第18話 呪われた古城(後編)
魔王城の手前、街道から少し外れた丘の上に、崩れかけた古城がある。
三百年前、聖王国軍が魔王領に攻め込んだ時、最後の拠点とした砦だ。
城壁は半ばまで崩れ、塔は折れ、中庭には枯れた蔦が絡みついている。
魔王領の民は、ここを「呪われた古城」と呼んで近づかない。
その中庭に、勇者は立っていた。
ネフィとシロは、崩れた門の外で待っていた。
モルドが、そう望んだからだ。
バルドと北方守備軍は、丘の麓を固めている。
水晶玉越しに、ヴァルグレイヴは、その光景を見ていた。
ピッチが、折れた塔の上から、中庭を見下ろしている。
中庭の真ん中に、骸骨が立っていた。
◆ ◆ ◆
「来てくれたか、異界の者よ」
モルドの声は、古戦場の朝と同じように乾いていた。けれど、どこか、穏やかだった。
勇者は、骸骨の前で、小さく頭を下げた。
「お久しぶりです。……あの時の」
「覚えていたか」
「はい。あの国を信じるなって、言ってくれた人ですよね」
モルドの顎の骨が、かたかたと鳴った。
笑ったのだと、ヴァルグレイヴには分かった。
三百年で、初めて聞く音だった。
「異界の者よ。そなたに、話がある。三百年、誰にも話さなかった話だ」
骸骨は、崩れた城壁の石に、ゆっくりと腰を下ろした。
「我の名は、モルドではない」
勇者が、首を傾げた。
「森戸、という」
風が、中庭の枯れ蔦を揺らした。
勇者が、息を呑んだのが、水晶玉越しにも分かった。
「……もりと」
「この世界の者たちは、うまく発音できなくてな。
モリト、モルト、モルド。いつの間にか、そう呼ばれるようになった」
骸骨は、骨の指で、錆びた指輪を撫でた。
「我は、そなたと同じ国から来た。もっとも、そなたの知る国とは、ずいぶん違うだろうが」
「同じ、国」
「将軍様が江戸におわした頃だ。我は、しがない下級の武士だった。
ある晩、勤めの帰りに、足元が光ってな。
気がつくと、この世界の、埃っぽい広間に立っていた」
◆ ◆ ◆
執務室で、ヴァルグレイヴは、水晶玉の前に立ち尽くしていた。
ニホン。
モルドが。三百年、隣にいた、あの骸骨が。
◆ ◆ ◆
「聖王国の王は言った。魔王を倒せ、と」
モルドは、遠くを見るように、眼窩の炎を揺らした。
「我は、何の疑いも持たなかった。
知らぬ国に呼ばれ、知らぬ化け物を斬れと言われて、ただ、はい、と答えた。
主君の命に従うのが武士の務めだと、そう思っていた。
いや、思わされていた」
骸骨は、右手を持ち上げた。
骨だけになった手の甲に、うっすらと、紋様が刻まれていた。
骨に、直接。
円と線を組み合わせた、複雑な模様。
勇者の右手の紋と、同じ形だった。
「この紋だ」
モルドは、静かに言った。
「この紋は、疑いを曇らせる。
命じられたことに、疑問を抱かせぬ。
召喚された勇者が、誰一人として、魔王討伐を拒まぬのは、そのためだ」
勇者は、自分の右手を、左手で握りしめた。
「旅の間に、曇りは、少しずつ晴れていった。
魔王領の民が、穏やかに暮らしているのを見て。
聖王国の兵が、魔王領の村を焼くのを見て」
「……村を」
「そうだ。三百年前の聖王国は、まだ大きかった。
魔王に任じられたばかりの若い男を、侮っていた」
モルドの眼窩の炎が、一瞬、強く燃えた。
「この古城から、聖王国軍は打って出た。
南の平原で、魔王軍と最後の戦をした。
我は、その先頭に立たされていた」
「古戦場の、平原……」
「そうだ。そなたが、千の亡者を拭った、あの平原だ」
勇者が、言葉を失った。
「我は、戦場の真ん中で、剣を下ろした。
魔王軍の中に、怯えた顔の少年兵がいた。
斬れなかった。
斬る理由が、どこにも見つからなかった」
骸骨の声が、かすかに、震えた。
「その瞬間、紋が、燃えた。
聖騎士団長が、指輪を光らせたのだ。
この指輪を」
モルドは、錆びた指輪を、勇者に見せた。
「我は、平原に倒れた。
そして、そのまま死んだ。
……いや、死にきれなかった。
怒りと、悔しさと、果たせなかったことが、我を、この骨に縛りつけた」
◆ ◆ ◆
ヴァルグレイヴは、水晶玉にしがみつくようにして、それを聞いていた。
覚えていた。
三百年前、魔王に任じられて最初の戦。
南の平原。
押し寄せる聖王国軍の先頭に、一人の男がいた。
