第19話 帰る場所
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自由都市アルカの城門が見えてきた頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
千鶴たちは、救援に駆けつけた冒険者たちと共に街道を歩いていた。
後ろには、応急処置を終えた輸送隊。
傷ついた荷馬車も、動けるものはゆっくりと車輪を回している。
「疲れたぁ……」
千鶴が大きく伸びをした。
その肩では、ノクスが前脚をだらりと垂らしている。
「キュルぅ……」
「ノクスも疲れた?」
「キュル……」
「ほとんど肩に乗ってただけじゃない?」
薫が横から言う。
ノクスが顔だけを上げた。
「キュル!」
「怒った」
「薫、ノクスだって応援してくれてたんだから」
「応援で疲れるの?」
「疲れるよ。ね?」
「キュル!」
千鶴とノクスが同時に頷く。
薫は小さく息を吐いた。
「二対一はずるいな」
そんなやり取りをしながら城門へ近づいていく。
だが。
門をくぐった瞬間。
千鶴が足を止めた。
「……ん?」
何人かの冒険者が、こちらを見ている。
一人ではない。
門の近くにいた者。
露店の前にいた者。
酒場へ向かっていた者。
視線が次々と千鶴と薫へ向けられる。
「ねえ、薫」
「うん」
「なんか見られてない?」
「見られてるね」
「なんで?」
「さあ」
薫はそう答えたが、なんとなく予想はついていた。
街道での戦い。
あれだけ多くの冒険者がいたのだ。
誰かが先に戻っていれば、話が広がっていても不思議ではない。
すれ違った冒険者たちの会話が耳へ届く。
「……あれじゃないか?」
「白い髪の大剣使いと、二刀の……」
「本当に石札だぞ」
「嘘だろ」
千鶴が自分の胸元を見る。
灰色の石札。
「石札がどうかしたのかな」
「たぶん、そこじゃないと思う」
「?」
千鶴は首を傾げた。
肩のノクスまで同じ方向へ首を傾ける。
「キュル?」
薫は二人を見て、それ以上説明するのを諦めた。
◇
冒険者ギルドへ入った瞬間。
千鶴は再び足を止めた。
こちらでも同じだった。
何人もの冒険者が二人を見る。
酒を飲んでいた者まで、杯を持ったままこちらへ顔を向けていた。
「……やっぱり見られてる」
「そうだね」
少し後ろから入ってきたロイが吹き出した。
「そりゃ見るだろ」
「なんで?」
千鶴が振り返る。
「お前、本気で言ってんのか?」
「うん」
「位階Ⅱの個体を倒したストーン級なんて、普通いねぇんだよ」
「あ」
千鶴はようやく納得したように手を打った。
「そっか」
「そっか、じゃねぇよ」
ロイが呆れる。
隣でミナも苦笑していた。
その時。
「戻ったか」
聞き慣れた低い声がした。
バルトだった。
腕を組み、受付の近くに立っている。
四人の姿を確認すると、その視線が汚れた装備へ向いた。
「全員、生きて戻ったな」
「はい!」
千鶴が答える。
バルトは一度頷く。
そして。
「戦ったな」
「……はい」
今度の千鶴の返事は少し小さかった。
ロイとミナも黙る。
薫が一歩前へ出た。
「回復薬は指示通り届けました」
「聞いている」
「その後、一度は帰還しようとしました。でも前線が崩れて、負傷者のところまで魔獣が抜けました」
バルトは何も言わない。
薫は続ける。
「そのまま撤退すれば、動けない負傷者が襲われる状況でした。だから戦いました」
短い沈黙。
やがてバルトが口を開いた。
「それでいい」
ロイが顔を上げる。
「え?」
「俺が言ったのは、勝手に討伐へ参加するなということだ」
バルトは四人を見る。
「依頼の目的を忘れるな。だが目の前で人が死ぬ状況まで無視して帰ってこいとは言っていない」
薫が小さく頷いた。
「状況が変われば、判断も変わる」
バルトは続ける。
「重要なのは、なぜその判断をしたのか説明できることだ」
そして少しだけ目を細めた。
「少なくとも今回は問題ない」
ロイが大きく息を吐いた。
「よかった……」
「ただし」
バルトの声が低くなる。
ロイの肩が跳ねた。
「勝手に前線の奥まで突っ込んだ馬鹿がいたと聞いている」
ロイが千鶴を見る。
ミナも千鶴を見る。
薫も千鶴を見る。
「え?」
千鶴が三人を見回す。
「なんで私を見るの?」
バルトが額を押さえた。
