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双星のレガリア  作者: ボンヌ
プロローグ

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4/17

第四節 伝説の双子


白夜城の再会から、三か月が過ぎた。


太陽聖王国アルヴァーンは、千鶴を反逆者として指名手配した。


月影連邦ノクシアもまた、薫を軍規違反と国家機密漏洩の罪で追っていた。


かつて両国の英雄だった二人は、今や双方から狙われる逃亡者となっていた。


それでも千鶴は、八年前よりずっと穏やかに眠れるようになっていた。


目を覚ませば、すぐそばに薫がいる。


ただそれだけで、追手に囲まれた廃屋で眠る夜さえも、あの頃の孤独よりは温かかった。


「姉さん」


暗闇の中から、薫の声がする。


千鶴は毛布にくるまったまま答えた。


「……起きてるよ」


「今、寝息が聞こえてたけど」


「起きながら寝てたの」


「器用だね」


「褒めても何も出ないよ」


「褒めてない」


千鶴は身体を起こした。


彼らが身を隠しているのは、両国の国境に近い荒野へ残された古い礼拝堂だった。


屋根の一部は崩れ、壁に刻まれていた神像も、長い年月で顔を失っている。


その中央で、薫が一冊の古びた記録書を広げていた。


青白い月光が、割れた窓から差し込んでいる。


「何か分かった?」


千鶴が隣へ座る。


薫は無言で、一枚の紙を差し出した。


そこには、軍の輸送記録が記されていた。


八年前。


セレスタ村襲撃の三日前。


太陽聖王国の倉庫から、白金騎士団の鎧が百二十組消失している。


同じ日、月影連邦の武器庫からも、短剣や弓、軍章を含む装備が大量に盗まれていた。


犯人は不明。


両国とも、その事実を公表していなかった。


「これで、あの夜の軍勢がどちらの国でもなかったことは証明できる」


薫が言った。


「でも、これだけじゃ戦争は止まらない」


「どうして?」


「王国は連邦が盗んだと言う。連邦は王国の偽装だと言う。八年間積み重なった憎しみは、紙一枚じゃ消えない」


薫は別の記録書を開いた。


そこには、両国で起きた不可解な事件が年代順に並べられている。


和平交渉の直前に暗殺された使節。


停戦命令を運ぶ途中で消息を絶った伝令。


敵国の仕業に見せかけて襲撃された補給部隊。


戦争が終わりかけるたび、必ず新たな憎しみが生まれていた。


そして、すべての事件に共通して残されていたものがある。


太陽と月を重ねた星の紋章。


《星冠院》


古い宗教文書に、わずかに名だけが残る組織。


国家よりも古く、王や将軍の背後で歴史を動かしてきたとされる秘密結社。


星冠院は、太陽と月が一つだった時代の神を崇めている。


そしてその神が再び目覚めれば、世界から争いが消えると信じていた。


「私たちが、その神ってこと?」


千鶴が尋ねる。


「正確には、僕たちの中に眠っているものだと思う」


薫は自分の胸へ手を当てた。


「星冠院の記録では、太陽と月の力は、もともと一つの魂だった」


「それが二つに分かれて、私と薫に?」


「たぶん」


「だったら、一つに戻したらどうなるの?」


薫は答えなかった。


答えられないのではない。


口にしたくないのだと、千鶴には分かった。


記録にはこう書かれていた。


双星が憎しみの果てに殺し合い、片方がもう片方を取り込んだ時、星神は完全な姿で復活する。


八年前、星冠院は二人を引き離した。


敵国へ渡し、互いを憎ませた。


そして白夜城で、英雄となった双子を戦わせた。


どちらかが相手を殺せば、その魂と力を取り込み、一つの神へ戻ると信じて。


「趣味が悪いね」


千鶴は記録書を閉じた。


「もっと怒るかと思った」


「怒ってるよ」


千鶴の声は静かだった。


「でも、あいつらの思いどおりに怒るのも腹が立つ」


