に触れる前に発動する。
何を持っていようと、どんな加護があろうと、無力化する暇などない。
「頼んだぞ、ドルガン」
「へい!」
◆ ◆ ◆
五日後。
千の罠回廊は完成し、勇者は予定通り、灰岩の渓谷に足を踏み入れた。
『陛下、ピッチっす。勇者、渓谷に入ったっす。白いガルム様も一緒っす』
水晶玉の前で、ヴァルグレイヴとドルガンが並んで身を乗り出していた。
「さあ、来い」
ドルガンが拳を握りしめる。
『勇者、歩いてるっす。……あ、止まったっす』
「気づかれたか」
『いや、なんか……しゃがんで、地面を見てるっす』
水晶玉の中で、鎧の勇者が街道の真ん中にしゃがみ込んでいた。じっと、石畳を見つめている。
「罠を探っているのか」
「無駄でさあ。隠蔽の粉は、目でも魔力でも見抜けやせん」
『あ、立ち上がったっす。何か取り出したっす。木の枝を束ねたやつっす』
「枝?」
『それで、地面を……払ってるっす』
「払っている?」
水晶玉には、勇者が枝の束を左右に動かしながら、ゆっくりと歩く姿が映っていた。
一歩進んでは払い、また一歩進んでは払う。
ヴァルグレイヴは顎に手を当てた。
「……探知の儀式か。異世界の術かもしれん。枝の動きで罠の位置を探る、ダウジングの一種だろう」
「ぐぬぬ、小癪な」
その時、ピッチの声が上ずった。
『あ、あれ? 落とし穴が……穴が見えてるっす!』
「何?」
『偽装の布と土が、全部どけられてるっす! 穴が丸見えっす! 勇者、普通に避けて歩いてるっす!』
「馬鹿な!」
ドルガンが叫んだ。
『あ、溶解スライムの穴を覗き込んで……なんか、首を振ってるっす。呆れてるみたいな……』
「呆れるな! わしの傑作だぞ!」
ドルガンが水晶玉に向かって唾を飛ばす。
だが、異変はそれだけでは終わらなかった。
『陛下、落石の糸……ないっす』
「ない?」
『魔蜘蛛の糸、一本も見当たらないっす。勇者が手でこう、顔の前で払うみたいにして……
そしたら、なくなったっす』
「魔蜘蛛の糸は鋼より強いのだぞ! 手で払って切れるものか!」
『切れたんじゃなくて、なくなったっす。こう、ふわっと』
ドルガンの顔から、血の気が引いていく。
『ルーンの石畳に来たっす。勇者、また枝で払ってるっす。……あれ、ルーンが……』
「どうした。光ったか。爆発したか」
『……消えてるっす』
水晶玉に、勇者が通り過ぎた後の石畳が映った。
刻まれていたはずの爆裂のルーンは、跡形もなかった。
それどころか、石畳そのものが、切り出したばかりの新品のように白く輝いている。
「……わしが刻んだルーンは、石の奥まで魔力を染み込ませてあるんですぜ。
削ったって消えやしねえ。なのに……」
ドルガンの声が、震えていた。
最後の粘着スライムの床も、毒矢の岩壁も、結果は同じだった。
勇者がしゃがみ込み、何かをして、立ち上がる。
それだけで、罠はただの床になり、ただの壁になった。
たっぷり半日かけて、勇者は千の罠回廊を通り抜けた。
罠は一つも発動しなかった。
『勇者、渓谷を抜けたっす。……あと陛下、報告っす』
「……なんだ」
『渓谷の街道が、ものすごく綺麗になってるっす。
落とし穴以外、新品みたいっす。あと、また例の酸っぱい匂いがしてるっす』
ヴァルグレイヴは、隣のドルガンを見た。
工兵隊長は、膝から崩れ落ちていた。
「わしの……百五十年の……集大成が……」
「ドルガン」
「陛下……わしは、引退しまさあ……」
「待て。早まるな。お前がいないと来月の橋の架け替えが――」
目の前に、半透明の板が浮かぶ。
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【報告】勇者の進行度:15%
【通知】灰岩の渓谷の通行量が増加しました。
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「……通行量?」
後日、ヴァルグレイヴは知ることになる。
見違えるほど綺麗になった灰岩の渓谷の街道は、行商人たちの間で「歩きやすい」と評判になり、
通行税の収入が前月の倍になったことを。
魔王は、その報告書を前に、喜ぶべきか嘆くべきか、三十分ほど本気で悩んだ。




