第11話 新たな相棒
ギルドの重い扉が静かに閉まる。
夕暮れの風が二人の頬を撫でた。
張り詰めていた空気がほどける。
その瞬間だった。
「キュルルルッ!」
千鶴の肩へ大人しく乗っていたノクスが、勢いよく飛び上がった。
「わっ!」
千鶴の頭へ飛び乗る。
次の瞬間には肩へ戻り、そのまま背中を駆け回る。
「ちょ、ちょっと!」
千鶴が慌てて両手で捕まえる。
ノクスは腕の中へ収まると、満足そうに目を細めた。
「キュル」
「絶対楽しんでるでしょ」
「キュルル」
薫が小さく笑う。
「ギルドではずっと我慢してたからね」
「そういえば、一回も鳴かなかったね」
千鶴がノクスの頭を撫でる。
「偉かったね」
ノクスは気持ち良さそうに目を閉じた。
夕暮れの街は活気に満ちていた。
屋台からは香ばしい匂いが漂い、人々の笑い声があちこちから聞こえてくる。
ノクスの鼻がぴくりと動く。
「キュル!」
その視線の先には、串焼きの屋台。
千鶴も同じ方向を見る。
「……お腹空いた」
薫も苦笑した。
「僕も」
試験。
女王個体との戦闘。
報告。
正式登録。
気がつけば、日も傾き始めていた。
「先に食べる?」
千鶴が聞く。
薫は腰へ視線を落とした。
そこには何もない。
試験で使った長剣と短剣はギルドへ返却した。
元の世界から持ってきた武器も、保管庫へ預けている。
今の二人は、正式な冒険者でありながら武器を一本も持っていなかった。
「武器が先かな」
「だよね」
千鶴も素直に頷く。
「そのあと、ご飯!」
「うん」
ノクスが再び屋台へ前脚を伸ばした。
「キュル……」
「ノクスも我慢」
千鶴が抱き上げる。
「帰りに美味しいの食べようね」
「キュル!」
今度は元気よく返事をした。
二人は並んで石畳を歩き始める。
薫は革袋を軽く持ち上げた。
金貨が小さく音を立てる。
「結局、どれくらい残ったんだっけ?」
千鶴が尋ねる。
「二人合わせて金貨六枚と銀貨五枚」
「すごいの?」
「たぶん」
「ロイの反応を見る限り」
「そっか」
千鶴は少し考え込んだ。
「じゃあ、いい武器買えるね!」
薫は首を横に振る。
「買えるとは思う」
「でも買わない」
「え?」
「今は武器だけあれば生活できるわけじゃない」
「宿代、食事、服、生活用品
何が必要になるかまだ分からないし、次の報酬が入るかも分からない」
「だから今は、壊れても買い替えられるくらいの武器で十分だと思う」
千鶴は少し考えたあと、納得したように頷いた。
「なるほど」
「じゃあ今日は最低限!」
「うん」
二人の考えは一致していた。
元の世界では、長年使い続けた武器がある。
だからこそ分かる。
本当に良い武器は、焦って選ぶものではない。
やがて見覚えのある看板が見えてきた。
試験前に武器を借りた武器屋だった。
扉を開くと、金属と油の匂いが鼻をくすぐる。
店主は作業台で刃を研いでいた。
二人を見ると、手を止める。
「おう」
低い声が店内へ響く。
「戻ってきたか」
「はい」
薫が軽く頭を下げる。
「正式に冒険者になりました」
店主は口元を少しだけ緩めた。
「そうか」
「なら今日から、お前たちも客だな」
その時だった。
ノクスが千鶴の肩から飛び降りる。
「キュル!」
店の中を嬉しそうに歩き始めた。
「あっ、ノクス!」
千鶴が追いかけようとする。
だがノクスは武器には触れない。
棚へ並ぶ剣や槍の前を歩き、一つ一つ興味深そうに匂いを嗅いでいるだけだった。
店主がその様子を見て笑う。
「武器に興味があるらしい」
ノクスは一番大きな戦槌の前で立ち止まる。
「キュル!」
「それはやめとけ」
店主が笑いながら言う。
「お前じゃ持ち上がらん」
ノクスは不満そうに一鳴きすると、千鶴の肩へ戻ってきた。
「店の商品には触らない。賢いじゃねぇか」
店主はノクスを一瞥すると、今度は薫へ視線を向ける。
「それで」
「今日は何を探してる」
薫は迷わず答えた。
「僕は長剣と短剣、姉さんは大剣です」
店主は静かに頷いた。
「なるほど」
そう言うと店の奥へ歩いていく。
棚を眺め、しばらく考えたあと、一本の長剣と一本の短剣を取り出した。
さらに別の棚から一振りの大剣を担いで戻ってくる。
三本とも派手な装飾はない。
店主は最初に長剣を薫へ差し出した。
薫は右手で受け取り、ゆっくりと鞘から引き抜く。
