幕間⑥ 白石、チェーン店に泊まる
感じのいい町だった。
石畳の通りに、パンの焼ける匂い。
噴水のある広場。
宿の女将さんは恰幅のいい人で、「よく来たねえ、ゆっくりしておいき」と笑ってくれた。
ただ、少しだけ、全体的に曇っていた。
窓ガラスも、看板も、石畳も。薄い膜が一枚かかっているような、ぼんやりした感じ。
古い写真みたいだな、と白石は思った。
泊まった部屋の窓が特に気になったので、手を入れた。
拭き終わると、窓の外の景色がくっきりして、気持ちが良かった。
シロは、町に入ってからずっと耳を伏せていた。
ネフィも、なんだか口数が少ない。
「二人とも、疲れた?」
「わふ……」
「だ、大丈夫ですぅ……」
二人とも、目が泳いでいた。
◆ ◆ ◆
翌朝、町の西門を出て、半日歩いた。
次の町に着いた。
石畳の通りに、パンの焼ける匂い。
噴水のある広場。
宿の女将さんは恰幅のいい人で、「よく来たねえ、ゆっくりしておいき」と笑ってくれた。
(……似てるな)
というより、そっくりだった。
宿の造りも、部屋の間取りも、女将さんの顔も。
白石は少し考えて、ああ、と納得した。
(チェーン店だ)
元の世界にもあった。
どこの駅前に行っても同じ看板、同じ間取り、同じ朝食のビジネスホテル。
出張の多い先輩が「どこに泊まっても同じ部屋だから、今どこにいるか分からなくなる」
とぼやいていたのを思い出す。
女将さんがそっくりなのは、たぶん姉妹か何かだろう。
この地方では、一族で宿を経営しているのかもしれない。
ただ、この町の宿は、最初からなぜか窓が綺麗だった。
看板も、昨日の町より少しだけ明るい。
(こっちの店舗の方が、手入れが行き届いてるな)
感心しながらも、他の場所はやっぱり曇っていたので、気になったところに手を入れた。
◆ ◆ ◆
三日目
西門を出て、半日歩いて、次の町に着いた。
石畳の通りに、パンの焼ける匂い。
噴水のある広場。
宿の女将さんが、白石を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。
「あら! あんたが来てから、なんだか町が明るくなったねえ!」
(……あれ?)
初対面のはずだ。
なのに、来てから、とはどういう意味だろう。
系列店の間で、客の情報を共有しているのだろうか。
だとしたら、なかなかしっかりしたチェーンだ。
それより、気になることがあった。
この町は、今までの二つよりずっと綺麗だった。
窓も、石畳も、噴水の水も澄んでいる。
それなのに、広場の奥に見える大きな鏡だけが、相変わらず白く曇っていた。
町の真ん中に立っている、人の背丈の三倍はある大鏡。町の名物なのかもしれない。
それが曇ったままなのは、もったいなかった。
白石は、広場に向かって歩き出した。
途中、やたらと人だかりに阻まれた。
馬車が何台も目の前を横切った。
けれど、なぜか誰にもぶつからず、気がつくと大鏡の前に立っていた。
後ろで、ネフィが「あっ……」と小さく声を上げた。
シロは、もう何も言わずに座り込んでいた。
白石は、布を取り出した。
下の方から、丁寧に。鏡の曇りは、拭くそばからするすると取れていった。
磨かれた鏡面に、広場の景色が、くっきりと映り込んでいく。
途中で一度、手を止めて、鏡面に、はあっと息を吹きかけた。
白く曇った鏡の、その曇りが、端からすうっと消えていくのを、じっと見届ける。
真ん中に一か所だけ、消えずに残る曇りがあった。まだ、拭き残しがある。
小さい頃、実家の作業場で、何度も見たやり方だった。
父が、研ぎ上げた刃に、いつもそうしていた。
なぜそうするのか、聞いたことがあったような気もするけれど、答えは、もう、よく覚えていない。
ただ、手だけが、覚えていた。
(うん。いい鏡だ)
最後に、真ん中をひと拭きした。
顔を上げた。
何もなかった。
◆ ◆ ◆
乾いた風が、荒野を吹き抜けていった。
石畳も、パン屋も、噴水も、女将さんもいない。
地平線まで、ひび割れた土が続いているだけだった。
「……え?」
白石は、ぐるりと周りを見回した。
シロが、とても静かな目でこちらを見ていた。
ネフィは、空の雲の数を数えるように、上を向いていた。
「ねえ、町は?」
「…………」
「…………」
二人とも、返事をしなかった。
少し離れたところに、銀色の髪の女の人が、ぺたんと座り込んでいた。
薄い布を何枚も重ねた、ひらひらしたドレス。
呆然とした顔で、さっきまで大鏡があったあたりを見つめている。
その足元に、小さな手鏡が落ちていた。
白石は近寄って、手鏡を拾った。鏡面が、ひどく曇っていた。
気になったので、手を入れた。
「あの、これ、落としましたよ」
銀髪の女の人は、のろのろと顔を上げた。
白石と、差し出された手鏡を、交互に見た。
それから手鏡を受け取り、覗き込んだ。
女の人の目が、大きく見開かれた。
「……わたくし、こんな顔、してましたのね」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
白石には意味がよく分からなかったが、とりあえず「綺麗な鏡ですね」と言っておいた。
女の人は、手鏡を胸に抱きしめるようにして、ゆっくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
結局、町がどこへ行ったのかは分からなかった。
「この世界、たまにこういうことあるの?」
歩きながら聞くと、ネフィはしばらく黙った後、小さな声で言った。
「……蜃気楼、みたいなもの、ですぅ。たぶん」
「三日も?」
「…………長めの、蜃気楼ですぅ」
シロが、横で深々と鼻を鳴らした。
そういうものなのか、と白石は思った。
異世界だし、そういうこともあるのだろう。
それにしても、良いチェーン店だった。
また見つけたら泊まりたい。
白石がそう言うと、ネフィはなぜか、顔を覆って肩を震わせた。
笑っているのか泣いているのか、兜越しにはよく分からなかった。




