第13話 掲示板のない日々(前編)
異界掲示板が、開かなくなった。
スキルの一覧には、まだ名前が残っている。
だが、発動しようとすると、灰色の文字が浮かぶだけだった。
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【通知】このスキルは、現在制限されています。
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一日目、ヴァルグレイヴは、朝に三回、昼に五回、夜に十二回、スキルを発動しようとした。
二日目は、もっと多かった。
「陛下」
書類を抱えたリリエラが、執務室の扉の前で立ち止まった。
「それで、本日四十回目です」
「……数えるな」
「数えております。胃薬の回数と同じく」
ヴァルグレイヴは、何もない空間に伸ばしかけていた手を、そっと下ろした。
◆ ◆ ◆
三日目の夜。
執務室の机の上には、一枚の羊皮紙が置いてあった。
P。D。C。A。
反省会スレの後、自分で書きつけた四つの文字だ。
異界の課長が教えてくれた、仕事の作法。
ヴァルグレイヴは、羊皮紙を見つめながら、自分に問いかけた。
Check。この三日間、自分は何をしていたか。
掲示板を開こうとしていた。
それだけだ。
開かない扉を、何十回も叩いていた。
「……情けない」
三百年、魔王として、一人で国を治めてきた。
誰にも相談せず、誰にも弱音を吐かず。
それが当たり前だった。
それが、たった十数回、異界の者たちと言葉を交わしただけで、一人では何も決められなくなっている。
「陛下」
茶を運んできたリリエラが、羊皮紙を覗き込んだ。
「異界の方々が、恋しいのですか」
「……恋しい、というのとは違う」
ヴァルグレイヴは、言葉を探した。
「あの者たちは、我を魔王として見ていなかった。
草だの、律儀だの、胃が弱いだの、好き勝手に言った。
だが、我が困っていれば、本気で考えてくれた。
泣いてもくれた」
「はい」
「三百年、そういう相手は、お前しかいなかった」
リリエラの手が、一瞬だけ止まった。
秘書官は、何も言わずに茶を置いた。
いつもより、少しだけ丁寧な置き方だった。
◆ ◆ ◆
四日目の朝。
ピッチが、一通の封筒を運んできた。
安物の便箋。
四隅がぴたりと揃った、丁寧な折り目。
「ネフィさん経由で、勇者さんからっす」
ヴァルグレイヴは、封を切った。
拝啓
先日は、四天王の方の件でお知らせをいただき、ありがとうございました。
おかげさまで、少し火傷をしましたが、無事です。
ネフィが一晩中看病してくれました。
さて、改めてのお願いです。
魔王様にお会いする日取りを、ご相談させていただけないでしょうか。
突然お城に伺うのはご迷惑かと思いましたので、魔王様のご都合をお聞かせいただけましたら幸いです。
末筆ながら、胃をお大事に。
敬具 白石
ヴァルグレイヴは、便箋を机に置いた。
日取りを相談したい。
会いに来る、と書いてきた勇者が、今度は、こちらの都合を聞いてきた。
「……どうする」
思わず、口に出していた。
誰に聞いたのか、自分でも分からなかった。
いつもなら、ここで掲示板を開いていた。
会うべきか。
会わざるべきか。
予言は、システムは、勇者の中の、勇者自身も知らない力は。
住人たちなら、何と言うだろう。
会えばいいじゃん、と、誰かが言うだろう。
慎重派は、場所と方法を考えろ、と言うだろう。
課長は、きっと、こう聞く。
――魔王さんのゴールは、何ですか。
ヴァルグレイヴは、目を閉じた。
生き延びること。
三百年、それだけを考えてきた。
だが今は、それだけではない気がしていた。
民が、咳をせずに眠れること。
子どもが、魔王と勇者のどちらも好きだと言えること。
話をしに来ると言った者に、きちんと返事をすること。
「……リリエラ」
「はい」
「便箋を持ってきてくれ。上等なものを」
◆ ◆ ◆
ヴァルグレイヴは、羽ペンを取った。
書き出しで、三度、手が止まった。
ハイケイ、というものを、どう書けばいいのか分からなかったからだ。
結局、魔王の流儀で書くことにした。
白石殿。
書状、受け取った。火傷が癒えたと聞き、安堵している。
ネフィには、我からも礼を言っておく。
会おう。魔王城にて、待つ。日取りは、貴殿の足の向くままで構わぬ。
急ぐ必要はない。道中、無理をするな。困りごとがあれば、ネフィを通じて知らせよ。
我の胃のことは、気にせずともよい。……いや、気遣いには、礼を言う。
魔王ヴァルグレイヴ
書き終えた便箋を、ヴァルグレイヴは、三度読み返した。
誰にも相談せずに書いた。
誰の意見も聞かずに決めた。
それなのに、不思議と、胃は痛まなかった。
「ピッチに渡してくれ」
「承知しました」
リリエラが便箋を受け取った、その時だった。
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【警告】勇者との面会は、許可されていません。
【警告】魔王の決定を、取り消してください。
【警告】取り消してください。
【警告】取り消してください。
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板が、何枚も、重なるように浮かび上がった。
ヴァルグレイヴは、それを、しばらく黙って見ていた。
三百年、この板に従ってきた。
「――断る」
魔王は、初めて、板に向かってそう言った。
板が、一瞬だけ、揺らいだように見えた。
「行け、リリエラ」
秘書官は、一礼して、執務室を出ていった。
その背中が、いつもよりまっすぐに伸びているように、ヴァルグレイヴには見えた。




