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双星のレガリア  作者: ボンヌ
プロローグ

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3/20

第三節 白夜城の再会


八年後。


国境要塞《白夜城》の空には、太陽も月もなかった。


厚い雲が天を覆い、夜明け前の薄闇と、燃え上がる城壁の炎だけが戦場を照らしている。


白夜城は、太陽聖王国アルヴァーンと月影連邦ノクシアの境界に築かれた巨大要塞だった。


三度奪われ、三度奪い返された。


数え切れないほどの兵士が、この城を守るために死に、この城を落とすために死んだ。


そして今夜、四度目の攻防戦が始まっていた。


「東壁、突破されました!」


伝令兵の叫びが、石造りの指揮室へ響く。


「敵の工作部隊が内門へ侵入! 魔導炉の制御術式が破壊されています!」


「予備隊を回して! 正門の兵は動かさないで!」


白金の鎧を身にまとった少女が、卓上の地図へ手をつきながら命令を飛ばす。


長い白金髪。


炎を映した琥珀色の瞳。


右手には、彼女の背丈ほどもある巨大な銀の大剣。


十八歳になった千鶴は、太陽聖王国の最年少騎士隊長となっていた。


その名は敵国にまで知れ渡っている。


《白陽の戦姫》


戦場の最前線へ立ち、黄金の炎をまとった大剣で味方を守る少女。


彼女が立つ戦線は崩れない。


彼女が剣を振るう限り、兵士たちは何度でも立ち上がる。


そう語られていた。


「千鶴隊長、東壁へ向かわれるおつもりですか?」


副官の青年が尋ねる。


千鶴は大剣を肩へ担ぎ、指揮室の出口へ歩き出した。


「ここで地図を見ていても、壁は戻らないから」


「しかし、敵の狙いは隊長自身かもしれません。月影連邦は、あなたを討ち取れば王国軍の士気が崩れると――」


「だったら、向こうから来てくれる分だけ探す手間が省けるね」


「冗談を言っている場合ではありません!」


副官の声を背中で聞きながら、千鶴は指揮室を出た。


長い廊下の窓から、炎に包まれた城下が見える。


魔法の光が夜空を走り、砲撃が城壁を揺らしていた。


兵士たちが負傷者を運び、癒療士が血に濡れた床で治療を続けている。


千鶴は歯を食いしばった。


戦争は、八年続いていた。


セレスタ村が焼かれたあの夜から、太陽聖王国と月影連邦の小競り合いは全面戦争へ発展した。


王国は言った。


月影連邦が国境の村を襲い、罪なき民を殺したのだと。


千鶴はそれを信じた。


信じるしかなかった。


薫を奪った者たちを許せなかった。


父と母を奪った者たちを許せなかった。


だから剣を取った。


誰かを守れるほど強くなれば、あの夜のようなことは二度と起きないと思った。


だが、どれほど強くなっても戦争は終わらなかった。


千鶴が一つの村を守る間に、別の村が焼かれる。


一人の兵士を救う間に、十人の兵士が死ぬ。


敵を百人倒しても、次の日には新たな百人が戦場へ送られてくる。


「……こんなの、守ってるって言えるのかな」


誰にも聞こえない声で呟く。


返事をする者はいない。


八年前から、千鶴の隣には誰もいなかった。



白夜城の地下。


月影連邦の黒い戦装束をまとった男が、音もなく石造りの通路を進んでいた。


顔の上半分を覆う黒銀の仮面。


腰には長剣と短剣。


周囲には六人の工作員が続いている。


「第三術式、解除完了」


隊員の一人が小声で報告する。


「残るは中央魔導炉のみです」


男――薫は、壁へ手を触れた。


目を閉じる。


石壁の向こうを流れる魔力。


兵士たちの足音。


揺れる炎。


遠くで交わされる命令。


それらすべてが、水面へ落ちる雨粒のように薫の意識へ広がっていく。


「上階から十二人。正面の角を曲がってくる」


薫が静かに告げる。


「到着まで二十秒」


隊員たちが武器を構える。


「戦闘を避ける。照明を落として西側の通路へ」


「しかし、敵兵を残せば退路を塞がれます」


「魔導炉を止めれば、城壁の結界も砲台も停止する。余計な戦闘は必要ない」


「了解」


薫が指を鳴らす。


廊下を照らしていた魔導灯が、一斉に消えた。


闇が満ちる。


王国兵が角を曲がる直前、薫たちは反対側の通路へ消えていた。


