第25話 守護獣
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咆哮が地下室を震わせた。
空気が震え、天井から細かな砂埃が落ちる。
千鶴は大剣を構えたまま、目の前の巨獣を見上げた。
「……大きいね」
「見れば分かるよ」
薫も長剣と短剣を抜き、巨獣から目を離さない。
四足で立っているにもかかわらず、その背丈は千鶴の肩を優に超えている。
灰白色の外皮は岩のように硬く、背中から生えた黒い結晶が青白い光を僅かに反射していた。
巨獣は唸り声を上げながら、二人を睨んでいる。
襲いかかってはこない。
「姉さん」
「うん」
「先に動かないで」
「分かってる」
珍しく千鶴も素直に頷いた。
ノクスは千鶴の肩へしがみつき、身体を低くしている。
「グルルル……」
巨獣がもう一度唸る。
その前脚が石床を掻いた。
爪が触れただけで、硬い床へ浅い傷が刻まれる。
千鶴が小さく息を吐いた。
「あれに引っ掻かれたら痛そう」
「痛いで済めばいいけどね」
「じゃあ当たらなければいいね」
「簡単に言うなぁ」
薫はそう返しながらも、巨獣の動きを観察していた。
視線。
呼吸。
足の位置。
重心。
そして巨獣の背後にある巨大な石扉。
先ほどから一度も、その扉の前を離れていない。
「……」
薫が僅かに目を細める。
その時、千鶴が半歩前へ出た。
巨獣の頭が低くなる。
「グオッ!」
「来る!」
薫が叫んだ。
巨獣が地面を蹴る。
巨体からは想像できない速度だった。
「速っ!」
千鶴は大剣を横へ構える。
直後。
巨獣の前脚が振り抜かれた。
轟音。
大剣の刀身へ衝撃が走る。
「っ……!」
千鶴の身体が横へ押し流された。
靴底が石床を削り、数メートル後方まで滑る。
「姉さん!」
「大丈夫!」
千鶴は大剣を握り直す。
腕が痺れている。
だが、骨に異常はない。
「すっごい力!」
「楽しそうに言わないで!」
薫が巨獣の側面へ走る。
長剣を振るう。
刃が灰白色の外皮へ触れた。
甲高い音。
火花が散る。
「硬い」
岩甲蜥蜴よりも明らかに硬い。
浅い傷すらついていない。
巨獣が薫へ顔を向ける。
薫はすぐに距離を取った。
その直後、黒い結晶が光る。
「薫!」
千鶴の声。
薫は考えるより先に横へ跳んだ。
次の瞬間。
黒い結晶から何かが放たれた。
黒い閃光。
石床へ突き刺さる。
遅れて轟音とともに床が砕けた。
「魔法……?」
千鶴が目を見開く。
「たぶん」
薫は砕けた床を見る。
魔力の塊を射出したように見えた。
属性は分からない。
少なくとも、単純な土魔法ではなさそうだった。
「遠くても危ないね」
「近くても危ないけどね」
巨獣が身体を低くする。
再び黒い結晶が光った。
今度は一つではない。
背中に並ぶ結晶のいくつかへ、同時に魔力が集まっていく。
「姉さん、散って!」
「うん!」
二人が左右へ分かれる。
黒い光が連続して放たれた。
石柱が砕ける。
床が抉れる。
千鶴は大剣を盾のように構えながら走った。
一発が正面から迫る。
「っ!」
刀身を斜めへ傾ける。
黒い閃光が大剣へ触れた。
衝撃。
千鶴の腕が沈む。
受け止めるのではなく、軌道を逸らす。
閃光は大剣の表面を滑り、斜め後方の壁へ激突した。
「よし!」
「受ける必要ないでしょ!」
「避けたら後ろの柱に当たりそうだったから!」
「柱より姉さんの方が大事だよ!」
「でも崩れたら危ないじゃん!」
「それはそうだけど!」
言い合いながらも
二人の動きは止まらない。
薫が巨獣の後方へ回り込む。
その瞬間だった。
巨獣の動きが変わった。
薫へ向かおうとしていた前脚が止まる。
身体を捻り。
石扉と薫の間へ割り込むように移動した。
「……?」
薫が足を止める。
巨獣は低く唸っている。
明らかに立ち位置を優先した。
石扉の前だけは絶対に譲らない。