薫はわずかに目を見開いた後、小さく笑った。


「少し成長したね」


「でしょ?」


「昔なら、もう敵の本拠地へ突っ込んでた」


「今でも場所が分かれば突っ込むけど」


「前言撤回する」


千鶴は頬を膨らませた。


その時。


礼拝堂の外から、馬の蹄が聞こえた。


薫が瞬時に明かりを消す。


二人は武器へ手を伸ばした。


扉が三度、ゆっくりと叩かれる。


一度目。


間を置いて二度。


また間を置いて三度。


事前に決めていた合図だった。


薫が扉を開くと、灰色の外套を着た老兵が立っていた。


太陽聖王国で、かつて千鶴の副官を務めていた男。


ガルドという名の騎士だった。


白夜城以降、千鶴たちを信じ、密かに両国の情報を集めている数少ない協力者の一人。


「遅くなりました」


ガルドは礼拝堂へ入り、濡れた外套を脱いだ。


「王国軍と連邦軍、双方で大規模な動きがあります」


「どこへ?」


薫が尋ねる。


ガルドは地図を広げ、両国の中間に位置する荒野を指した。


そこには、戦争以前から立入禁止とされてきた古代遺跡がある。


《黄昏塔》


「両軍が黄昏塔へ全戦力を集めています」


「決戦?」


千鶴が地図を覗き込む。


「そう見せかけています。しかし、双方の司令部には同じ情報が流されました」


ガルドは二枚の命令書を置いた。


一枚は太陽聖王国のもの。


月影連邦が、国家消滅級の古代兵器を起動しようとしている。


もう一枚は月影連邦のもの。


太陽聖王国が、連邦全土を焼き尽くす最終兵器を発見した。


発令者の署名は異なる。


しかし文章の構成も、記された時刻も同じだった。


薫の表情が険しくなる。


「星冠院が、両軍を黄昏塔へ集めている」


「何のために?」


ガルドがさらに一枚の設計図を取り出した。


黄昏塔の地下に眠る、巨大な装置。


大地から魔力を吸い上げ、空へ圧縮して放つ古代兵器。


天穹砲アーク・ノヴァ


「これが起動すれば、どうなる?」


千鶴の問いに、ガルドは答えをためらった。


「黄昏塔を中心として、両国の首都まで届く規模の魔力爆発が起きます」


「両方の国が消えるの?」


「少なくとも、軍と主要都市は壊滅するでしょう」


沈黙が落ちた。


王国は連邦の兵器だと信じ、破壊しようと軍を集めている。


連邦も王国の兵器だと信じ、同じ場所へ進軍している。


両軍が衝突し、憎しみと死が最高潮へ達した時、アーク・ノヴァが起動する。


「星冠院は、戦争を終わらせたいんじゃない」


薫が低い声で言う。


「この世界を、生贄にするつもりだ」


千鶴は立ち上がり、大剣を背負った。


「行こう」


「まだ作戦を――」


「薫が考えてくれるでしょ?」


「姉さんも少しは考えて」


「私は、薫の作戦を成功させる方法を考える」


「それは敵を全部倒すという意味?」


「よく分かったね」


ガルドは二人のやり取りを見て、かすかに笑った。


「千鶴隊長」


「もう隊長じゃないよ」


「私にとっては、今も隊長です」


ガルドは右拳を胸へ当てた。


「黄昏塔周辺には、あなた方を信じる王国兵と連邦兵が集まっています。数は多くありませんが、力になります」


「ありがとう」


千鶴も拳を胸へ当てる。


薫は設計図を見つめていた。


「アーク・ノヴァを止めるだけじゃ駄目だ」


「どういうこと?」


「兵器を破壊しても、両国が真実を知らなければ戦争は続く」


薫は黄昏塔から伸びる魔力通信網を指でなぞった。


アーク・ノヴァは、両国の軍用通信網と接続されている。


兵器を制御するため、全戦線へ命令を送れるように作られていた。


「星冠院の記録を手に入れて、この通信網から両国へ送る」


「村を襲ったことも、戦争を仕組んだことも?」


「全部だ」


「できる?」


「中央制御室まで行ければ」


千鶴は笑った。


「なら簡単だね」


「簡単じゃない」


「薫をそこまで連れていけばいいんでしょ?」


「連れていくんじゃなくて、一緒に行く」