月影連邦特殊工作部隊《静月》。


その中でも薫は、敵の魔法と動きを封じる制圧任務において並ぶ者がいないと評価されていた。


けれど薫は、英雄と呼ばれることを嫌った。


彼は敵兵を必要以上に殺さない。


武器を壊し、術式を止め、任務に必要な道だけを開く。


その姿勢を甘いと非難する者もいた。


だが、薫が殺さずに制圧した兵士から得られる情報によって、多くの連邦兵が命を救われている。


月影連邦では、彼をこう呼ぶ者もいた。


《無音の月》


音もなく現れ、戦場そのものを静める男。


「隊長」


背後を進む女性隊員が尋ねる。


「中央魔導炉の守護者に、《白陽の戦姫》が配置されているという情報があります」


薫の足が、ほんのわずかに止まる。


白陽の戦姫。


その名は何度も耳にしてきた。


太陽聖王国最年少の騎士隊長。


黄金の炎を操り、敵の攻撃から兵士を守る少女。


長い白金髪。


年齢は十八歳。


初めて噂を聞いた時、薫は呼吸ができなくなった。


だが、その人物が千鶴であるはずがない。


千鶴はあの夜、太陽聖王国の兵士に包囲されていた。


村は焼け、橋も崩れた。


自分が川へ落ちた後、姉が助かった保証などどこにもない。


何より、千鶴が自分を襲った国の騎士になるはずがない。


「隊長?」


「問題ない」


薫は歩みを再開した。


「戦姫がいた場合は、僕が抑える。君たちは魔導炉を止めろ」


「一人で相手を?」


「倒す必要はない」


薫はそう答えた。


いつもどおり、冷静な声だった。


しかし胸元では、三日月の耳飾りが微かに震えていた。



東壁の内側では、激しい戦闘が続いていた。


城壁へ侵入した連邦兵を、千鶴率いる白金騎士団が押し返している。


「下がって!」


千鶴が大剣を振るう。


黄金の炎が半円状に広がり、迫っていた連邦兵の足元を焼いた。


炎は兵士の身体には触れず、進路だけを塞ぐ。


「武器を捨てて降伏して! これ以上は戦いたくない!」


「王国の英雄が何を言う!」


連邦兵が水の槍を放つ。


千鶴は大剣の腹で受け止めた。


水が蒸発し、白い霧となって周囲を包む。


霧の中から複数の敵兵が飛び出した。


千鶴は柄を握り直す。


一人目の剣を弾き、二人目の槍を折る。


三人目には足払いをかけ、地面へ倒す。


斬ろうと思えば斬れる。


殺そうと思えば殺せる。


それでも千鶴は、可能な限り命を奪わなかった。


自分が殺した敵にも、家族がいる。


待っている誰かがいる。


それを理解するまでに、八年かかった。


「隊長!」


副官が駆け寄ってくる。


「中央魔導炉へ侵入者です! 地下の防衛部隊と連絡が取れません!」


千鶴の表情が変わる。


中央魔導炉は、白夜城の防衛機能すべてを動かす心臓部。


停止すれば城壁結界が消え、王国軍は撤退する間もなく連邦軍に包囲される。


「ここを任せる」


「お一人で向かわれるのですか?」


「人数を割けば東壁が落ちる。大丈夫、すぐ戻るから」


また、その言葉を口にしていた。


大丈夫。


薫に信用できないと言われた、自分の口癖。


千鶴は胸の痛みを振り払うように走り出した。



中央魔導炉は、白夜城の最深部に存在する。


巨大な円筒状の空間。


幾重もの魔法陣が回転し、青白い魔力が塔の中心を流れている。


薫たちが到着した時、守備兵はすでに待ち構えていた。


「連邦の鼠どもめ!」


王国兵が一斉に魔法を放つ。


火球。


石弾。


風刃。


薫は二本の剣を抜いた。


長剣を横へ振るう。


青白い霧が広がり、火球の熱が失われる。


短剣を床へ突き立てると、周囲から音が消えた。


詠唱を奪われた魔術師たちが目を見開く。


「今だ」


薫の命令で工作員たちが駆け出す。


敵兵の武器を弾き、拘束具を取りつける。


薫は誰も殺さず、魔導炉への道を開いた。


「術式の解除に入ります!」


隊員が制御盤へ向かう。


その瞬間。


天井から黄金の炎が降り注いだ。


薫は咄嗟に長剣を掲げる。


炎と青白い霧が衝突し、魔導炉全体が激しく揺れた。


「全員、下がって!」


上階の通路から、一人の少女が飛び降りる。


白金の髪。


白と赤の軽装鎧。


黄金の炎をまとった巨大な剣。


薫の呼吸が止まった。


