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双星のレガリア  作者: ボンヌ
第1章

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第21話 ただいま

いつも読んでいただきありがとうございます!


「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!


これからも楽しんでいただけるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。



「じゃあ、契約の話をしようか」


女性はそう言うと、居間の窓際に置かれていた小さな机へ向かった。


鞄の中から何枚かの紙を取り出し、順番に並べていく。


千鶴と薫も向かい側へ座った。


ノクスはまだ庭が気になるらしく、開け放した窓から何度も外を覗いている。


「まず家賃だけど、この家なら一月で銀貨六枚だね」


「銀貨六枚……」


千鶴が薫を見る。


薫は頭の中で現在の手持ちと照らし合わせていた。


正式登録した時にもらった報酬は、二人合わせて金貨六枚と銀貨五枚。


そこから武器や宿代、食費を支払っている。


昨日の緊急依頼でも報酬が入ったため、銀貨六枚なら今のところ無理なく払える金額だった。


「問題ありません」


薫が答える。


「じゃあ次。契約するときに最初の一月分と、保証金としてもう一月分を預かる。合わせて銀貨十二枚だよ」


「保証金?」


千鶴が首を傾げた。


「家を壊したり、家賃を払わずいなくなったりした時のために預かっておく金さ。何もなければ退去する時に返すよ」


女性の視線がノクスへ向いた。


庭では小さな黒龍が木の周りを走り回っている。


「特にあの子が壁に穴を開けたりしなければね」


「ノクスはそんなことしません!」


千鶴が即答した。


庭から元気な声が返ってくる。


「キュル!」


「本当に?」


薫が窓の外を見る。


「キュル!」


ノクスはもう一度鳴いた。


「たぶん大丈夫です」


「薫!」


女性が声を上げて笑った。


その後も家を借りるうえでの決まりを一つずつ説明していく。


大きな改装をする場合は事前に知らせること。


建物そのものに不具合が出た場合は貸主側で修理すること。


家具の持ち込みに制限はない。


使い魔も近隣へ迷惑をかけなければ問題ない。


説明が進む中、薫は机に置かれた契約書へ目を落としていた。


並んでいる文字の意味は分からない。


話し言葉なら理解できるのに、こちらの文字は今でもほとんど読むことができなかった。


女性がそれに気付いたらしい。


「文字は苦手かい?」


「……はい」


薫は素直に頷いた。


「故郷とは文字が違うので、まだほとんど読めません」


「そういうことか」


女性は特に疑う様子もなく契約書を手に取った。


「なら書いてある内容を最初から読み上げるよ。分からないところがあったら、その場で聞きな」


「ありがとうございます」


契約書の内容が、一項目ずつ読み上げられていく。


薫は聞き逃さないよう注意しながら確認し、千鶴も隣で珍しく真剣な顔をしていた。


「姉さん、分かってる?」


「分かってるよ」


「本当に?」


「家を大事に使って、毎月ちゃんと家賃を払う!」


「だいたい合ってる」


「ほら!」


千鶴が得意そうに笑う。


最後まで説明を聞き終えると、薫は革袋から銀貨十二枚を取り出した。


女性が枚数を確認し、契約書へ何かを書き込んでいく。


「これで契約成立だ」


女性は腰の鍵束から一本を外し、薫の前へ差し出した。


古い鉄製の鍵だった。


特別な装飾もない。


魔法が込められているわけでもない。


薫はそれを受け取った。


手のひらに、小さな重みが乗る。


「今日からここは、あんたたちの家だよ」


千鶴の表情が一気に明るくなった。


「今日から!?」


「ああ。もう好きに使っていい」


「やった!」


千鶴が立ち上がる。


庭へ向かって窓から身を乗り出した。


「ノクス! 今日からここに住むよ!」


「キュルルル!」


ノクスが勢いよく庭を駆け回る。


「姉さん、落ちるよ」


薫が服の背中を掴んだ。


「大丈夫だって」


「その言葉を信用したことないんだけど」


「今度は本当に大丈夫!」


女性はそんな二人を眺めながら笑っていた。


「家具はほとんどないから、寝るつもりなら最低限の物くらいは揃えた方がいいよ」


「家具!」


千鶴が振り返る。


その顔を見て、薫は嫌な予感がした。


「姉さん」


「何?」


「最低限だからね」


「分かってるよ!」


返事だけは良かった。



予感は当たった。