薫は千鶴を見た。


「今度は、最初から最後まで」


千鶴の笑顔が少しだけ柔らかくなる。


「うん」


作戦名は、千鶴が決めた。


《夜明け》


長すぎた黄昏を終わらせるための、最後の戦いだった。



黄昏塔を囲む荒野には、数万の兵士が集結していた。


東には太陽聖王国軍。


白と金の軍旗が、朝日に照らされている。


西には月影連邦軍。


黒と銀の旗が、冷たい風にはためいていた。


両軍の間にそびえる黄昏塔は、空を突き刺す巨大な槍のようだった。


黒い石で造られた塔。


その表面を、赤い術式が脈動している。


空には暗雲が渦巻き、塔の頂上へ魔力が集まり始めていた。


千鶴と薫は、南側の峡谷から塔へ近づいた。


周囲にはガルドを含む数十人の協力者。


王国兵もいれば、連邦兵もいる。


つい数日前まで敵として戦っていた者たちが、同じ目的のために並んでいる。


「不思議な光景だね」


千鶴が言う。


「これが普通になればいい」


薫は前を見たまま答えた。


その時、塔から鐘の音が響いた。


一度。


二度。


三度。


八年前、セレスタ村で聞いた警鐘と同じ音。


千鶴の足が止まる。


薫も耳飾りへ触れた。


『全軍、前進』


王国と連邦、双方の軍用魔導器から同じ命令が流れた。


両軍が動き始める。


魔法砲が火を噴き、矢が空を覆う。


八年間続いた戦争の、最後の総力戦が始まった。


「行くよ、薫!」


千鶴が大剣を抜く。


銀色だった刀身が、黄金の炎をまとう。


薫も二本の剣を抜いた。


長剣から青白い霧が流れ、短剣の周囲から音が消える。


二人は峡谷を駆け上がり、黄昏塔の南門へ突入した。



塔の内部では、星冠院の兵士たちが待ち構えていた。


太陽聖王国の鎧。


月影連邦の武器。


八年前と同じ、偽りの軍装。


千鶴の炎が廊下を照らす。


「どいて!」


大剣が振るわれる。


黄金の炎が兵士たちの武器だけを焼き払い、身体を傷つけずに吹き飛ばす。


薫は千鶴の背後から放たれた魔法を、月の霧で封じた。


「右から三人」


「分かった!」


千鶴は振り返らずに大剣を回転させる。


右側の扉を破って現れた兵士たちが、炎の衝撃で壁へ叩きつけられた。


「階段の上に術式」


「壊す?」


「触らないで。空間転移の罠だ」


薫が短剣を床へ走らせる。


影が術式を覆い、魔力の流れを停止させる。


二人は言葉を交わさなくても、互いの動きを理解できた。


千鶴が前を切り開き、薫が罠と魔法を封じる。


別々の国で、異なる戦い方を身につけた八年間。


そのすべてが、今は一つの目的のために重なっていた。


「昔より動きが読みやすい」


薫が言う。


「それ、成長してないみたいじゃん」


「姉さんの考えてることが単純だから」


「褒めてないよね?」


「褒めてない」


「後で覚えてて!」


「生きて帰れたらね」


千鶴の表情が一瞬だけ曇った。


薫は気づいたが、何も言わなかった。


中央制御室へ近づくにつれて、敵の数は増えていく。


塔そのものも激しく振動していた。


アーク・ノヴァの起動が進んでいる。


壁の魔力管には、赤黒い光が満ちている。


そこから聞こえてくる。


悲鳴のような音。


怒り。


憎しみ。


恐怖。


塔は戦場で死んでいく兵士たちの感情まで吸い上げ、動力へ変えていた。


「こんなもののために……」


千鶴の炎が揺らぐ。


薫が姉の肩へ触れた。


「今は前を見て」


「うん」


中央制御室へ続く扉の前に、一人の男が立っていた。


白い法衣。


顔を覆う星形の仮面。


白夜城の地下で、双子を観測していた星冠院の司祭。


男は両腕を広げた。


「ようこそ、双星」


「あなたが、セレスタを?」


千鶴が大剣を向ける。


「我々の一人が、儀式を執行した」


「父さんと母さんを殺したのも?」


「彼らは必要な役目を果たした」


千鶴の炎が膨れ上がる。


