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双星のレガリア  作者: ボンヌ
第1章

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7/20

第3話 星墜ちの森を抜けて


人の足跡を見つけてから、半刻ほどが過ぎた。


細い街道は森の中を南へ伸びている。


両脇には巨大な木々が立ち並んでいたが、人が定期的に通っているためか、足元の草は踏み固められていた。


薫は地面に残された轍を確認しながら歩く。


荷車は少なくとも三台。


馬か、それに近い大型の動物が引いている。


足跡の数は十人以上。


昨夜のものではない。おそらく数時間前に通ったばかりだ。


「もうすぐ追いつけそう?」


千鶴が尋ねた。


「向こうが休憩していれば」


「ご飯、分けてもらえるかな」


「会って最初に食べ物を要求しないで」


「じゃあ水から」


「順番の問題じゃない」


千鶴の肩では、ノクスが大きな欠伸をしていた。


小さな牙が並ぶ口をいっぱいに開き、紫色の瞳を眠そうに細めている。


「ノクスもお腹すいたよね」


「キュル」


「ほら」


「何に同意したのか分からないよ」


薫はそう答えながらも、喉の渇きを意識していた。


小瓶の水はすでに尽きている。


朝から何も口にしていない。


先ほどの魔獣との戦闘によって、二人とも体力を大きく消耗していた。


薫の肩には、千鶴が裂いた布が巻かれている。出血は止まったが、腕を大きく動かすと痛みが走る。


千鶴の両腕も赤く腫れていた。


それでも二人は歩き続けた。


人がいる。


その事実だけが、足を前へ動かしていた。


「ねえ、薫」


「なに」


「会った人の言葉、分からなかったらどうしよう」


薫の足が止まった。


考えていなかったわけではない。


昨日発見した石柱や標識に刻まれていた文字は、まったく読むことができなかった。


話し言葉も異なる可能性は高い。


「その時は身振りで伝える」


「ご飯くださいって?」


「敵意がないことから伝える」


「お腹を押さえれば分かるんじゃない?」


「それで分かってもらえたとしても、姉さんが何者なのかは誤解されそうだね」


「行き倒れ?」


「山賊」


「なんで!」


千鶴が声を上げた瞬間。


遠くから、金属が激しくぶつかる音が聞こえた。


続いて馬のいななき。


誰かの叫び声。


薫は即座に腰を落とした。


千鶴も大剣の柄へ手を伸ばす。


ノクスが肩の上で耳を立てた。


「戦ってる」


千鶴が言う。


「たぶん、足跡の主だ」


音は街道の先から聞こえている。


薫は目を閉じ、僅かに残った月の力へ意識を向けた。


周囲の音が水面の波紋のように広がる。


複数の足音。


武器。


馬車。


少なくとも二十人以上。


「襲撃されてる」


「助けよう」


千鶴は迷わなかった。


薫が目を開ける。


「僕たちは怪我をしてる。力もほとんど使えない」


「分かってる」


「相手が何人いるかも分からない」


「分かってる」


「この世界の人間が、僕たちを受け入れる保証もない」


「それも分かってる」


千鶴は大剣を抜いた。


鈍い銀色の刀身。


黄昏塔で神陽大剣へ覚醒した面影はない。


それどころか、先ほどの魔獣の爪を受けた場所には、小さな亀裂が入っていた。


「でも、助けを求めてる声が聞こえた」


千鶴は街道の先を見る。


「聞かなかったことにはできないよ」


薫は息を吐いた。


止めても千鶴は行く。


一人でも走っていく。


ならば、できることは一つしかない。


「正面から突っ込まないで」


「分かってる」


「僕が状況を確認するまで待つ」


「分かってる」


「本当に?」


「なるべく!」


「信用できない返事だね」


薫も双剣を抜いた。


長剣の刃にも小さな欠けがある。


短剣はまだ使えるが、神器としての力は眠ったままだ。


「ノクス」


千鶴が小さな黒龍を見る。


「危なくなったら隠れてね」


「キュッ」


ノクスは千鶴の肩を蹴り、近くの枝へ飛び移った。


まだ長くは飛べないものの、短い距離なら翼を使えるらしい。


高い枝から二人を見下ろす。


「行こう」


千鶴と薫は街道を外れ、木々の間を走り始めた。



街道の先には、三台の荷馬車が止まっていた。


一台は横転し、積まれていた木箱が道へ散乱している。


