↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
33/64

幕間⑪ 白石、煙突の詰まった人に会う

大きな人だった。

赤銅色の肌に、燃えている髪。白石の倍はある背丈。

そして胸の真ん中に、鉄の格子のはまった、暖炉みたいなものがついていた。

その暖炉から、もくもくと黒い煙が出ていた。


「腑抜けた魔王の代わりに、俺が貴様を焼き尽くす!」


大きな人は、そう叫んで笑った。

笑うたびに、胸の暖炉から黒い煙がどっと吹き出して、大きな人はげほげほと咳き込んだ。


(……あの人、苦しくないのかな)


最初に思ったのは、それだった。


◆ ◆ ◆


シロが飛び出していった。

白い毛並みと、赤い炎がぶつかる。

シロが噛みつき、大きな人が殴る。

丘の中腹が、あっという間に炎の海になった。

ネフィが、白石の前に紫色の壁を張ってくれた。

周りを取り囲んだ火を吐くトカゲたちの炎を、必死に防いでいる。

白石は、剣を握ったまま、何もできずに立っていた。

分かっていた。自分は強くない。

剣はまともに振れないし、魔法も使えない。

こういう戦いでは、足手まといにしかならない。

シロが、殴り飛ばされた。白い体が、丘を転がり落ちていく。


「シロ!」


叫んだ瞬間、ネフィの壁が、ぱりんと割れた。

目の前が、真っ赤になった。


◆ ◆ ◆


熱い、と思う暇もなかった。

気がつくと、地面に倒れていて、ネフィが白石の上に覆いかぶさっていた。

ネフィの背中の小さな翼が、焦げて煙を上げていた。


「勇者さんっ……勇者さん……!」


左腕が、痛かった。

鎧の籠手が熱で歪んで、その下の腕が、じんじんと焼けるように痛んだ。


「……ネフィ、翼」

「わたしは平気ですぅ! 勇者さんの腕が……!」


ネフィは泣いていた。泣きながら、白石を抱きかかえて、丘の上から逃げようとしていた。

白石は、ネフィの腕をそっと押しのけて、立ち上がった。

大きな人が、丘の麓で笑っていた。笑いながら、咳き込んでいた。

胸の暖炉から吹き出す黒い煙が、空を覆い隠すほどに広がっていた。


(あれ、煙突が詰まってるんだ)


元の世界で、古い家の暖炉や薪ストーブを見たことがある。

煙突に煤が溜まると、煙がうまく抜けずに、部屋の中に逆流する。

火の燃え方も悪くなって、黒い煙ばかり出るようになる。

あの人の胸の暖炉は、まさにそれだった。

三百年分くらいの煤が、格子の奥にびっしりこびりついている。

だから、あの人の炎は、あんなに黒くて、苦しそうなんだ。


「勇者さん、どこ行くんですかぁ!」

「ちょっと、気になるところがあるから」


白石は、荷物から布を取り出した。


◆ ◆ ◆


炎の中を歩くのは、思っていたよりずっと熱かった。

鎧が焼けて、肌に張りつく。息を吸うと、喉が焦げそうだった。

それでも、足を止めなかった。止めたら、たぶん、もう二度と歩けない気がした。

大きな人が、驚いた顔で白石を見下ろしていた。


「貴様……なぜ避けん!」


白石は答えずに、その胸に手を伸ばした。

鉄の格子に、布を当てる。

熱い。布が焦げそうだった。でも、焦げなかった。

不思議なことに、布はいつも、白石が手を入れている間だけは、何にも負けなかった。

格子の隙間から、奥の煤を掻き出すように。一本一本、丁寧に。

気になったので、手を入れた。

大きな人の拳が、白石の頭の上で、止まっていた。


◆ ◆ ◆


格子の最後の一本を拭き終えた時、ごう、と音がした。

暖炉の奥の炎が、色を変えた。

赤黒く濁っていた炎が、すうっと澄んで、青くなった。

ガスコンロの火みたいな、きれいな青。黒い煙が、ぴたりと止まった。

空を覆っていた煙が、風に流されて、晴れていった。

大きな人が、膝をついた。

胸に手を当てて、大きく、大きく、息を吸い込んだ。


「……息が、吸える」


かすれた声だった。


「三百年……ずっと、煙が詰まっていた。息をするたびに、胸の奥が焼けるようだった。それが……」


大きな人は、白石を見上げた。赤い目が、潤んでいた。

それから、空に向かって、大声で笑い出した。

さっきまでの、咳まじりの笑いではなかった。

腹の底から、気持ちよさそうに、どこまでも響くような笑い声だった。

火を吐くトカゲたちが、きょとんとした顔で、主人を見ていた。


「引け! 炎を戻せ!」


大きな人が叫ぶと、森を焼いていた炎が、しゅるしゅると縮んで、トカゲたちの口に戻っていった。

大きな人は立ち上がり、白石に背を向けた。


「異界の勇者よ。この借りは、いつか必ず返す」


そう言い残して、大きな人は、トカゲたちを引き連れて、北へ去っていった。


◆ ◆ ◆


白石は、その場にへたり込んだ。

左腕が、今になって猛烈に痛み始めた。

シロが、煤だらけの体で丘を這い上がってきて、白石の隣にどさりと座った。

ネフィが、泣きながら飛びついてきた。


「勇者さんのばかぁ……ばかばかばかぁ……!」

「うん。ごめん」


白石は、焼けていない右手で、ネフィの頭を撫でた。

焦げた翼を、そっと撫でた。


「ネフィ、守ってくれてありがとう」


ネフィは、白石の胸に顔を埋めて、わんわん泣いた。


◆ ◆ ◆


その夜。

焚き火のそばで、ネフィが白石の左腕の手当てをしてくれた。

歪んだ籠手を外し、焼けた鎧の袖を、慎重に切り開いていく。

火傷は、思っていたよりひどくなかった。赤く腫れてはいるけれど、水ぶくれは小さい。


「……よかったですぅ。跡、残らないと思いますぅ」


ネフィが、ほっとしたように息をついた。

それから、薬を塗った白石の腕を、じっと見つめた。

細い腕だった。鎧を着ていない腕を、ネフィに見せるのは、初めてだった。

ネフィは、何か言いかけて、口を閉じた。

包帯を巻き終えて、ネフィが立ち上がった時、ネフィの耳がぴくりと動いた。

誰かの声を聞いている顔だった。

しばらくして、ネフィは、焚き火の向こうの暗がりを見つめたまま、小さく呟いた。


「……陛下が、勇者さんのこと、教えてほしいって」

「魔王が?」

「はい。攻撃のためじゃなくて、知りたいからって」


ネフィは、白石の方を振り返った。

焚き火の光が、紫の瞳に揺れていた。


「勇者さん。わたし、勇者さんのこと、もっと知りたいですぅ」


白石は、ネフィの目を見返した。

なんだか、いつもと違う目だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。