薫は姉の前へ腕を出した。


「挑発に乗らないで」


「でも――」


「この男は、姉さんの怒りが欲しい」


司祭は仮面の奥で笑った。


「賢いな、月の器よ」


「器じゃない。僕は薫だ」


「名前など、分かたれた魂へ与えられた仮初めの区別にすぎない」


司祭は両手を重ねた。


背後の扉へ、太陽と月の紋章が現れる。


「一つへ戻れ。そうすれば孤独も、喪失も、恐怖も消える」


「それで世界中を巻き込むの?」


千鶴が問う。


「世界は生まれ変わる」


「人を殺して?」


「死ではない。大いなる一つへの回帰だ」


司祭の周囲に、無数の光の刃が現れた。


「お前たちが完成すれば、すべての魂は星神の中で永遠となる」


薫は二本の剣を構える。


「誰かを失うのが怖いから、全員を同じ存在にするのか」


「それこそ救済だ」


「違う」


薫の声は静かだった。


「離れているから、隣にいたいと思える」


千鶴が薫を見る。


「違う人間だから、守りたいと思える」


薫は続けた。


「僕は姉さんになりたいんじゃない。姉さんの隣にいたいんだ」


千鶴は大剣を握り直し、笑った。


「私も」


司祭が手を振り下ろす。


光の刃が一斉に飛来した。


千鶴が大剣を地面へ突き立てる。


黄金の炎が壁となり、光刃を受け止める。


薫は炎を抜けた刃だけを月の影で封じ、空中で停止させた。


「太陽と月は一つへ戻らなければ完成しない!」


司祭が叫ぶ。


「二つのままでは、永遠に不完全だ!」


「不完全でいい!」


千鶴が炎の壁を押し返す。


「薫に足りないものは私が補う!」


薫も二本の剣を交差させた。


「姉さんに足りないものは僕が補う!」


太陽と月の耳飾りが光る。


炎と霧が重なり、司祭の光刃をすべて砕いた。


千鶴が踏み込む。


大剣の一撃が、司祭の仮面を切り裂いた。


薫の長剣が法衣を貫き、背後の扉へ男を縫い止める。


短剣が制御術式へ突き刺さる。


司祭の魔力が消えた。


「なぜだ……」


砕けた仮面の奥から、老いた男の顔が現れる。


「分かたれたまま、なぜこれほどの力を……」


千鶴は大剣を男の喉元へ突きつけた。


「二人だからだよ」


司祭を拘束し、二人は中央制御室へ入った。



制御室の中央には、巨大な水晶が浮かんでいた。


内部に、剣の破片が封じられている。


光と闇を同時に帯びた、黒銀の刃。


薫はそれを見た瞬間、白夜城で見た記憶がよみがえった。


星空。


黒龍。


紫色の瞳を持つ女性。


神剣。


「ルクシオン……」


なぜか、その名が口からこぼれた。


「知ってるの?」


千鶴が尋ねる。


「分からない。でも、この剣の欠片がアーク・ノヴァの核になってる」


制御盤には、無数の記録結晶が接続されていた。


セレスタ襲撃。


両国の偽装工作。


暗殺。


停戦妨害。


星冠院が黄昏戦争を作り上げた証拠のすべて。


「送れる?」


「やる」


薫は制御盤へ両手を置いた。


月の力を使い、複雑な魔力回路を読み取る。


両国の通信網へ接続。


軍用通信。


都市放送。


記録塔。


一つずつ支配権を奪っていく。


警報が鳴り響いた。


天穹砲、発射準備完了。


炉心臨界まで、三百秒。


「間に合う?」


千鶴が尋ねる。


「記録の送信には二百秒」


「兵器を止めるには?」


薫は設計図を確認した。


制御室からの停止命令は、すでに星冠院によって無効化されている。


炉心を直接破壊するしかない。


「最下層の炉心へ行く必要がある」


「じゃあ私が行く」


「待って」


「薫はここで記録を送って」


「姉さん」


「大丈夫」


薫の表情が変わる。


千鶴は視線を逸らした。


「私の力なら炉心を壊せる。薫が一緒に来たら、送信が間に合わない」


「炉心を壊した後は?」


「逃げるよ」


「どうやって」


「それは……」


「考えてないんだね」