荷車を引いていた角のある馬に似た動物が、恐怖に震えていた。


その周囲では、灰色の外套をまとった兵士たちと、商隊を守る冒険者たちが戦っている。


兵士は十五人ほど。


胸元には、黒い城壁を翼で囲んだ紋章。


薫には見覚えがない。


しかし、彼らの動きは盗賊ではなかった。


統率されている。


武器も防具も同じ規格。


明らかに軍人だ。


商隊側で戦っているのは四人。


若い剣士。


赤髪の魔術師。


光の魔法を使う女性。


弓を持つ小柄な青年。


四人とも傷つき、荷車を背にして追い詰められていた。


「帝国兵が、どうしてこんな所に!」


若い剣士が叫んだ。


千鶴と薫は茂みの中で顔を見合わせる。


言葉の意味が分かった。


発音も響きも、エルディアの言語とは違う。


それなのに、意識へ直接意味が伝わってくる。


「薫」


千鶴が小声で呼ぶ。


「分かる?」


「うん」


「文字は読めなかったのに」


薫は自分の耳飾りへ触れた。


三日月が、僅かに青白く光っている。


千鶴の太陽の耳飾りも同じように輝いていた。


「これの力かもしれない」


「便利だね」


「理由が分からない力を、すぐ便利で済ませないで」


兵士の一人が剣を振り上げた。


若い剣士が受け止めるが、体勢を崩される。


別の兵士が脇を抜け、荷車へ向かう。


その先には、商人らしき男女と子供が身を寄せていた。


「商品は奪え! 生き残りは必要ない!」


兵士の指揮官が命じる。


千鶴の表情が変わった。


「行くよ」


「待って」


薫は戦場を見渡す。


兵士は十五人。


正面の冒険者へ八人。


荷車へ向かう者が三人。


後方に弓兵が三人。


指揮官が一人。


「弓兵を僕が止める。姉さんは荷車へ向かった三人」


「分かった」


「炎はなるべく小さく」


「火属性に見せるんだよね」


「僕は水と闇。ノクスは使い魔」


枝の上にいたノクスが、不満そうに鼻を鳴らした。


「黒いトカゲとは言わないから」


「キュル」


「分かってるのかな」


「たぶんね」


薫は短剣を地面へ向けた。


青白い霧が、足元からゆっくりと広がる。


傷ついた身体では、大きな力は使えない。


それでも弓兵の視界を奪う程度なら可能だった。


「今」


薫の合図と同時に、千鶴が飛び出した。



荷車へ向かっていた兵士は、背後から迫る足音へ振り返った。


「何者だ!」


千鶴は答えない。


大剣を両手で握り、最も近い兵士の剣へ叩きつける。


金属音。


相手の武器が弾き飛ばされた。


「女だと……!」


二人目が槍を突き出す。


千鶴は身体を捻ってかわし、柄で兵士の腹を打った。


鎧越しでも十分な衝撃。


兵士が地面へ倒れる。


三人目が火球を放った。


千鶴は左手を前へ出す。


胸の奥にある太陽へ意識を向けた。


「燃えて!」


手のひらに小さな黄金の炎が生まれる。


千鶴は飛んできた火球へ炎をぶつけた。


二つの火が衝突する。


本来なら、より強い火球が千鶴の炎を飲み込むはずだった。


しかし黄金の炎は消えなかった。


火球の中心へ入り込み、術式だけを焼き切る。


赤い炎が空中で崩れた。


「火属性で、魔法を焼いた……?」


敵兵が動揺する。


千鶴自身も内心では驚いていた。


以前より弱い。


だが、力の性質そのものは失われていない。


「後で考えよう!」


千鶴は大剣を横へ振る。


黄金の炎が刀身へ薄くまとわりつき、兵士の槍を切断した。


「今は、助ける!」


そのまま肩から体当たりし、三人目を道の外へ吹き飛ばす。


荷馬車の下に隠れていた子供が、目を丸くして千鶴を見ている。


「大丈夫?」


千鶴が声をかける。


子供は何度も頷いた。


言葉が通じている。


千鶴は安心したように笑う。


「もう少しだけ隠れててね」



後方の弓兵たちは、突然現れた霧に混乱していた。


「水魔法か!」


「術者を探せ!」


一人が弓を構える。


しかし矢を放つ直前、周囲から音が消えた。


弦を引く音も。


仲間の声も。


自分の呼吸さえ聞こえない。


弓兵の動きが鈍る。


霧の中から、黒銀の長剣が現れた。


薫は弓の弦だけを切断する。


反対側の兵士が短剣を抜いた。


薫は身体を沈め、足元へ薄い霧を集中させる。


地面が凍結したように白くなる。


兵士の足が滑り、背中から倒れた。


「水と闇の複合属性……!」