「……自覚がないのが一番面倒だな」
「ちゃんと負傷者を守ったよ?」
「結果の話をしているんじゃない」
「でも――」
「姉さん」
薫が止める。
「たぶん、今は謝った方が早い」
「……ごめんなさい」
「本当に分かってるのか?」
「たぶん!」
「分かってないな」
バルトが深いため息を吐いた。
ロイが堪えきれず笑う。
ミナも口元を押さえた。
「もう!」
千鶴が頬を膨らませる。
その肩でノクスだけが味方をするように鳴いた。
「キュル!」
「ノクスは分かってくれるよね!」
「そいつを味方に数えるな」
◇
報告を終えると、エルナが受付の奥から戻ってきた。
「皆さん、お疲れさまでした」
机の上に小さな革袋が並べられる。
「今回の回復薬輸送任務は、緊急依頼として正式に処理されます」
ロイの目が輝く。
「報酬出るんですか?」
「もちろんです」
エルナが笑う。
「さらに現場での救助活動についても報告が届いています。こちらはギルドで確認後、評価へ加算されます」
「評価……」
ミナが胸元の石札を見る。
「冒険者ランクの?」
「はい」
エルナが頷く。
「依頼達成数だけではありません。救助、判断、報告内容なども昇格審査の対象になりますから」
千鶴も自分の石札をつまんだ。
「じゃあ、頑張ったらアイアンになれる?」
「もちろん」
「おぉ……」
少し嬉しそうに石札を見る。
だが薫は、その横で革袋の中身を確認していた。
今回の報酬。
これまでの残金。
武器の購入費。
宿泊費。
食費。
頭の中で数字を整理する。
「薫?」
千鶴が覗き込む。
「どうしたの?」
「いや」
薫は革袋を閉じた。
「思ったよりお金が減ってないなと思って」
「じゃあいっぱいご飯食べられる?」
「どうして最初に食費が出てくるの」
「大事でしょ」
「キュル!」
ノクスまで元気よく鳴いた。
エルナが思わず笑う。
「お二人は宿をご利用でしたよね?」
薫が顔を上げた。
「はい」
「でしたら、少々早いかもしれませんが
貸家を探されてみてはいかがですが?」
「貸家?」
千鶴が聞き返す。
「冒険者の方には多いですよ。長期間アルカを拠点にする方は、宿より家を借りた方が生活しやすいですから」
千鶴の表情が変わる。
「家……」
その一言を、ゆっくり繰り返した。
薫も黙った。
家。
その言葉は、二人にとって少しだけ特別だった。
セレスタの診療所。
宗一郎と静。
四人で囲んだ食卓。
もう戻ることのできない場所。
それから長い間。
二人にとって家とは、帰る場所ではなかった。
軍の宿舎。
野営地。
隠れ家。
廃屋。
戦場から次の戦場へ向かう途中で、身体を休めるための場所。
この世界へ来てからも。
森で夜を越し。
アルカへ辿り着き。
ギルドの宿を借りている。
でも。
「借りられるの?」
千鶴が尋ねた。
「もちろんです」
エルナが答える。
「身分証もありますし、冒険者として正式登録されています。家賃を払えるのであれば問題ありません」
「ノクスも?」
「大家さん次第ですが、使い魔可の物件もありますよ」
千鶴が肩を見る。
ノクスが期待するように目を輝かせていた。
「キュル?」
「……薫」
嫌な予感がした。
薫が姉を見る。
千鶴の顔には、もう答えが書いてある。
「家、借りようよ」
「やっぱりそうなるよね」
「だって!」
千鶴が一歩近づく。
「自分たちの家だよ?」
その言葉に。
薫は少しだけ黙った。
自分たちの家。
帰れば千鶴がいる。
ノクスがいる。
剣を置く場所があって。
食事をして。
眠って。
また次の日、そこから出かける。
「……そうだね」
薫が小さく笑った。
「探してみようか」
「ほんと!?」
「キュル!」
千鶴とノクスの声が重なった。
「やった!」
千鶴がノクスを抱き上げる。
「私たちの家だって!」
「キュルル!」
「まだ決まってないからね」
薫が言う。
だが
千鶴はもう聞いていなかった。
「ノクスの寝る場所も作ろうね!」
「キュル!」
「大きい台所も欲しい!」
「キュル!」
「姉さん」
「あとお風呂!」
「家賃も見てから決めるんだからね」
薫の声を聞き流しながら。
千鶴は楽しそうにまだ見ぬ家の話を続けていた。
その姿を見ながら薫は小さく笑う。
この世界へ来てから初めて。
二人は、生き延びるためではなく
これから暮らすための場所を探そうとしていた。