「この机いい!」


「大きすぎる」


「じゃあこっち!」


「高い」


「この棚は?」


「何を入れるの?」


「いろいろ!」


「いろいろで家具は買わないよ」


商業区にある家具屋で、千鶴は店内を右へ左へと動き回っていた。


薫はその後ろを歩きながら、必要な物を一つずつ確認していく。


寝具が二組

小さな食卓

椅子が二脚

木製の杯

包丁

灯りに使う小さな魔導具

掃除用の箒や布。


最低限とはいえ、家で生活するとなれば必要な物は思った以上に多かった。


「ノクスのは?」


千鶴が尋ねる。


「何が?」


「寝るところ」


「たぶん姉さんのベッドで寝ると思うけど」


二人が足元を見る。


ノクスは店内に置かれていた小さな丸いクッションの上へ勝手に座っていた。


「キュル」


「……気に入ってるね」


「キュル!」


千鶴がクッションを持ち上げる。


ノクスも一緒に持ち上がった。


「これもください!」


「結局買うんだ」


「必要な物でしょ?」


「ノクスが使うならね」


「キュル!」


どうやら本人もそのつもりらしい。


会計を済ませる頃には、二人だけで持って帰れる量ではなくなっていた。


家具屋から小さな荷車を借り、食料品店にも寄る。


パン

干し肉

野菜

香辛料

ノクス用の肉。


最後の一つだけ、千鶴が勝手に籠へ入れた。


薫がそれを見つける。


「何これ」


「お菓子」


「見れば分かるよ」


「新居のお祝い!」


「誰が祝うの?」


「私たちが!」


千鶴が当然のように答える。


薫はしばらく姉を見たあと、小さく笑った。


「一つだけね」


「やった!」


「キュル!」


「ノクスにはあげないよ」


「キュッ!?」


今日一番驚いたような声だった。



家具を新居へ運び込む前に、二人はこれまで泊まっていた宿へ戻った。


部屋に置いていた荷物をまとめる。


もともと持ち物は少ない。


服。


冒険者として使う道具。


武器。


それだけだった。


この街へ辿り着いた時は

それすら満足に持っていなかった。


荷物を持って一階へ降りると

女将が二人の姿を見て手を止めた。


「決まったのかい?」


「はい!」


千鶴が嬉しそうに答える。


「庭もあって、お風呂もあるんです!」


「結局、風呂が決め手だったの?」


薫が聞く。


「違うよ!」


「二軒目でも風呂を見た瞬間に決めようとしてたよね」


「あれは……大きかったから」


「やっぱり風呂じゃん」


女将が声を上げて笑った。


「いい家が見つかったなら何よりだよ」


薫はこれまでの宿代を精算して

千鶴と一緒に頭を下げた。


「短い間でしたけど、お世話になりました」


「ありがとうございました!」


女将は二人を見て、少しだけ目を細める。


「最初に来た時とは、随分顔つきが変わったね」


千鶴が首を傾げた。


「そうですか?」


「あの時は、二人ともずっと周りを気にしてたからね。特に弟さんの方は」


薫は何も言わなかった。


否定はできない。


正式登録した日の朝、初めてこの宿で食事をした。


まだアルカの街がどんな場所なのかも分からず

誰を信用していいのかさえ判断できなかった。


それから何度かこの食堂で朝を迎えた。


気付けばこの場所にも慣れていた。


「また飯くらい食べに来な」


女将が笑う。


「宿に泊まってなくたって、食堂は使えるんだから」


「来ます!」


千鶴が即答する。


「絶対来ます!」


「キュル!」


「その子も連れておいで」


ノクスが嬉しそうに羽を動かした。


千鶴はもう一度頭を下げる。


「行ってきます!」


女将が一瞬だけ目を丸くしたあと、笑った。


「そこは普通、世話になりましたじゃないのかい?」


「また来るからいいんです!」


「そうかい」


女将は手を振った。


「行っておいで」


二人と一匹は宿を出た。



新しい家へ戻る頃には

空が少しずつ夕暮れ色へ変わり始めていた。


借りた荷車から荷物を降ろし

一つずつ家の中へ運び込む。


食卓は居間の中央。


椅子を二脚。


食器は台所の棚。


武器や冒険道具は奥の物置へ。


千鶴の部屋には寝台を一つ。


薫の部屋にも一つ。


ノクスのクッションは千鶴の部屋へ置くことになった。


「どう?」


千鶴が床へ置いたクッションを指差す。


ノクスは慎重に近づくと、前脚で何度か表面を押した。


柔らかさを確かめるようにくるくると回り、そのまま身体を丸める。


「キュル……」


目を閉じた。


「気に入ってる!」


「早いね」


薫が笑う。


「買ってよかったでしょ?」


「それは認める」


千鶴は満足そうに頷いた。


二人で荷物を片付け終えた頃には