刃に歪みはない。
重心も悪くなかった。
静かに構え、一歩踏み出す。
鋭く一閃。
続けて二閃。
無駄のない剣筋が店内を走る。
店主は黙って見ていた。
薫は長剣を鞘へ納める。
「悪くありません」
店主は今度は一本の短剣を差し出した。
薫は左手で受け取る。
長剣を右手。
短剣を左手。
自然といつもの構えになる。
長剣で間合いを測る。
短剣で死角を補う。
身体が覚えている動きだった。
何度か型を繰り返し、薫は静かに武器を下ろした。
「これなら問題なく使えます」
「そうか」
店主は短く頷く。
「試験じゃその組み合わせだったらしいな」
「はい」
「珍しい戦い方だ」
「慣れてるので」
店主はそれ以上聞かなかった。
今度は大剣を千鶴へ差し出す。
千鶴は両手で柄を握り、ゆっくり持ち上げた。
試験で使った大剣より、少し軽い。
だが軽すぎるわけでもない。
重さが身体へ自然と馴染む。
「せいっ!」
一歩踏み込み、大きく振り抜く。
風を切る音が店内へ響いた。
「おぉ……」
思わず千鶴の口元が緩む。
「振りやすい」
店主は腕を組んだ。
「重けりゃ強いってもんじゃねぇ
扱えなきゃ、ただの鉄の塊だ」
千鶴はもう一度だけ振る。
そして嬉しそうに笑った。
「これ、好き」
「なら十分だ」
その様子を見ていたノクスが、千鶴の肩から飛び降りる。
「キュル!」
薫の足元まで歩くと、新しい長剣の鞘をクンクンと嗅ぎ始めた。
続いて短剣。
さらに千鶴の大剣へ近寄る。
しばらく匂いを嗅いだあと、満足そうに一鳴きした。
「キュル」
「ノクスも気に入ったみたいだね」
千鶴が笑う。
店主も思わず口元を緩めた。
「武器を見る目はあるらしい」
「キュル!」
褒められたことが分かったのか、ノクスは胸を張る。
その姿に三人とも小さく笑った。
店主は武器を作業台へ置き、薫を見る。
「一つだけ覚えとけ」
薫が顔を上げる。
「今は、それで十分だ」
店主は三本の武器へ視線を落とした。
「高い武器を買えば強くなる
そう思ってる奴は少なくねぇ
だが、俺はそうは思わん」
静かな声だった。
だが、その言葉には重みがあった。
「いい武器はな」
店主は長剣へそっと手を置く。
「相棒が見つかってから買え」
千鶴が首を傾げる。
「相棒?」
「何年使っても手放したくねぇ」
「そう思える武器だ、そういう一本に出会った時だけは金を惜しむな」
薫は右手の長剣を見る。
左手の短剣を見る。
まだ、この二本は借り物ではない。
だが、一生を共にする武器でもない。
それでも、この世界で最初に共に戦う武器になる。
薫は静かに頷いた。
「覚えておきます」
店主は満足そうに頷いた。
「焦る必要はねぇ
お前たちは、まだ始まったばかりだ」
会計を済ませる。
長剣、短剣、大剣。
三本合わせて銀貨十一枚。
薫が銀貨六枚。
千鶴が銀貨五枚を支払った。
二人は新しい武器を身に着け、武器屋を後にする。
店を出る頃には、空はすっかり夕焼け色へ染まっていた。
「やっとご飯!」
千鶴が嬉しそうに言う。
「キュル!」
ノクスも元気よく鳴く。
薫は苦笑しながら頷いた。
「今日は頑張ったからね」
近くの屋台で串焼きと焼きたてのパンを買う。
ノクスにも小さく切り分けた肉を渡すと、美味しそうに頬張っていた。
「美味しい?」
「キュル!」
宿へ戻ると、小さな机へ革袋を置く。
千鶴は金貨を指先で転がした。
「結構残ったね」
「うん」
薫も頷く。
「でも、家を買うにはまだ足りないかな」
「じゃあ目標だね」
千鶴は笑う。
「家を買う!
ノクスも自由に遊べるし
預けた武器も迎えに行ける」
ノクスが返事をするように鳴いた。
「キュル!」
薫も穏やかに笑う。
「まずは依頼をこなそう」
「生活を安定させて、それから家を探そう」
「うん!」
千鶴は力強く頷いた。
窓の外には、静かな夜の街が広がっている。
この世界へ来た時、二人には何もなかった。
身分も。
仕事も。
帰る場所も。
だが今は違う。
冒険者として認められ、自分たちの武器を手にし、目指す場所もできた。
その隣には、小さな相棒もいる。
ノクスは二人の間へ丸くなり、安心したように目を閉じた。
薫は窓の外を見つめる。
「明日から忙しくなるね」
「うん」
千鶴は微笑んだ。
「楽しみ」
静かな夜が、三人を優しく包み込んでいた。




