第4話 夢魔は三日で落とす(前編
【一日目】
『陛下ぁ、ネフィですぅ。潜入、成功しましたぁ』
執務室に、甘ったるい念話が届いた。ヴァルグレイヴは書類から顔を上げる。
「早いな」
『街道沿いで、足をくじいたふりをして座り込んでたんですぅ。
そしたら勇者さん、すぐ駆け寄ってきてくれてぇ』
夢魔族の常套手段だった。か弱い娘を装い、相手の庇護欲をくすぐる。
歴代の勇者は、ほぼ全員がこれで足を止めた。
『おんぶして次の町まで運んでくれましたぁ。鎧が硬くて、ちょっと痛かったですけどぉ』
「そのまま仲間に?」
『はぁい。「一人旅は危ないから、良かったら一緒に」って、向こうから言ってくれましたぁ。
ちょろいですぅ』
ヴァルグレイヴは小さく頷いた。順調だ。
「ガルムはどうした。あれはお前の顔を知っているはずだが」
『あー……それがですねぇ』
ネフィの声が、少しだけ曇った。
『ガルム様、勇者さんに「シロ」って呼ばれて、しっぽ振ってましたぁ』
「…………」
『わたしを見た瞬間、すっごい顔されましたけどぉ。でも、勇者さんには何も言わないみたいですぅ。……言えないのかもしれないですけどぉ。狼だしぃ』
「そうか。ガルムには構うな。勇者に集中しろ」
『はぁい。今夜から、本気出しますねぇ』
◆ ◆ ◆
【二日目】
『……陛下ぁ』
翌日の念話は、明らかに声の張りが落ちていた。
「どうした」
『魅了、効かないんですぅ』
ヴァルグレイヴの手から、羽ペンが滑り落ちた。
夢魔族の魅了は、種族そのものに宿る力だ。肌から立ちのぼる甘い香りと、瞳の奥の魔力。
並の男なら、目が合っただけで骨抜きになる。歴代勇者の中で、これに耐えた者はいない。
「加護か」
『わかんないですぅ。昨日の夜、焚き火の前でこう、肩にもたれかかってみたんですけどぉ』
「うむ」
『「寒いの? マント貸そうか」って、マントかけてくれましたぁ』
「…………」
『それで、「ほんとは寒くないんですぅ。勇者さんの近くにいたいだけですぅ」って、
上目遣いで言ったんですぅ』
「うむ」
『「そっか。じゃあもっと火に近づこう、あったかいよ」って……』
ヴァルグレイヴは、こめかみを押さえた。
『宿でも、「お部屋、一緒でもいいですよぉ」って言ったらぁ』
「どうなった」
『「助かる、宿代が浮くね」って、普通に同じ部屋になりましたぁ。
それで、わたしがベッドに座って、ちょっと胸元をゆるめて待ってたらぁ……』
「待ってたら?」
『勇者さん、窓の桟を指でなぞって、「この宿、ちょっと埃っぽいね」って……』
念話の向こうから、すすり泣くような声がした。
『わたし、窓の桟に負けたんですぅ……』
「……精神耐性の加護、か。毒も効かず、魅了も効かぬ。厄介な」
『あとぉ、もう一個気になることがあってぇ』
「何だ」
『勇者さん、すっごく優しいんですぅ。わたしが足くじいたふりしてたら、
毎晩ちゃんと様子を見てくれてぇ。ご飯も、わたしが好きそうなのを先に取り分けてくれてぇ』
「……それは、お前に気があるのでは」
『違うんですぅ。なんていうかぁ……そういうのじゃないんですぅ。男の人がわたしを見る目って、いっつも同じなんですけどぉ。勇者さんだけ、全然違うんですぅ』
ネフィは、言葉を探すように少し黙った。
『……友達に、するみたいな感じなんですぅ』
◆ ◆ ◆
【三日目】
「ネフィ。魅了が効かぬなら、手段を変えろ」
ヴァルグレイヴは念話で命じた。
「今夜、勇者が寝静まったところで、寝首をかけ。
諜報部の呪毒の短剣を使え。かすり傷でも、三日で死に至る」
『……はぁい』
返事は、いつもより半拍遅れた。
◆ ◆ ◆
その夜の顛末を、ネフィは翌朝、ぽつぽつと報告した。
真夜中。宿の部屋。勇者は兜をかぶったまま、壁にもたれて眠っていた。
ネフィは音もなく寝台を降り、懐から黒い刃の短剣を抜いた。
呪毒が染み込んだ刃は、月明かりの中でも光を吸い込むように黒い。
一歩、二歩。勇者の寝息は穏やかだった。
鎧の継ぎ目、首筋のわずかな隙間。そこに刃を――
その瞬間、横から白い前足が、そっとネフィの手首を押さえた。
シロだった。いや、ガルムだった。
金色の瞳が、暗闇の中でじっとネフィを見ていた。唸り声ひとつ上げない。
ただ、静かに首を横に振った。
――やめておけ。
かつての同僚の目が、そう言っていた。
ネフィの手から力が抜け、短剣が床に落ちた。乾いた音がしたが、勇者は目を覚まさなかった。
ネフィはそのまま寝台に戻り、毛布をかぶって朝まで震えていた。
短剣を拾いに行く勇気は、出なかった。
『……それでぇ、朝になったらぁ』
「どうした」
『勇者さんが、「ネフィ、これ落としてたよ」って、短剣を渡してくれたんですぅ』
ヴァルグレイヴの背筋が冷えた。気づかれたか。
『でもぉ、全然怒ってなくてぇ。それどころか……短剣が、ぴかぴかになってたんですぅ』
「ぴかぴか?」
『刃が、銀色なんですぅ。呪毒の黒が、一滴も残ってないんですぅ。
ただの、すっごくよく切れそうな、綺麗な短剣になってましたぁ』
執務室に、長い沈黙が落ちた。
『勇者さん、「大事な物なんでしょ。手入れしといたよ」って……。
笑ってた、と思いますぅ。兜で見えないですけどぉ』
「……ネフィ」
『はぁい』
「お前、正体を見破られているのではないか」
『わかんないですぅ。でもぉ……もし見破られてたら、
普通、殺されるか、追い出されるかじゃないですかぁ』
ネフィの声は、困惑しきっていた。
『勇者さん、そのあと朝ご飯の屋台で、わたしに甘い揚げパン買ってくれましたぁ。
「足、まだ痛む? 今日はゆっくり歩こうね」って……』
ヴァルグレイヴは、目頭を押さえた。
「……潜入は継続しろ。勇者の力の正体を探れ」
『はぁい。……継続、しますぅ』
念話が切れる直前、ネフィが小さく呟いたのを、魔王は聞き逃した。
『揚げパン、おいしかったなぁ……』
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【報告】勇者の進行度:21%
【通知】勇者の同行者が追加されました。
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「……追加するな」
魔王は、浮かんだ板に向かって力なく呟いた。