「時間がないの!」


千鶴は大剣を背負い、出口へ走ろうとした。


薫が腕を掴む。


「離して」


「嫌だ」


「薫!」


「また同じことをするの?」


千鶴の動きが止まる。


「守るって言って、自分だけ残るつもり?」


「他に方法がない!」


「だから僕を置いていく?」


「薫が生きれば、それで――」


「それで僕が喜ぶと思うのか!」


薫の怒声が、制御室へ響いた。


千鶴は目を見開く。


八年前。


橋の上で手を離した時も。


白夜城で再会した時も。


薫はこれほど感情をあらわにしなかった。


「守るって言いながら、いつも僕を置いていくな!」


薫の声が震えている。


「姉さんがいない世界で生き残ることを、僕は救われたなんて思わない!」


「でも、二人とも死んだら――」


「生きる方法を二人で探すんだ!」


「見つからなかったら?」


「それでも、勝手に僕の未来を決めるな!」


薫は千鶴の腕を離さなかった。


「僕が失うものも、僕が選ぶ」


千鶴の目から涙がこぼれた。


「私は……薫に生きてほしい」


「僕も姉さんに生きてほしい」


「薫を守りたい」


「僕も姉さんを守りたい」


同じだった。


千鶴だけが守るのではない。


薫だけが支えるのでもない。


二人とも、相手を失いたくない。


「帰るなら二人だ」


薫が言う。


「死ぬとしても――二人で決める」


警報が鳴る。


炉心臨界まで、二百四十秒。


千鶴は涙を拭った。


そして、薫の手を握り返す。


「分かった」


「本当に?」


「二人で行こう」


「送信は?」


「薫なら走りながらでもできるでしょ?」


「無茶を言わないで」


「でも、できる?」


薫は制御盤から一つの記録結晶を抜き、自分の短剣へ接続した。


「百八十秒あれば」


「さすが薫!」


「姉さんは、僕を何だと思ってるの」


「自慢の弟」


薫は少しだけ笑った。


「行こう、姉さん」


二人は手を離し、炉心へ続く階段を駆け下りた。



黄昏塔の最下層。


巨大な空洞の中央で、アーク・ノヴァの炉心が脈動していた。


赤黒い魔力の球体。


周囲には数え切れないほどの術式が回転し、戦場から吸い上げた感情と生命力を取り込んでいる。


塔全体が悲鳴を上げている。


薫は短剣へ接続した記録結晶を操作しながら走った。


送信進捗、四十パーセント。


五十。


六十。


「両軍の通信網へ入った!」


薫が叫ぶ。


「あと少し!」


地上では、王国軍と連邦軍が戦い続けていた。


その耳元の魔導器へ、突然映像が流れ込む。


八年前のセレスタ。


両国から盗まれた装備。


村を焼く星冠院の兵士。


和平使節を暗殺する仮面の者たち。


両国へ異なる命令を送る同一人物。


戦争を続けさせるために作られた、無数の偽り。


兵士たちの動きが少しずつ止まる。


敵だと信じていた者と、同じ映像を見ている。


同じように騙されていたと知る。


「送信完了!」


薫が叫ぶ。


炉心臨界まで、六十秒。


炉心の手前には、強力な結界が存在していた。


千鶴が大剣を振るう。


黄金の炎が結界へぶつかるが、吸収される。


「魔力を食べてる!」


「僕が流れを止める!」


薫が長剣を結界へ突き立てる。


月の力が、結界を流れる魔力を静めていく。


しかし完全には止まらない。


薫の鼻から血が流れる。


頭の中で、何かが崩れていく。


記憶。


父の声。


母の笑顔。


セレスタの食卓。


月の力を使うたび、思い出が薄れていく。


「薫!」


「止まらないで!」


薫は叫んだ。


「今、姉さんが斬るんだ!」


千鶴は歯を食いしばり、大剣を振り上げた。


太陽の力が刀身へ集まる。


炎ではない。


光でもない。


千鶴の生命そのものが、黄金の輝きへ変わっていく。


剣の形が変わった。


古びた銀色の大剣が、白金と黄金の神聖な刀身へ変化する。


柄には太陽の紋章。