外はすっかり暗くなっていた。


初めて使う台所で作った夕食は簡単なものだった。


買ってきた野菜と干し肉を煮込んだスープ。


パン。


焼いた肉。


豪華ではない。


千鶴は食卓へ料理を並べると、満足そうに腰へ手を当てた。


「できた!」


薫がスープを見る。


「ちゃんと食べられる?」


「失礼だなぁ」


「姉さんが料理してるところ、久しぶりに見たから」


「私だってできるよ」


「できないとは言ってない」


「じゃあ食べてみて」


薫が匙ですくい、口へ運ぶ。


千鶴が向かい側からじっと見ている。


ノクスまで薫の顔を覗き込んでいた。


「どう?」


薫は少し考える。


「美味しいよ」


「ほんと!?」


「うん」


「よかったぁ」


千鶴が安心したように自分の分を食べる。


その直後。


動きが止まった。


「……ちょっと薄いね」


「僕は何も言ってないよ」


「薄いって思ったでしょ!」


「美味しいとは言った」


「薫!」


ノクスが小さく鳴く。


「キュル」


「ノクスは美味しいよね?」


千鶴が肉を一切れ差し出す。


ノクスは迷うことなく食べた。


「キュル!」


「ほら!」


「それ味付けしてない肉だけどね」


「もう!」


小さな家に、二人の声が響く。


宿の食堂より静かだった。


周りに他の客はいない。


誰かの話し声も聞こえない。


聞こえるのは食器が触れる音と

時折鳴くノクスの声くらい。


不思議な感覚だった。


自分たちで用意した食事。


窓の外には、さっきまでノクスが走っていた庭が見える。


千鶴はスープを飲みながら

何度も部屋の中を見回していた。


「何?」


薫が尋ねる。


「ううん」


千鶴は笑う。


「家だなぁって思って」


薫も部屋を見る。


朝まで何もなかった場所には机と椅子がある。


食器がある。


寝台がある。


物置には二人の剣が並んでいる。


たった一日で、空っぽだった家に少しだけ生活の形ができていた。


「まだ全然揃ってないけどね」


「これからでいいじゃん」


千鶴が答える。


「女将さんも言ってたでしょ。

住んでから自分たちで家にしていけばいいって」


「そうだったね」


薫は小さく笑った。


食事を終えると

薫は借りていた荷車を返しに行くことになった。


「私も行こうか?」


「すぐそこだから大丈夫」


「じゃあ片付けしてる」


「姉さんが?」


「何その顔!」


「何でもないよ」


薫は笑いながら玄関へ向かった。


「すぐ戻る」


「うん」


扉が閉まる。


千鶴は食器を重ね、台所へ運び始めた。


ノクスも後ろをついて回る。



荷車を返し終え

薫は一人で住宅区を歩いていた。


夜のアルカは静かだった。


商業区ほど明るくはないが

道沿いに設置された魔導灯が淡い光を落としている。


遠くから酒場の笑い声が聞こえた。


この世界へ来てから

まだそれほど時間は経っていないが

多くのことがあった。


星墜ちの森で目を覚まし

ノクスと出会い

商隊を助け

アルカへ辿り着いた。


冒険者になり女王個体と戦いって

初めて依頼を達成した。


そして今日。


家を借りた。


薫は手の中にある鍵を見る。


小さな鉄の鍵。


ただそれだけの物なのに

不思議と何度も目が向いた。


やがて白い石壁と赤茶色の屋根が見えてくる。


窓から明かりが漏れていた。


薫は玄関の前で足を止める。


鍵を使おうとして、少し迷った。


中から足音が聞こえた。


扉が開く。


「薫!」


千鶴だった。


足元からノクスも顔を出す。


「キュル!」


「遅かったね」


「荷車を返しただけだよ」


「分かってるけど」


千鶴は扉を大きく開けた。


「おかえり」


薫の動きが止まった。


何でもない言葉だった。


千鶴も特別な意味を込めたわけではないのだろう。


けれど、その言葉を聞いた瞬間。


昔の景色が浮かんだ。


セレスタの診療所。


夕食の匂い。


静の声。


宗一郎の背中。


扉を開けば、誰かがいた。


帰れば、迎えてくれる人がいた。


長い間失っていたものだった。


千鶴が不思議そうに首を傾げる。


「薫?」


薫は小さく笑った。


「ただいま」


「うん!」


千鶴も笑う。


「キュル!」


ノクスまで嬉しそうに鳴いた。


薫は家の中へ入り、扉を閉める。


まだ借りたばかりの家だった。


足りない物も多く、家具だって最低限しかない。


それでも扉の向こうから「おかえり」と聞こえるだけで

そこはもう薫にとって十分に帰る場所になっていた。

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