第9話 魔王の布告(前編)
布告は、魔王領の全ての町と村に張り出された。
「聖王国より召喚されし勇者、魔王を討つべく魔王領を北上中。民は、これに協力せぬこと」
嘘は一つもない。魔王の署名と、黒い竜の紋章の印。
ヴァルグレイヴは、これで勇者が少しでも孤立すればいいと考えていた。
宿に泊まれず、食料を買えず、誰からも道を教えてもらえない。
そうなれば、勇者の歩みは鈍る。
一週間後。
「陛下」
リリエラが、執務室の扉を開けた。
両腕に、羊皮紙の束を抱えていた。
束というより、山だった。秘書官の顔が、半分しか見えない。
「布告への、民からの反応です」
「……多いな」
「これで、一日分です」
リリエラは、山を机の上に下ろした。机がみしりと鳴った。
ヴァルグレイヴは、一番上の一枚を手に取った。
「『魔王陛下。布告、拝見いたしました。
あの勇者様が、この北街道を通られるのですね。
つきましては、我が町の井戸が十年来濁っておりまして、
もしよろしければ勇者様にお立ち寄りいただけるよう、お取り計らいを』」
次の一枚。
「『勇者様の進路のご予定を、詳しくお教えください。町を挙げて歓迎の準備をいたしたく』」
次。
「『うちの村の教会の鐘が、百年前から錆びついて鳴りません。
勇者様に一度見ていただけないでしょうか』」
次。
「『協力するなとのお達し、承知いたしました。協力はいたしません。
ただ、勇者様が勝手に我が町の下水道を綺麗にしてくださる分には、
構わないものと理解しております』」
ヴァルグレイヴは、羊皮紙を置いた。
「……リリエラ。これは、どういうことだ」
「布告が、勇者の進路予告として読まれております」
秘書官は、淡々と答えた。
「灰岩の渓谷の街道。腐泥の大湿原。勇者の噂は、すでに魔王領の南半分に広まっておりました。
そこへ陛下の名で、『その勇者がこちらへ来る』と、正式に布告が出たわけです」
「…………」
「民にとっては、朗報だったようです」
ヴァルグレイヴは、頭を抱えた。
◆ ◆ ◆
報告は、日に日に増えていった。
商業組合からの報告。北街道沿いの町で、勇者にあやかった品が売れているという。
「勇者の布」と称する手ぬぐいが飛ぶように売れ、「勇者の湖の干物」が名物になりつつある。
治安部隊からの報告。勇者の一行が町に入るたび、人だかりができて交通が麻痺する。
整理のために兵を出しているが、兵も勇者を一目見ようとして持ち場を離れる。
財務官からの報告。北街道沿いの町の、宿屋と飲食店の売り上げが、前年同月比で四割増。
「……四割」
「勇者の経済効果、とでも申しましょうか」
ヴァルグレイヴは、目頭を押さえた。
「ネフィ」
念話を繋ぐと、背後でにぎやかな笑い声が聞こえた。
『はぁい、陛下ぁ。今、町の歓迎会に出てますぅ』
「歓迎会」
『勇者さん、町の人たちに囲まれて、井戸とか鐘とか見て回ってますぅ。
みんな、「魔王様の布告で知りました」って言ってますぅ。
陛下、ありがとうございますぅ』
「礼を言うな」
『あ、それとぉ、町の人たちの間で、新しい噂が出てるんですぅ』
「……何だ」
『魔王様が布告を出したのは、勇者様のために、進路の町に準備をさせるためだったんじゃないかって。「協力せぬこと」っていうのは、勇者様にお金や物を押しつけて困らせないように、
っていうお心遣いだって』
ヴァルグレイヴは、念話を切った。
◆ ◆ ◆
その夜。
陳情書の山を前に、ヴァルグレイヴは黙々と羽ペンを走らせていた。
一枚一枚に目を通し、返答を書く。井戸の件は、水道局に調査を命じる。
鐘の件は、工兵隊に修理を依頼する。下水道の件は、予算をつける。
勇者を通すかどうかの返答は、書かなかった。書けなかった。
「陛下。夜も更けました。続きは明日に」
「いや、今日のうちに片付ける。民が待っている」
リリエラは、それ以上何も言わず、茶を淹れ直した。
山の中ほどまで来た時、ヴァルグレイヴの手が止まった。
一枚の、粗末な紙。子どもの字だった。
「まおうさまへ。ゆうしゃさまと、まおうさまは、けんかしてるの?
なかなおりしてほしいです。どっちもすきだから」
魔王は、その紙を、長いこと見つめていた。
――――――――――
【報告】勇者の進行度:52%
【警告】魔王領における勇者の支持率が、魔王の支持率に接近しています。
――――――――――
「……支持率」
システムは、そんなものまで数えていたのか。
ヴァルグレイヴは、子どもの手紙を、そっと陳情書の山から抜き取った。
それから、机の引き出しの、沼地の村の札の隣にしまった。
「リリエラ」
「はい」
「我と勇者は、喧嘩をしているのだろうか」
秘書官は、少し考えてから答えた。
「少なくとも、勇者の方は、そう思っていないように見えます」