異界の勇者だと聞いていた。
その男が、戦場の真ん中で、剣を下ろした。
魔王軍の少年兵の前で。
そして、突然、胸を押さえて倒れた。
ヴァルグレイヴは、自軍の矢が当たったのだと思っていた。
三百年、ずっと、そう思っていた。
――あの時の。
「……モルド」
水晶玉に向かって、ヴァルグレイヴは呟いた。
声は、届かなかった。
◆ ◆ ◆
「骨になった我は、聖騎士団長を探し出し、この指輪を奪った。
そして、魔王軍に身を投じた」
モルドは、静かに続けた。
「次の勇者に、真実を伝えるために。
紋のことを。
あの国のことを。
……だが、それは、果たせなかった」
「どうして……」
「三百年、十人の勇者が召喚された。
皆、紋に心を曇らされたまま、魔王に向かってきた。
そして、皆、我が近づく前に、毒で、罠で、刃で、倒れていった」
骸骨の頭が、わずかに垂れた。
「魔王を責めはせぬ。
魔王もまた、予言という紋に縛られていた。
勇者を殺さねば、己が殺されると。
……我らは皆、同じ板に、踊らされていたのだ」
中庭に、長い沈黙が落ちた。
勇者は、骸骨の前にしゃがみ込んで、その骨の手を、そっと両手で包んだ。
紋の刻まれた、骨の手を。
「……教えてくれて、ありがとうございます。森戸さん」
モルドの眼窩の炎が、ゆらりと揺れた。
「異界の者よ。
そなたは、十二人目だ。
そして、初めて、曇りが晴れたまま、ここまで来た」
「晴れた……」
「そなたの手は、あらゆるものの曇りを拭う。
……己の心の曇りまで、知らず知らずのうちに、拭っていたのだろう。
紋そのものは、拭えずとも」
骸骨は、勇者の兜を、まっすぐに見つめた。
「だが、気をつけよ。
指輪は砕けた。
だが、紋は、まだそなたの手にある。
紋の主は、聖王国ではない。
あの板の、向こうにいるものだ」
「……システム」
「そう呼ぶのか。
あれが望めば、そなたの心は、再び曇らされる。
いや、曇らされるだけでは済むまい。
魔王の前に立ったその時、あれは、必ず何かを仕掛けてくる」
勇者は、黙って頷いた。
モルドは、ゆっくりと立ち上がった。
「我の、果たさねばならぬことは、果たした」
「森戸さん」
「異界の者よ。一つ、頼みがある」
骸骨は、背を向けかけて、振り返った。
「全てが終わったら。我を、拭ってくれ」
勇者は、骨の手を包んでいた自分の手を、ぎゅっと握りしめた。
「……はい。約束します」
◆ ◆ ◆
モルドが古城を去った後、ヴァルグレイヴは、執務室で、長いこと動けなかった。
やがて、掲示板を開いた。
35:魔王 ◆VaLgRaVe
見届けた。
あの四天王は、三百年前、最初に我のもとへ送り込まれた勇者だった。
お前たちと同じ国から来た者だ。
将軍が江戸にいた頃の、武士だったそうだ。
戦場で、我の兵を斬れずに剣を下ろし、紋に殺された。
我は、三百年、それを、我が軍の矢に当たったのだと思っていた。
36:名無しさん
え
37:名無しさん
江戸時代の人!?
38:名無しさん
三百年前の日本人……
39:名無しさん
もしかして、名前も日本の名前がなまったやつだったりする……?
40:◆PDCAおじさん
>>35
……魔王さん。
私の推理は、当たっていたのですね。
紋は、命だけでなく、心まで握っている。
例の方が、召喚された日に、何の疑いもなく城を出たのも。
41:魔王 ◆VaLgRaVe
>>40
そうだ。
そして、例の方は、旅の中で、自分の手で、その曇りを少しずつ拭っていった。
だから、ここまで来られた。
十二人の中で、初めて。
42:名無しさん
例の方……
43:名無しさん
すごすぎる
44:魔王 ◆VaLgRaVe
だが、紋は、まだ例の方の手にある。
システムが望めば、例の方の心は、再び曇らされる。
我が例の方と会う時、システムは、必ず何かを仕掛けてくる。
45:◆PDCAおじさん
>>44
魔王さん。最悪の事態を、想定しておきましょう。
それが、リスク管理です。
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【報告】勇者の進行度:96%
【通知】予言の成就まで、あと一日。
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