↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
56/78

第19話 強制イベント(中編)

勇者が、剣を抜いた。

鞘走りの音が、静まり返った謁見の間に、細く響いた。

召喚されてから一度も抜かれたことのない刃が、朝日を受けて、白く光った。

刃の表面を、紋と同じ色の光が、脈打つように這っていた。

勇者は、一歩、踏み出した。

玉座の前に立つ、魔王に向かって。


「勇者さん! だめですぅ!」


ネフィが、勇者の右腕にしがみついた。

勇者は、振り向きもしなかった。

ただ、腕を一振りした。

それだけで、小柄な夢魔の体は、紙のように宙を舞い、広間の床を転がった。

あり得ない力だった。

勇者は、強くない。剣も、体術も、並の兵士と変わらない。

その勇者の腕が、ネフィを軽々と振り払った。

紋が、勇者の体を、動かしていた。


◆ ◆ ◆


シロが、勇者の前に立ちふさがった。

白銀の毛を逆立て、牙を剥き、低く唸る。

だが、跳びかかりはしなかった。

勇者に、牙を立てることはできなかった。

勇者の剣が、振り下ろされた。

シロは、避けなかった。

刃が、白い肩をかすめた。

白銀の毛並みに、赤い線が走る。

それでも、シロは、一歩も引かなかった。


「――異界の者よ!」


柱の陰から飛び出したモルドが、勇者の右手首をつかんだ。

骨の手と、紋の刻まれた手が、重なる。

二つの紋が、共鳴するように、ぎらりと光った。


「曇るな! そなたは、ここまで、己の手で曇りを拭ってきたのだろう! 我のように、なるな!」


勇者の動きが、一瞬だけ、鈍った。

だが、次の瞬間、紋の光が膨れ上がり、モルドの骨の手を、弾き飛ばした。

骸骨の体が、柱に叩きつけられ、乾いた音を立てて崩れかける。


「陛下を、お守りします!」


セルシアが、片手を振るった。

勇者の足元から、透き通った氷が這い上がる。

氷は、勇者の膝まで凍りついた。

そして、紋の光に触れた瞬間、ぱきり、と砕け散った。

バルドが、斧を構えて飛び出しかけた。

ドルガンが、工具を握りしめた。

ミラージュが、手鏡を掲げた。


「――手を出すな!」


ヴァルグレイヴの声が、広間を震わせた。

全員の動きが、止まった。


「誰も、勇者に手を出すな。……我が、行く」


◆ ◆ ◆


31:魔王 ◆VaLgRaVe

例の方が、剣を抜いた。紋に、体を操られている。

工作員も、狼も、元・最初の勇者も、氷の四天王も、止められなかった。

我が、行く。

剣は、抜かない。


32:名無しさん

魔王さん!?


33:名無しさん

剣抜かないって、それ……!


34:◆PDCAおじさん

魔王さん、待ってください!

「何が起きても、例の方に手を出さない」とは申しましたが、

ご自分の身を守ることまで、やめてくださいとは申しておりません!


35:魔王 ◆VaLgRaVe

>>34

分かっている。

だが、我が剣を抜けば、予言の通りになる。

魔王と勇者が、斬り合う。

システムの、望む通りに。

我は、それを、断る。


◆ ◆ ◆


ヴァルグレイヴは、玉座の前から、一歩、踏み出した。

黒いマントの裾が、床を擦った。

剣は、腰に下げたまま。

両手を、体の横に下ろして。

勇者も、一歩、踏み出した。

十二歩の距離が、十歩になった。

八歩。

五歩。

勇者の剣先が、ゆっくりと持ち上がった。

紋の光を帯びた刃が、魔王の胸の、真ん中を指していた。

三歩。

ヴァルグレイヴは、立ち止まった。

兜の奥が、見えなかった。

顔が、見えなかった。

ただ、そこから、何も見ていないような、空っぽの気配が伝わってきた。

召喚の日の勇者も、きっと、こうだったのだろう。

モルドも。そして、三百年の間に、我が手にかけた、十人の勇者たちも。


「……すまなかった」


ヴァルグレイヴは、誰にともなく、そう言った。

勇者が、踏み込んだ。

刃が、魔王の胸を、目がけて。

ヴァルグレイヴは、避けなかった。


◆ ◆ ◆


冷たいものが、脇腹を裂いた。

胸の真ん中ではなかった。

刃は、ほんのわずかに、逸れていた。

心臓から、拳一つ分、外れた場所に。

勇者の剣を握る手が、震えていた。

小刻みに。それから、だんだんと、激しく。

紋の光が、ちらちらと明滅していた。

まるで、何かと、争っているように。

ヴァルグレイヴは、脇腹に刃を受けたまま、勇者の兜を、見下ろした。

その奥にいる、誰かに向かって。


「――白石殿」


勇者の肩が、びくりと跳ねた。


「茶は、うまかった」


静かな声だった。

鍋直しの口調ではなく、魔王の声で。

勇者の手が、剣の柄から、離れた。

刃が、魔王の脇腹に刺さったまま、勇者の手から滑り落ちかける。

勇者の左手が、ぎこちなく、腰の荷物に伸びた。

何かを、探すように。


取り出したのは、布だった。

いつもの、布。

勇者は、震える左手で、その布を、自分の右手の甲に押し当てた。

紋の上に。

拭った。

何度も。

何度も。

必死に。

紋の光が、布の下で、暴れるように明滅する。

落ちなかった。

紋は、色一つ変えなかった。

それでも、勇者は、拭うのをやめなかった。

兜の奥から、くぐもった、嗚咽のような声が漏れていた。


「……ヴァル、さん」


かすれた声だった。勇者の、本当の声だった。


「ごめん、なさい……結界、拭いちゃって……ごめんなさい……」


ヴァルグレイヴの喉の奥が、焼けるように熱くなった。


――――――――――


【警告】強制イベントに、異常が発生しています。

【警告】勇者の制御が、維持できません。

【通知】強制イベントを、中断します。

【通知】勇者を、回収します。


――――――――――


全ての者の前に、板が浮かんだ。

そして、勇者の体が、光り始めた。

右手の紋から、腕へ、肩へ、胸へ。

光が、勇者の全身を、包み込んでいく。

鎧が、輪郭を失っていく。


「――勇者さんっ!」


床に倒れていたネフィが、跳ね起きた。

翼を広げ、一直線に勇者に飛びつく。

光に包まれた勇者の腕に、しがみつく。

ヴァルグレイヴは、手を伸ばした。

勇者の、布を握った左手に向かって。

指先が、触れた。

その瞬間、光が弾けた。


◆ ◆ ◆


光が消えた時、広間の中央には、誰もいなかった。

勇者も、ネフィも。

ヴァルグレイヴの手の中に、一枚の布だけが、残っていた。

何の変哲もない、使い込まれた布。

端がほつれ、何度も洗われて、色が褪せている。

シロが、空っぽになった床に駆け寄って、匂いを嗅ぎ回った。

それから、天井に向かって、長く、長く、遠吠えをした。

広間中の誰も、声を出せなかった。

ヴァルグレイヴは、脇腹に刺さったままの剣にも気づかず、手の中の布を、見つめ続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。