失われていた名が、千鶴の胸へ浮かぶ。


神陽大剣ソル・クラウディア


同時に、薫の二本の剣も姿を変える。


長剣は深い夜のような黒銀。


短剣は月光のような青白い刃。


月影双剣ルナ・セレネ


二人の耳飾りが強く輝く。


千鶴の背後に太陽。


薫の背後に月。


光輪が重なり、黄昏塔を貫く巨大な魔法陣となった。


炉心臨界まで、三十秒。


「薫!」


「分かってる!」


千鶴が大剣を振り下ろす。


《天照断界》


黄金の一閃が、結界を切り裂く。


薫は二本の剣を交差させた。


《月蝕葬界》


炉心から音と光が消える。


爆発しようとしていた魔力が、一瞬だけ完全な静止状態へ入る。


その静寂の中で、千鶴と薫は同時に炉心へ飛び込んだ。


太陽の剣が核を斬り、


月の剣が再生を封じる。


赤黒い球体へ亀裂が走った。


だが、完全には砕けない。


炉心の中心にあるルクシオンの欠片が、二人の力を吸収し始める。


「何これ……!」


千鶴の身体が光へ引かれる。


薫も足元から浮かび上がる。


黒銀の欠片が激しく震えた。


空間が裂ける。


亀裂の向こうに、見知らぬ世界が見えた。


広大な森。


二つに裂けた大陸。


黒い城。


紫色の瞳を持つ巨大な龍。


そして、金髪の女性。


『帰ってきて』


声が聞こえた。


千鶴にも、薫にも。


懐かしいはずのない声。


それなのに、魂の奥が強く揺さぶられる。


「薫!」


千鶴が手を伸ばす。


薫も手を伸ばした。


二人の指が触れる。


今度は離さない。


強く握り合う。


アーク・ノヴァの炉心が崩壊した。


しかし爆発は起きなかった。


暴走していた膨大な魔力が、空間の裂け目へ吸い込まれていく。


黄昏塔が光に包まれる。


地上の兵士たちが空を見上げた。


塔の頂上から、太陽と月を重ねた巨大な紋章が広がっている。


その光を最後に。


千鶴と薫は、エルディアから姿を消した。



黄昏戦争は終わった。


星冠院の記録を見た兵士たちは武器を下ろした。


両国の指導者たちは戦争責任を追及され、星冠院と関係していた者たちは次々と拘束された。


太陽聖王国と月影連邦の間には、長い交渉の末に停戦協定が結ばれた。


失われたものが戻ることはない。


焼かれた村も。


死んだ兵士も。


引き裂かれた家族も。


八年の憎しみが、一日ですべて消えることもなかった。


それでも人々は、初めて武器を置き、互いの言葉を聞こうとした。


黄昏塔の跡地には、一つの碑が建てられた。


太陽と月を重ねた紋章。


その下へ、二人の名が刻まれている。


千鶴。


薫。


国家を捨て、敵味方の区別なく人々を救った二人。


戦争を終わらせ、そのまま光の中へ消えた双子。


人々は彼らを、こう呼んだ。


《伝説の双子》



光のない世界で、薫は誰かの手を握っていた。


温かい。


絶対に離してはいけない手。


「……姉さん」


返事はない。


意識が遠のいていく。


自分が誰なのか。


どこから来たのか。


何を失ったのか。


記憶が一つずつ、暗闇の中へ沈んでいく。


それでも、握った手の温かさだけは忘れなかった。


やがて二人の身体は、柔らかな草の上へ落ちる。


頭上には、エルディアとは違う星空。


木々の隙間から、二つの月が見えていた。


草むらの奥で、小さな紫色の瞳が開く。


漆黒の鱗を持つ小さな龍が、倒れた双子を見つめていた。


遠く離れた黒曜宮。


長い眠りについていた女性が、静かに目を開く。


金髪が、紫色の光を受けて揺れる。


壁に立てかけられた神剣ルクシオンが、低く震えていた。


女性――レイナは、懐かしい気配を感じるように目を細めた。


「双星が……帰ってきた」


伝説は終わった。


そして


まだ誰も知らない、新しい物語が始まった。

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