少女は着地すると同時に大剣を振るう。


薫は二本の剣を交差させて受け止めた。


轟音。


足元の石床に亀裂が走る。


至近距離で、二人の視線が交わった。


琥珀色の瞳。


八年前と変わらない。


けれど、あの頃よりも強く、鋭く、深い悲しみを宿している。


「……千鶴」


薫の唇から、声が漏れた。


炎と金属音に紛れ、少女には届かなかった。


「魔導炉から離れて!」


千鶴は目の前の仮面の男が誰なのか知らない。


ただ、仲間と城を守るために剣を振るう。


薫は後方へ跳び、千鶴の大剣をかわした。


黄金の刃が石床を砕く。


「隊長、我々が援護を!」


「手を出すな!」


薫は珍しく声を荒らげた。


工作員たちが動きを止める。


千鶴も一瞬だけ眉を寄せた。


「仲間を逃がすつもり?」


「君と戦うのは、僕一人でいい」


仮面越しに答える。


自分から正体を明かせばいい。


千鶴と呼べばいい。


生きていたと伝えればいい。


それなのに、声が出なかった。


もし彼女が本当に千鶴なら、なぜ太陽聖王国の騎士になったのか。


村を襲った者たちの側に立ち、月影連邦の兵を斬っているのか。


そして千鶴から見れば、薫もまた、村を襲ったと教えられた月影連邦の戦士だ。


「あなた……」


千鶴が大剣を構え直す。


「どうして私の炎が効かないの?」


「効いていないわけじゃない」


薫の腕は焼けていた。


剣を握る指も震えている。


千鶴の炎は、以前とは比べものにならないほど強い。


それでも薫の月の力は、姉の炎を静めようとする。


身体が覚えている。


八年前と同じように。


千鶴が踏み込む。


大剣が横薙ぎに振るわれる。


薫は身を低くしてかわし、短剣で千鶴の手首を狙った。


傷つけるためではない。


武器を落とさせるための一撃。


千鶴は柄から片手を離し、薫の短剣を掴んだ。


刃が籠手へ食い込む。


「甘く見ないで!」


千鶴の膝蹴りが薫の腹部へ入る。


薫は吹き飛ばされ、魔導炉の柱へ激突した。


仮面に亀裂が入る。


「隊長!」


「近づくな!」


薫は立ち上がる。


千鶴が大剣を振り上げた。


黄金の炎が刀身へ集まる。


あの構えを、薫は知っている。


幼い頃、木の枝を剣に見立てて何度も振っていた。


右足を半歩引く癖。


振り下ろす直前に、左肩がわずかに下がる。


何も変わっていない。


「避けないなら、終わりだよ!」


千鶴が大剣を振り下ろす。


薫は長剣で軌道を逸らし、千鶴の懐へ踏み込んだ。


短剣の柄で大剣の鍔を打つ。


二人の武器が激しく衝突した。


その瞬間。


千鶴の太陽の耳飾りが黄金色に輝く。


薫の三日月の耳飾りも、青白い光を放った。


二つの光が互いを求めるように伸び、中央で重なる。


魔導炉の回転が止まった。


戦場から音が消える。


千鶴は目を見開いた。


「その耳飾り……」


薫の仮面に入った亀裂が広がる。


黒銀の仮面が砕け、床へ落ちた。


八年の歳月を経た、薫の顔が現れる。


黒に近い紺色の髪。


青紫色の瞳。


幼い頃より細く、鋭くなった輪郭。


それでも千鶴が見間違えるはずはなかった。


大剣が手から滑り落ちる。


「……薫?」


名前を呼ぶ声は、少女の頃と同じだった。


薫は答えようとした。


喉が震える。


何度も夢に見た。


何度も呼び続けた。


死んだと思っていた姉が、目の前にいる。


「姉さん」


薫がそう呼んだ瞬間、千鶴は彼へ駆け寄った。


勢いのまま胸へ飛び込み、両腕で強く抱き締める。


「薫……薫!」


何度も名前を呼ぶ。


薫は動けなかった。


夢ではない。


温かい。


千鶴の腕も、髪も、涙も。


あの夜、離した手が今は自分の背中へ回されている。


薫もゆっくりと腕を上げ、千鶴を抱き締めた。


「生きてた……」


千鶴の声が震える。


「ずっと、死んだと思ってた。私が手を離したから、薫が……」


「違う」


薫は目を閉じる。


「手を離したのは僕だ」


「どうして……」


「姉さんを生かしたかった」


千鶴は薫の胸を拳で叩いた。


強くはない。


幼い子供が泣きながら感情をぶつけるような、弱い拳だった。


「馬鹿」


「うん」


「大馬鹿!」


「うん」