残った弓兵が後退する。


薫は追わない。


代わりに長剣の切っ先を向けた。


「武器を捨てて」


「子供が……!」


兵士は薫の細身の身体を見て、侮ったように剣を振りかぶった。


薫は攻撃を受け流し、兵士の手首を短剣の柄で打つ。


剣が落ちる。


そのまま足を払い、首元へ長剣を突きつけた。


「もう一度言う」


薫の瞳が冷たく光る。


「武器を捨てて」


兵士は両手を上げた。



突然現れた二人によって、戦況は一気に変わった。


商隊を守っていた四人も反撃へ移る。


若い剣士が兵士の攻撃を受け止める。


「セナ!」


「任せて!」


赤髪の魔術師が杖を振るった。


炎の輪が地面を走り、兵士たちの進路を遮る。


光属性の女性は負傷した仲間へ治療魔法を施す。


小柄な弓使いが風をまとった矢を放ち、敵の武器を正確に弾き飛ばした。


これが、この世界の一般的な魔法。


千鶴は戦いながら観察する。


火の魔術師は、詠唱と杖に刻まれた術式を使って炎を生み出している。


エルディアで使われていた星導技術とは違う。


自分の太陽の力とも違う。


周囲の何かを取り込み、魔法へ変えている。


「姉さん、左!」


薫の声。


千鶴は反射的に身体をひねる。


指揮官の剣が、白金の髪を掠めた。


「戦いながら他人を見る余裕があるとはな!」


男の鎧は、ほかの兵士よりも厚い。


右手には魔力を帯びた曲剣。


刀身へ風が渦巻いている。


千鶴は大剣で一撃を受け止めた。


衝撃と共に、刀身に入っていた亀裂が広がる。


嫌な音。


千鶴の表情が強張る。


「その武器で、あと何度受けられる?」


指揮官が笑う。


「随分と古いガラクタを使っているな!」


「ガラクタじゃない!」


千鶴は大剣を押し返した。


「大切な剣だよ!」


「なら、その剣と一緒に折れろ!」


指揮官が踏み込む。


風をまとった斬撃。


避ければ、背後の荷車へ当たる。


千鶴は受けるしかなかった。


「姉さん!」


薫が叫ぶ。


千鶴は大剣を両手で構えた。


剣と剣が激突する。


亀裂が刀身を走る。


銀色の破片が飛んだ。


それでも大剣は折れなかった。


千鶴も一歩も退かなかった。


背後には、守るべき者がいる。


「薫!」


「分かってる!」


薫が短剣を地面へ突き立てた。


青白い霧が指揮官の足元を包む。


曲剣へ流れていた風の魔力が鈍る。


「闇属性の妨害だと……!」


「水も混ざってる」


薫が長剣を振るう。


指揮官の鎧へ薄い氷が張りつき、動きを僅かに止めた。


その一瞬。


千鶴が大剣を大きく引く。


刀身に残った僅かな黄金の炎を、剣の腹へ集中させた。


「これで――終わり!」


刃ではなく、平らな面で指揮官の胸を打つ。


黄金の衝撃が爆発した。


男の身体が数歩分吹き飛び、道へ転がる。


曲剣が手から離れた。


薫がすぐに距離を詰め、長剣を喉元へ突きつける。


「戦闘を続ける?」


指揮官は周囲を見る。


兵士の半数は武器を失い、残りも冒険者たちに包囲されている。


勝ち目はない。


男は歯を食いしばった。


「撤退だ!」


残った帝国兵たちが負傷者を引きずり、森の北側へ逃げていく。


商隊側は追撃しなかった。


戦いが終わる。


千鶴は大剣を地面へ突き立てた。


息を整えながら、刀身を見る。


亀裂は以前よりも深い。


刃の一部は完全に欠けていた。


次に同じ攻撃を受ければ、本当に折れるかもしれない。


「ごめん」


千鶴は剣へ小さく呟いた。


「無理させたね」


薫も自分の長剣を見る。


魔力を流した影響か、刀身の欠けが広がっている。


短剣の表面にも、細い亀裂が入っていた。


神器だった武器は、今や戦うたびに壊れていく。


それでも二人は、剣を捨てようとは思わなかった。



「助かった。本当にありがとう」


商隊を率いていた男が、千鶴と薫へ頭を下げた。


四十代ほど。


日焼けした肌に、立派な口髭。


茶色い外套には、多くの旅を経験した跡が残されている。


「俺はダリオ。自由都市アルカの商人だ」


千鶴は目を輝かせた。


「アルカ?」


「知らないのか?」


ダリオが不思議そうに尋ねる。


薫が一歩前へ出た。


「僕たちは遠い地方から来ました。この森で道に迷って、荷物もほとんど失ってしまって」


用意していた説明。


完全な嘘ではない。


「遠い地方って、どこだ?」


