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第6話 鏡の町は終わらない(前編)

「あらぁ、陛下。わたくしをお呼びになるなんて、何十年ぶりかしら」


謁見の間に現れた女は、宙に浮いたまま、気だるげに微笑んだ。

幻惑の魔女、ミラージュ。

波打つ銀の髪に、薄絹を幾重にも重ねたドレス。

その周りを、大小さまざまな手鏡が、衛星のようにゆっくりと回っている。

鏡を媒体に、現実と寸分違わぬ幻を編み上げる。

かつて聖王国の軍勢一万を、存在しない谷底へ行進させたこともある、魔王軍随一の幻術師だ。


「ミラージュ。勇者を、幻の町に閉じ込めろ」

「閉じ込める? 殺すのではなくて?」

「殺さなくていい。永遠に、我のもとへたどり着かなければ、それでいい」


ミラージュは、ほんの少しだけ目を見開いた。

それから、くすりと笑う。


「陛下にしては、ずいぶんと穏やかなご命令ですこと」

「……できるか」

「愚問ですわ」


ミラージュが指先を振ると、周りの鏡の一枚が、ふわりと魔王の前に滑り出た。

鏡面に、小さな宿場町が映っている。

石畳の通り、宿屋、噴水のある広場、パン屋。


「この町を、勇者の進路に重ねますの。

町の西門を出て、街道を半日歩くと、また同じ町の東門に戻ってくる。

勇者は、自分が同じ町を歩いていることに気づけない」

「気づかれたら?」

「気づかせませんわ。町の者の会話も、パンの焼ける匂いも、毎日少しずつ変えますもの。

わたくしの幻は、触れても、嗅いでも、食べても、本物と区別がつきませんの」

ミラージュは、鏡の中の町を愛おしげに撫でた。

「町の核は、広場の大鏡。あれが割れない限り、幻は永遠に続きますわ」

「……頼んだ」

「お任せあれ。陛下は、ゆっくりお茶でもなさっていて」


◆ ◆ ◆


一日目


『陛下ぁ、ネフィですぅ。……町に入りましたぁ』

「何か、気づかれたか」

『全然ですぅ。勇者さん、「いい町だね」って言って、宿の女将さんとお喋りしてますぅ。

……あの女将さん、ミラージュ様の幻ですよねぇ? すっごく本物っぽいですぅ』

ネフィは、幻術のことを知らされていた。

勇者を町に引き留めておく役も、ついでに命じられている。

『ガルム様は、町に入った瞬間から、ずぅっと耳を伏せてますぅ。

たぶん、分かってるんだと思いますぅ』

「勇者には」

『言ってないですぅ。……わたしも、言ってないですぅ』


最後の一言は、少しだけ小さかった。


◆ ◆ ◆


二日目


ミラージュから、念話が入った。


『陛下。勇者は、予定通り西門を出て、半日歩いて、東門から同じ町に戻ってきましたわ。

何の疑いもなく、同じ宿に泊まっていますの』

「上出来だ」

『ただ……少し、気になることが』

「何だ」

『町が、綺麗になっていますの』


ヴァルグレイヴは、茶器を置いた。


「……どういうことだ」

『一日目に勇者が泊まった宿。

二日目に戻ってきたら、窓が、ぴかぴかになっていましたわ。

宿の看板も、通りの石畳も、パン屋の軒先も。

わたくしが、そう編んだ覚えはありませんのに』

「幻を、勇者が上書きしているということか」

『分かりませんわ。

上書き、というよりは……わたくしの編んだ幻の、表面の曇りだけが、拭い取られているような』


ミラージュの声に、初めて困惑の色が混じっていた。


『でも、ご安心を。核の大鏡は無事ですわ。

勇者は、広場には近づいていませんもの』


◆ ◆ ◆


三日目


『陛下。……陛下』


ミラージュの念話は、早朝から始まった。


『町が、昨日よりもっと綺麗になっていますの。

噴水の水が澄んで、底の石まで見えますわ。

宿の女将が、わたくしの編んだ台詞と違うことを喋っていますの。

「勇者さんが来てから、なんだか町が明るくなったねえ」って』

「幻が、勝手に喋るのか」

『わたくしにも分かりませんわ! こんなこと、千年幻を編んできて、一度も……』


ミラージュの声が、ひっくり返った。


『陛下、勇者が、広場に向かっていますわ』

「止めろ」

『止めていますわ! 幻の人だかりで道を塞いで、幻の馬車で横切らせて……

でも、全部、まるで最初から何もなかったみたいに、すり抜けて……』


水晶玉に、ピッチの視界が映し出された。

朝の広場。

噴水の向こうに、人の背丈の三倍はある大鏡が立っている。

町の幻の核だ。

その前に、鎧の勇者が立っていた。

勇者は、大鏡をしばらく見上げていた。

鏡面は、うっすらと白く曇っていた。

いや、ミラージュの幻術そのものが、鏡の表面に霧のように薄く張りついているのだ。

勇者が、荷物から布を取り出した。


『いや……いやですわ、やめて……!』


ミラージュの悲鳴が念話に響いた。

勇者は、鏡の下の方から、丁寧に布を当てていった。

ひと拭きごとに、鏡面の曇りが消え、くっきりと周りの景色が映り込んでいく。

最後のひと拭きが、鏡の真ん中を通った瞬間。

町が、消えた。

宿も、パン屋も、噴水も、女将も、全部。

シャボン玉が弾けるように、音もなく。

水晶玉に残ったのは、何もない荒野だった。

乾いた土の上に、鎧の勇者と、白い狼と、気まずそうに目を逸らしているネフィ。

そして少し離れたところに、ぺたんと座り込んだ、銀髪の魔女。


――――――――――


【報告】勇者の進行度:33%

【警告】魔王の対応が、規定から逸脱しています。


――――――――――


ヴァルグレイヴは、水晶玉の前で、しばらく動けなかった。

千年の幻術師の幻が、布で拭かれて消えた。


「……リリエラ」

「はい。胃薬です」

「……二包くれ」


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