「今度やったら、絶対に許さないから!」


薫は答えられなかった。


今度。


その言葉が、胸の奥へ刺さる。


次がある。


二人には、もう一度やり直す時間がある。


そう思った時。


魔導炉の上階から、鋭い声が響いた。


「白陽の戦姫が、敵工作員と接触!」


王国兵が弓と杖を構えている。


反対側では、月影連邦の工作員たちも武器を抜いた。


「隊長から離れろ!」


「薫隊長を拘束している王国兵を排除しろ!」


千鶴と薫は同時に振り返る。


両軍から見れば、二人は抱き合っているのではない。


敵国の重要人物を拘束しているようにしか見えない。


「待って!」


千鶴が叫ぶ。


「この人は敵じゃない!」


「千鶴隊長、正気ですか!」


王国兵の指揮官が答える。


「その男は中央魔導炉を破壊し、多くの兵を危険にさらした敵兵です!」


月影連邦側からも声が飛ぶ。


「薫隊長! 王国の戦姫を拘束してください!」


薫は千鶴から身体を離した。


「姉さん。太陽聖王国は、セレスタを襲った」


「違う! 村を襲ったのは月影連邦だって――」


二人の言葉が重なる。


沈黙。


千鶴と薫は互いの顔を見つめた。


「……何を言ってるの?」


千鶴が尋ねる。


「僕を救った連邦兵は、王国軍が村を襲ったと言った」


「私を助けた王国兵は、月影連邦が襲ったって」


「でも、あの夜の兵士は王国の鎧を着ていた」


「武器には連邦の紋章があった」


二人は同時に息を呑んだ。


八年前、薫が気づいていた矛盾。


太陽の鎧。


月の武器。


そして、橋の上で二人を待っていた男の仮面。


太陽と月を重ねた紋章。


「どちらの軍でもなかった」


薫が言う。


千鶴の顔から血の気が引く。


「私たち、騙されてたの……?」


八年間。


千鶴は薫を殺した敵だと信じ、月影連邦と戦ってきた。


薫も千鶴を奪った敵だと信じ、太陽聖王国へ潜入してきた。


同じ嘘を、反対側から信じ込まされていた。


「両名、武器を捨てろ!」


王国兵の指揮官が命じる。


「千鶴隊長、その工作員から離れてください!」


「薫隊長!」


連邦兵も叫ぶ。


「任務を遂行してください!」


千鶴は床へ落ちた大剣を拾った。


薫も二本の剣を構える。


しかし二人が向けた刃は、互いではなかった。


千鶴は王国兵と薫の間へ立つ。


薫は連邦兵と千鶴の間へ立つ。


背中合わせ。


八年ぶりに並んだ二人は、八年前と同じように互いを守ろうとしていた。


「千鶴隊長」


王国の指揮官が低い声で告げる。


「その行動は、王国への反逆と見なされます」


「薫隊長」


連邦の工作員も言う。


「敵将を庇うのであれば、あなたも拘束対象となります」


千鶴は大剣を握る手へ力を込めた。


「ねえ、薫」


「なに」


「私たち、また国をなくすことになるかも」


「最初から僕たちの国じゃなかったのかもしれない」


薫は魔導炉を見上げる。


壁面に刻まれた古い術式。


その中央に、見覚えのある紋章があった。


太陽と月を重ねた星。


あの夜、仮面の男がつけていたものと同じ紋章。


「姉さん。あれを見て」


千鶴も紋章を見つめる。


「魔導炉の制御術式に、どうしてあの紋章が……」


薫は短剣を構えたまま、答えた。


「この戦争を始めた者が、今も両国の中にいる」


王国も連邦も、その何者かに操られている。


魔導炉に紋章を刻めるほど深く。


軍を動かし、情報を書き換え、八年間も戦争を続けさせられるほど深く。


千鶴は唇を噛んだ。


「調べよう」


「追われることになる」


「薫は、私が守るから」


八年前と同じ言葉。


薫は一瞬だけ目を伏せた。


そして、わずかに笑った。


「その言葉、まだ嫌いだよ」


「なんで!」


「僕も姉さんを守るから」


千鶴は目を丸くした後、涙の跡が残る顔で笑った。


「じゃあ、二人で守ろう」


「誰を?」


「決まってるでしょ」


千鶴は周囲の兵士たちを見た。


王国兵。


連邦兵。


互いを敵だと信じ、命令に従って戦う者たち。


「全員」


薫は呆れたように息を吐く。


「姉さんは、昔から欲張りだ」


「薫は昔から細かいの」


両軍の魔術師が詠唱を始める。


薫は短剣を床へ突き立てた。


《月蝕葬界》