「薫!」
千鶴が正面から飛び込む。
大剣を横へ振った。
巨獣が前脚を上げる。
金属と岩がぶつかったような轟音が響く。
千鶴は腕へ魔力を集中させた。
「っ……!」
押す。
巨獣の巨体が僅かに後ろへ動く。
一歩。
石扉へ近づく。
その瞬間。
巨獣の瞳が強く輝いた。
「姉さん、離れて!」
巨獣が吠えた。
衝撃波。
千鶴の身体が宙へ浮く。
「うわっ!」
後方へ吹き飛ばされる。
薫が走った。
滑り込むように千鶴の背中へ腕を回す。
二人まとめて床を転がった。
「いたた……」
「大丈夫?」
「うん。ありがと」
千鶴は身体を起こす。
巨獣を見る。
先ほどよりも明らかに興奮している。
黒い結晶が強く輝き。
牙を剥き。
石扉の前へ立ちはだかっている。
薫はゆっくりと立ち上がった。
「……やっぱり」
「何か分かった?」
「少し」
薫は長剣を構え直す。
だが。
今度は巨獣へ向かわなかった。
一歩。
後ろへ下がる。
巨獣は動かない。
さらに一歩。
薫が距離を取る。
低かった唸り声が。
僅かに弱まった。
「姉さんも下がって」
「え?」
「いいから」
千鶴も薫の隣まで下がる。
すると巨獣がゆっくり身体を起こした。
背中の黒い結晶から光が消えていく。
「……止まった?」
「うん」
薫は巨獣を見つめた。
「もう一回試す」
「何を?」
薫が横へ移動する。
石扉から離れる方向。
巨獣は薫を目で追うだけだった。
攻撃してこない。
今度は石扉へ近づく方向へ一歩踏み出す。
「グルルル……!」
巨獣が身体を低くした。
「なるほど」
「何?」
千鶴も気付いたらしい。
石扉を見る。
巨獣を見る。
「この子……」
薫が頷いた。
「僕たちを殺そうとしてるんじゃない」
「扉を守ってる?」
「たぶん」
薫は戦闘の最中を思い返す。
攻撃は激しかったが追撃は少ない。
千鶴が吹き飛ばされた時も。
自分たちが距離を取った時も。
巨獣は追ってこなかった。
それどころか必ず石扉の前へ戻っている。
「奥へ行かせたくないんだ」
薫が言った。
千鶴は大剣を下げた。
「じゃあ、どうする?」
「そこなんだよね」
討伐依頼でもないし
無理に倒す必要もない。
むしろこの巨獣が何かを守っているのだとすれば
殺して進むという判断は避けたい。
薫は巨獣を見つめる。
「話せたら早いんだけど」
「ノクス、聞いてみる?」
「キュル!?」
千鶴の肩でノクスが勢いよく顔を上げた。
薫が見る。
「たぶん通じないと思う」
「龍と獣で何となく分かったりしない?」
「キュルル!」
ノクスが首を横へ振る。
「駄目だって」
「姉さん、今の分かったの?」
「雰囲気」
「だと思った」
巨獣は依然として二人を警戒している。
だが、こちらから近づかなければ攻撃する様子はない。
千鶴が大剣を背負った。
薫が驚いて見る。
「しまうの?」
「戦いたくて戦ってるんじゃないんでしょ?」
「たぶんね」
「だったら、私も戦いたくない」
千鶴は巨獣を見る。
「この子が守ってるものを確認したいだけだもん」
「どうやって通る?」
「……お願いする?」
「通じるかな」
千鶴は巨獣へ向き直った。
「私たち、ちょっと奥を見たいだけなんだけど」
「グルル……」
「壊したりしないよ」
「グルルル……」
「終わったら帰るから」
「グオッ!」
「怒られた」
「そりゃそうでしょ」
薫は苦笑した。
その時、千鶴の耳元で
太陽の耳飾りが淡く輝いた。
「え?」
続いて薫の三日月も青白い光を宿す。
巨獣の反応が変わった。
「……?」
唸り声が止まる。
青白い瞳が。
千鶴。
薫。
二人の耳飾りへ順番に向けられた。
黒い結晶が僅かに光る。
攻撃ではない。
何かへ応じるように
一定の間隔で明滅している。
ノクスが小さく鳴いた。
「キュル……」
巨獣が一歩前へ出た。
千鶴が大剣へ手を伸ばしかける。
「姉さん、待って」
薫が止めた。