若い剣士が尋ねる。


千鶴が口を開こうとする。


薫はさりげなく姉の足を踏んだ。


「痛っ」


「どうした?」


「何でもありません」


薫が微笑む。


「海の向こうにある、小さな地域です」


「海の向こう?」


ダリオは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。


見知らぬ土地の出身者など、交易都市には珍しくないのかもしれない。


「俺はリオ」


若い剣士が名乗った。


「こっちは火属性戦導士のセナ、癒療士のミア、風属性探索士のトルク。俺たちはアイアン級パーティー《朝露の小径》だ」


赤髪のセナが腕を組む。


「あなたたち、何者なの? その強さで道に迷った旅人って、無理がない?」


「姉さんは火属性の剣士」


薫が答える。


「僕は水と闇の複合属性です」


「二属性持ち?」


セナの目が薫へ向く。


「珍しいわね」


「故郷では、それほどでもありません」


また嘘ではない。


エルディアでは、そもそもこの世界と同じ属性分類がなかった。


ミアが千鶴の腕と薫の肩を見た。


「怪我をしていますね。見せてください」


「でも、魔力を使うんでしょ?」


千鶴が尋ねる。


「これくらいなら大丈夫です」


ミアは優しく笑い、薫の肩へ手を当てた。


淡い白い光。


温かい。


傷口が完全に消えるわけではないが、痛みが和らぎ、皮膚が少しずつ閉じていく。


千鶴は驚いて見つめた。


「すごい……」


「光属性の治療を見るのは初めて?」


「私たちの故郷には、あまりいなかったから」


千鶴が正直に答える。


ミアは次に千鶴の腕を治療した。


その間、ダリオが水袋とパンを差し出す。


「まずは食べな。腹が減ってるんだろう」


千鶴は受け取る前に薫を見た。


薫が頷く。


「ありがとうございます!」


千鶴は水を一口飲み、薫へ渡した。


パンも半分に割る。


「全部食べていいぞ」


ダリオが笑う。


「まだある」


「本当に?」


「ああ」


千鶴の表情が一気に明るくなった。


ノクスが木の枝から降り、千鶴の肩へ着地する。


ダリオたちが一斉に身構えた。


「魔獣!」


「大丈夫!」


千鶴がノクスを抱き止める。


「この子はノクス。私たちの使い魔です」


「使い魔……?」


セナが目を細める。


「見たことのない種類ね。黒蜥蜴に翼が生えたみたい」


ノクスの頬が膨らむ。


「黒蜥蜴は嫌みたいです」


薫が言う。


「言葉が分かるの?」


「たぶん」


ダリオはノクスを慎重に観察した。


「まあ、襲ってこないならいい。アルカには珍しい使い魔を連れた奴も多いからな」


「キュル」


ノクスは安心したように鳴き、千鶴が持つパンを見た。


「食べる?」


小さくちぎって差し出す。


ノクスは匂いを嗅ぎ、一口で飲み込んだ。


すぐに次を求める。


「いっぱい食べるね」


薫は自分のパンを見た。


「僕たちより食費がかかるかもしれない」


「家族が増えたんだから仕方ないよ」


「いつ家族になったの?」


「昨日」


「決定が早い」


ノクスは千鶴の指を舐め、再びパンをねだった。



商隊は壊れた荷車を応急修理し、再び南へ向かうことになった。


帝国兵が戻る可能性もある。


森の中で長く留まるのは危険だった。


千鶴と薫も、アルカまで同行させてもらう。


歩き始めて間もなく、薫はダリオへ尋ねた。


「先ほどの兵士たちは?」


「あれはヴァルガルド帝国の先遣部隊だ」


ダリオの表情が険しくなる。


「北の国が、ここ数年で急速に領土を広げている。表向きは治安維持だの統一だのと言っているが、拒んだ町や村は力で従わせる」


「どうして商隊を?」


「自由都市へ物資が届かないようにするためだろうな。帝国はアルカを直接支配できないなら、周囲から弱らせるつもりだ」


千鶴は顔をしかめる。


「戦争中なの?」


「まだ、正式にはな」


リオが答えた。


「小さな衝突は増えてる。でもアルカは中立都市だ。帝国も正面から攻めれば、ほかの国を敵に回す」


「だから、正体が分からない場所で商隊を襲う」


薫が言う。


「証拠を残さなければ、帝国の命令ではないと言い張れる」


リオは頷いた。


「そのとおり」


千鶴は黙って歩く。


エルディアで戦争を終わらせたばかりなのに。


この世界にもまた、別の戦争が近づいている。


薫が姉の横顔を見る。