音が消える。


すべての詠唱が中断され、魔法陣が崩壊する。


同時に千鶴が大剣を振るった。


黄金の炎が円を描いて広がり、兵士たちを傷つけることなく武器だけを弾き飛ばす。


「走るよ、薫!」


「行き先は?」


「外!」


「具体性が何もない」


「薫が考えて!」


「結局僕任せじゃないか!」


二人は魔導炉の側面へ走った。


薫が長剣で配管の一部を切断し、蒸気を噴き出させる。


視界が白く染まる。


千鶴が大剣で外壁を斬り裂いた。


夜明け前の空気が流れ込む。


その先には、白夜城の外壁へ続く深い谷。


「まさか飛ぶ気?」


薫が尋ねる。


「大丈夫!」


「その言葉は信用できないって言ったよね!」


千鶴は薫の手を掴んだ。


「今度は離さないから!」


二人は同時に壁の外へ飛び出した。


背後から兵士たちの叫びが聞こえる。


谷底へ落ちていく二人を、千鶴の黄金の炎と、薫の青白い霧が包み込む。


太陽と月。


八年前に引き裂かれた二つの光が、再び同じ空へ並んだ。



夜が明けた頃。


白夜城から遠く離れた森の中で、千鶴と薫は木の根元へ座り込んでいた。


千鶴の鎧は傷だらけ。


薫の戦装束も焼け、仮面は失われている。


二人とも疲れ切っていた。


けれど、生きている。


隣にいる。


千鶴は何度も薫の顔を見た。


「何」


薫が尋ねる。


「本物かなと思って」


「触る?」


「いいの?」


返事を待たず、千鶴は薫の頬を両手で挟んだ。


「痛い」


「本物だ」


「確認方法が雑すぎる」


千鶴は笑った。


その笑顔を見て、薫の胸の奥に長く凍っていたものが、少しだけ溶けた。


「ねえ、薫」


「なに」


「覚えてる? 村の樫の木」


「猫を助けようとして落ちた時の?」


「薫が受け止めてくれた」


「姉さんは、あれを成功体験として覚えてるの?」


「違うよ」


千鶴は膝を抱え、朝焼けを見つめた。


「薫は、ずっと私を守ってくれてたんだなって」


薫は答えなかった。


あの夜、手を離した。


千鶴を生かすためだった。


それでも八年間、後悔し続けた。


「僕も、姉さんが死んだと思ってた」


「うん」


「連邦の兵士になれば、村を襲った者たちへ近づけると思った」


「私も同じ」


「僕たちは、同じことをしてたんだね」


「やっぱり双子だね」


千鶴が笑う。


薫は自分の耳飾りへ触れた。


三日月は静かに輝いている。


千鶴の太陽も、それへ応えるように淡い光を放っていた。


「これからどうする?」


千鶴が尋ねる。


「両国から追われる」


「うん」


「身分も、居場所も、仲間も失った」


「うん」


「笑うところじゃないよ」


「でも薫がいる」


千鶴は当然のように言った。


「それだけで、八年前よりずっといい」


薫はしばらく黙っていた。


やがて、小さく頷く。


「戦争を仕組んだ者を探す」


「うん」


「セレスタを襲った理由も、僕たちの力のことも調べる」


「うん!」


「姉さんは、もう少し慎重になる」


「それは約束できないかな」


「……やっぱり再会しない方が平和だったかも」


「ひどい!」


森の中へ、千鶴の声が響く。


八年ぶりに交わす、何でもない会話。


それは二人にとって、どんな勝利よりも尊いものだった。


だが、二人はまだ知らない。


白夜城の地下で、彼らの共鳴を観測していた者がいることを。


暗い部屋。


水晶へ映し出された太陽と月の光を、一人の男が見つめている。


白い法衣。


顔を覆う星形の仮面。


その背後には、太陽と月を重ねた紋章が刻まれていた。


「ついに再会したか」


男は静かに笑う。


「八年の憎しみも、戦場で育った力も、すべてはこの時のため」


水晶の中で、千鶴と薫の耳飾りが光っている。


「星冠院へ伝えろ」


男は命じた。


「双星は、予定どおり覚醒段階へ入った」


部屋の闇が揺れる。


無数の仮面をつけた者たちが、音もなく頭を下げた。


「次の儀式を始める」


白夜城の戦いは、一つの再会を生んだ。


そして同時に。


世界を滅ぼしかねない計画を、次の段階へ進めていた。

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