敵意がない。
少なくとも先ほどまでとは違う。
巨獣はゆっくりと二人へ近づく。
巨体が目の前まで来た。
近くで見ると。
さらに大きい。
千鶴が見上げる。
「……こんにちは?」
「今?」
巨獣が鼻先を千鶴へ近づける。
匂いを嗅ぐ。
次に薫へ顔を向けた。
月の耳飾り。
青紫色の瞳。
巨獣の青白い瞳が細くなる。
「グル……」
先ほどまでとは違う。
低く静かな声。
巨獣は二人の前で頭を下げた。
「え?」
千鶴が目を丸くする。
薫も言葉を失った。
巨獣はそのまま動かない。
やがて身体を起こす。
道を開けるように
石扉の前からゆっくりと横へ退いた。
「……通っていいってこと?」
千鶴が尋ねる。
「そう見えるね」
「急に?」
「耳飾りを見てからだ」
薫は耳飾りへ触れる。
またこれだ。
星墜ちの森の石柱。
祠の入口。
地下への扉。
そしてこの守護獣。
この世界へ来てから
二人の耳飾りが古い何かへ反応することが増えている。
「薫」
「うん」
「やっぱり、これってただの耳飾りじゃないよね」
「そうだろうね」
母からもらったもの。
幼い頃から。
ずっと身につけていたもの。
それ以上の意味があるとは。
一度も聞かされていない。
薫は巨獣を見る。
「ありがとう」
通じるかは分からない。
それでも言った。
巨獣は一度だけ。
小さく鼻を鳴らした。
◇
石扉の前へ立つ。
近くで見ると表面の紋章はより複雑だった。
大きな星。
重なる太陽と月。
その周囲に無数の小さな円が刻まれている。
千鶴が紋章へ手を近づける。
「触る?」
「今度は僕も一緒に」
「慎重になったね」
「姉さん一人に触らせるよりはね」
「どういう意味?」
二人は並ぶ。
千鶴が太陽へ。
薫が月へ。
同時に手を触れた。
二つの耳飾りが光る。
黄金。
青白。
石扉へ刻まれた紋様が光を受け取る。
低い振動音。
ゆっくりと石扉が左右へ開き始めた。
冷たい空気が流れてくる。
空気に混ざる魔力が先ほどまでとは違う。
あまりにも濃い。
「……っ」
千鶴が僅かに顔をしかめた。
薫も呼吸を浅くする。
身体へまとわりつくような魔力。
そしてその奥に
別の何かが混じっている。
闇。
薫にはそう感じた。
自分の使う闇属性と。
どこか似ている。
「薫?」
千鶴が薫を見る。
「何か分かる?」
「……僕の闇に近い」
「薫の?」
「うん。でも同じじゃない」
そして石扉が完全に開く。
その先にはさらに大きな空間が広がっていた。
地下室というより神殿と呼ぶ方が近い。
石柱が円形に並び。
床一面へ巨大な魔法陣が刻まれている。
そしてその中央。
「……何、あれ」
千鶴が呟いた。
巨大な石碑が立っていた。
二人の身長の何倍もある黒に近い灰色の石。
表面にはこれまで見てきたものより
遥かに複雑な文字と紋様が刻まれている。
だが完全な状態ではない。
石碑の中央へ大きな亀裂が走っていた。
上から下まで。
何かに内側から押し広げられたかのような深い亀裂。
そこから黒紫色の魔力が
煙のように漏れ続けている。
薫の表情が変わった。
「……これだ」
千鶴も石碑を見る。
「魔力?」
「うん」
祠の地下。
地上。
周辺の森。
植物。
魔獣。
すべてへ流れ出していた魔力が
亀裂からゆっくりと溢れ床の魔法陣へ染み込んでいる。
そこからさらに
地下全体へ広がっていた。
「これが原因……?」
千鶴の声が地下神殿へ響く。
薫は答えなかった。
石碑から目を離せない。
亀裂のその奥。
何も見えないはずだった。
「……?」
薫が一歩近づく。
「薫?」
千鶴が呼ぶ。
返事をしない。
薫には聞こえた気がした。
声ではない。
音ですらない。
亀裂の奥から何かが
こちらを見ている。
そんな感覚。
そして薫が石碑へ近づいた瞬間。
黒紫色の魔力が僅かに揺れた。
まるで彼が来るのを
ずっと待っていたかのように。