「関わらない方がいい」


千鶴は薫を見た。


「まだ何も言ってないよ」


「顔に書いてある」


「何て?」


「放っておけない」


千鶴は少しだけ笑った。


「薫は、私のことなら何でも分かるね」


「分かりやすいだけ」


「でも、今すぐ戦争に飛び込むつもりはないよ」


「本当に?」


「まずは帰る方法を探す」


千鶴は傷ついた大剣を見た。


「それに、今の私たちじゃ大勢を守るなんて無理だから」


薫は少し驚いた。


以前の千鶴なら、力がなくても自分一人で何とかしようとした。


「成長した?」


千鶴が得意そうに尋ねる。


「少しだけ」


「もっと褒めていいよ」


「その剣で次に強い攻撃を受けたら折れる」


「急に現実へ戻さないで!」


二人の会話を聞いていたリオが、大剣へ視線を向けた。


「そいつ、相当ひどい状態だな」


「直せるかな」


「俺は鍛冶師じゃないが……普通の剣なら、もう限界だと思う」


千鶴の表情が曇る。


「普通の剣じゃないんだけどね」


小さな声だった。


「アルカには武装鑑定局も鍛冶師街もある」


リオが続ける。


「直せるかどうかは分からないが、見てもらう価値はある。それに、これからこの辺りで活動するなら、まともな装備が必要だ」


「活動?」


「冒険者になる気はないのか?」


千鶴と薫は顔を見合わせた。


「冒険者って?」


千鶴が尋ねる。


リオたち四人が驚いた顔をした。


「そこから知らないのか?」


薫は少し考え、答えた。


「故郷には、別の制度がありました」


「なるほどな」


リオは納得したように頷く。


「アルカへ着いたら、ギルドを案内する。魔獣の討伐や護衛で報酬を得られるし、遺跡を調べる資格も手に入る」


「遺跡?」


薫が反応する。


「古代の記録や、遺物武装が残っている場所もある」


元の世界へ帰る方法。


ルクシオンの欠片。


太陽と月の紋章。


調べるには、遺跡へ入る必要があるかもしれない。


「冒険者になろう」


千鶴が即座に言った。


「決めるのが早い」


「薫も同じこと考えたでしょ?」


「否定はしない」


冒険者として依頼を受ける。


金を稼ぐ。


武器と防具を整える。


この世界の情報を集める。


遺跡を調べ、帰還方法を探す。


今の二人にとって、最も現実的な道だった。


「決まりだね」


千鶴は前を向く。


その肩で、ノクスも小さく鳴いた。



夕暮れ。


森の木々が少しずつ低くなり、視界が開けた。


街道の先に、大きな川が見える。


川の上には幾つもの橋が架かり、その向こうへ巨大な都市が広がっていた。


水路に囲まれた白い建物。


無数の船。


高くそびえる時計塔。


夕日を反射し、金色に輝く城壁。


壁の上には、多くの国旗と冒険者ギルドの紋章が並んでいる。


「着いたぞ」


ダリオが言った。


「自由都市アルカだ」


千鶴は立ち止まり、街を見つめた。


これまで見たどの都市とも違う。


異なる服装の人々。


人間とは少し違う耳や角を持つ者。


空を飛ぶ小型魔獣。


水路を走る魔導船。


この世界が、初めて二人の前へ姿を現した。


「すごい……」


千鶴が呟く。


薫は街の中央を見た。


ひときわ高い塔の側面に、巨大な紋章が刻まれている。


剣と杖。


その背後に広げられた翼。


大陸冒険者連盟の印。


「あそこから始めよう」


薫が言った。


「何を?」


「帰る方法を探すことも。武器を直すことも。この世界を知ることも」


千鶴は頷いた。


「うん」


一度戦争を終わらせた英雄たちは、もういない。


今ここにいるのは、傷ついた武器と使い方の分からない力を持つ、身元不明の二人だけ。


これから彼らは、最も低い場所から始める。


誰にも知られていない新人として。


「薫」


「なに」


「冒険者になったら、どっちが先に昇格するか競争しよう」


「二人で同じ依頼を受けるなら、同時じゃない?」


「じゃあ活躍した方」


「姉さんが勝手に突っ込んだ回数なら、間違いなく一位だね」


「それ、活躍に数えないでよ!」


千鶴の声が、夕暮れの街道へ響く。


ノクスが楽しそうに鳴いた。


商隊と共に、三人はアルカの門へ向かう。


伝説ではなく。


英雄でもなく。


ただの新人冒険者として歩き始めるために。

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