第12話 兜の下の秘密(前編)
ネフィは、仕事のできる女だった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
魔王軍諜報部、夢魔族の工作員。
標的に近づき、心を開かせ、必要な情報を抜き取る。
それがネフィの仕事で、ネフィはそれが得意だった。
歴代の勇者のうち二人を骨抜きにしたのも、ネフィだ。
だから、陛下から「勇者のことを教えてほしい」と頼まれた時、ネフィは張り切った。
今度こそ、ちゃんと仕事をしよう。
攻撃のためじゃなくて、知るために。そういう仕事なら、きっと、胸を張ってできる。
◆ ◆ ◆
「勇者さんって、どこの国から来たんですかぁ?」
朝の街道を歩きながら、ネフィは何気ない風を装って聞いた。
白石は、少し考えてから答えた。
「日本っていう国。海に囲まれた、細長い島国でね。
春夏秋冬がはっきりしてて、春には桜っていう花が、一斉に咲くの」
「ニホン……。サクラ……」
ネフィは、頭の中の帳面に書き留めた。
「どんなお仕事してたんですかぁ?」
「うーん……」
白石は、また少し考えた。
「人の家とか、会社とかに行って、困ってることを片付ける仕事、かな」
「何でも屋さんですかぁ?」
「そんな感じ。もっと地味だけど」
兜の奥の声が、少しだけ笑っていた。
ネフィは、それも帳面に書き留めた。
困っていることを片付ける仕事。
毒を拭き、罠を払い、呪いを消し、亡者を成仏させ、湿原を湖にする。
それが地味な仕事だというなら、ニホンという国は、いったいどれほど恐ろしいところなのだろう。
◆ ◆ ◆
その夜、ネフィは陛下に念話で報告した。
『勇者さんの故郷は、ニホンという島国だそうですぅ。
春にサクラという花が咲くってぇ。
お仕事は、人の困りごとを片付ける、何でも屋さんみたいなものだったそうですぅ』
『……そうか』
陛下の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
『ご苦労だった。続けてくれ。無理は、しなくていい』
念話が切れた後、ネフィはしばらく、焚き火を見ていた。
無理はしなくていい。
陛下にそんなことを言われたのは、初めてだった。
◆ ◆ ◆
二日目も、三日目も、ネフィは白石に質問を続けた。
好きな食べ物は。甘いもの。
特に、白くてふわふわした、ダイフクというお菓子。
家族は。両親が、ニホンの田舎にいる。
年に一度しか帰れなかった。
嫌いなものは。虫。特に、黒くて素早いやつ。
こちらの世界に来て、一番驚いたことは。夜空の星が多すぎること。
一つ聞くたびに、ネフィの帳面は埋まっていった。
そして、一つ聞くたびに、ネフィは少しずつ、自分の胸の奥が、きゅっと痛くなるのを感じていた。
白石は、どこにでもいる、普通の人だった。
甘いものが好きで、虫が嫌いで、家族に会いたくて、星空に驚く。
そんな普通の人が、ある日いきなり知らない世界に呼ばれて、
魔王を倒せと言われて、剣一本で放り出された。
ネフィは、それを考えないようにしていた。
考えると、陛下の命令で毒の短剣を握った夜のことを、思い出してしまうから。
◆ ◆ ◆
四日目。
一行は、山あいの温泉町に着いた。
湯けむりがあちこちから立ちのぼり、硫黄の匂いが漂っている。
宿の前には、大きな露天風呂の看板が出ていた。
「勇者さぁん! 温泉ですよぉ! 今日こそ、一緒に入りましょうよぉ!」
ネフィは、わざと明るく言った。
半分は本気で、半分は、仕事だった。
白石は兜を被ったまま、いつものように首を振った。
「ネフィ、先に入ってきて。後で入るから」
「えぇー。またですかぁ」
「うん。ごめんね」
謝られてしまうと、それ以上は押せなかった。
ネフィは一人で露天風呂に浸かりながら、ぼんやりと空を見上げた。
白石は、兜を外さない。人前では、一度も。
食事の時も、兜の隙間からスプーンを入れる。
寝る時も、兜を被ったまま壁にもたれている。
風呂は、ネフィが寝静まった後に一人で行く。
最初は、顔に傷でもあるのだと思っていた。
あるいは、異界人特有の、見られたくない何かがあるのかと。
でも、焚き火の夜に見た、白石の左腕。
火傷の手当てで、初めて見た、鎧の下の腕。
細かった。とても。剣を振る者の腕でも、荷を運ぶ者の腕でもなかった。
あの時、ネフィの頭に浮かんだ考えがあった。
浮かんで、すぐに打ち消した。まさか、と。
「……まさか、ですよねぇ」
ネフィは、湯の中で膝を抱えた。
山の向こうの空が、どんよりと曇り始めていた。
◆ ◆ ◆
温泉町を出たのは、翌朝だった。
次の町へ向かうには、峠を一つ越えなければならない。
宿の主人は、空を見上げて顔をしかめた。
「お客さん、今日は峠を越えるのはやめた方がいい。山の天気が崩れそうだ」
白石は、少し迷ってから、首を振った。
「ありがとうございます。でも、急がないといけないので」
ネフィは、その声が、少しかすれていることに気づいた。
「勇者さん、声、変じゃないですかぁ?」
「ん? そう? 寝起きだからかな」
白石は、何でもないように答えた。
その左腕の包帯が、少しだけ、赤黒く滲んでいることに、ネフィはまだ気づいていなかった。




