第10話 正式登録
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受付嬢が奥へ消えてから、ギルド内の空気は落ち着きを失っていた。
巨大な青い魔石は布をかけられ、受付台の奥へと運ばれている。
周囲の冒険者たちは何事かと視線を向けていたが、バルトは何も説明しなかった。
しばらくして戻ってきた受付嬢が、一行へ頭を下げる。
「ギルド長がお会いになります。こちらへどうぞ」
案内されたのは、ギルドの二階だった。
廊下の突き当たりにある扉の前で、受付嬢が足を止める。
二度、扉を叩いた。
「バルト試験官と、仮登録試験を受けた四名をお連れしました」
「入れ」
低く、落ち着いた声が返ってくる。
扉が開かれ、一行は室内へ入った。
部屋の奥には、大きな机が置かれていた。
その向こうに座っているのは、白髪の混じった男だった。
年齢は五十を越えているように見える。
目立った装飾品は身につけていない。
だが、男が視線を向けただけで、ロイとミナの背筋が同時に伸びた。
「ギルド長」
バルトが短く告げる。
ギルド長は頷き、四人へ座るよう促した。
机の上には、先ほど運び込まれた魔石が置かれている。
布は既に外され、淡い青色の光が室内を照らしていた。
ギルド長は魔石へ手を伸ばし、表面を静かに確認する。
「水路鼠女王の魔石で間違いないな」
「はい」
バルトが試験開始からの経緯を報告していく。
水路鼠の巣を発見したこと。
依頼内容に従い、内部を確認したこと。
その奥で女王個体と遭遇したこと。
撤退を試みたものの、地下を通った女王個体に退路を塞がれたこと。
そして、薫と千鶴が女王個体を討伐したこと。
ギルド長は一度も話を遮らなかった。
報告が終わると、室内に短い沈黙が落ちる。
ギルド長の視線が、薫へ向けられた。
「女王個体を発見した時、撤退を選んだそうだな」
「はい」
「理由を聞こう」
薫は少しも迷わず答えた。
「依頼の目的は、水路鼠の巣を確認することでした。女王個体の討伐は依頼に含まれていません。相手の能力も、巣の内部の構造も分からない状態でした。戦うより、戻って報告するべきだと判断しました。」
ギルド長は薫から千鶴へ視線を移す。
「お前も同じ考えだったのか」
「うん」
千鶴は短く答えた。
ギルド長は目を閉じ、わずかに頷く。
「正しい判断だ」
その言葉に、ロイとミナが小さく息を吐いた。
「冒険者の仕事は、魔物を倒すことだけではない。依頼を達成し、生きて帰ることだ」
ギルド長は再び魔石へ視線を落とす。
「この魔石は、完全に成長した女王個体のものではない」
バルトが眉を動かした。
「女王になったばかり、ということですか」
「ああ。魔石の形成がまだ浅い」
ギルド長は指先で、魔石の中央を示す。
「群れを増やし始めてから、それほど時間は経っていないはずだ」
それを聞き、ミナが不安そうに口を開いた。
「だから……街では被害が出ていなかったんですか?」
「そうだろう」
水路鼠は、単体であれば大きな脅威ではない。
だが女王個体が生まれれば、群れは急速に拡大する。
水路だけではない。
河川や貯水施設、周辺の畑にまで被害が広がっていく。
「発見があと数か月遅れていれば、この街の水路だけでは済まなかった」
ロイが息を呑む。
ミナも青ざめた表情で魔石を見つめていた。
自分たちが足を踏み入れた場所で、災害が生まれようとしていた。
その事実を、今になって理解したのだ。
ギルド長はバルトへ顔を向ける。
「試験官としての判断を聞こう」
「四名とも合格です」
バルトは即答した。
「ロイとミナは、予想外の状況でも撤退の指示に従いました。女王個体との戦闘では動揺もありましたが、今回の経験を次に活かせるでしょう」
ロイとミナが神妙な表情で頷く。
「薫と千鶴については、判断力、戦闘能力ともに問題ありません」
バルトは一度言葉を切った。
「仮登録者として見るなら、過剰なほどです」
ギルド長は薫と千鶴をしばらく見つめた。
二人は、その視線を黙って受け止めている。
「異論はない」
ギルド長は机の上に置かれた小さな鐘を鳴らした。
すぐに扉が開き、受付嬢が入ってくる。
「四名の正式登録を進めろ」
「かしこまりました」
その言葉を聞いたミナの表情が明るくなる。
ロイも拳を握り、小さく笑った。
千鶴が隣にいる薫を見る。
薫もわずかに頷いた。
「続いて、今回の報酬について説明する」
受付嬢が四人の前へ、それぞれ小さな革袋を置いていく。
「本来の試験依頼報酬は、一人につき銀貨二枚」
ギルド長が続ける。
「加えて、依頼に記載されていなかった女王個体と遭遇したことへの危険手当として、銀貨五枚を支払う」
ロイとミナの前に置かれた革袋には、合わせて銀貨七枚が入っていた。
「女王個体の討伐報酬は、実際に討伐した二名へ支払う。薫、千鶴。それぞれ金貨二枚だ」
受付嬢が、二人の前へ新たな革袋を置く。
ロイの目が大きく開かれた。
だが説明はまだ終わっていなかった。
「女王個体の素材については、どうする」
ギルド長の問いに、薫は千鶴を見る。
二人は既に決めていた。
「全部、買い取ってください」
「いいのか。魔石を含め、武具の素材として使える物もある」
「今はお金の方が必要です」
薫が答えると、ギルド長はそれ以上勧めなかった。
「分かった。魔石、牙、爪、皮を合わせ、買取額は金貨二枚とする」
素材の買取額は、薫と千鶴へ半分ずつ分配されることになった。
これで二人には、それぞれ金貨三枚と銀貨七枚が支払われる。
その金額を聞いても、薫と千鶴の反応は薄かった。
二人とも、この世界の金の価値をまだ正確には理解していない。
「……お前ら」
ロイが震える声を漏らす。
「それがどれだけの金額か、分かってないだろ」
「多いの?」
千鶴が尋ねる。
「多いなんてもんじゃねぇよ!」
ロイの声が室内に響く。
すぐにギルド長の視線を受け、ロイは慌てて口を閉じた。
受付嬢が小さく咳払いをする。
「ただし、貸与武器の損傷分を差し引かせていただきます」
机の脇には、試験で使用した武器が置かれていた。
千鶴が使った大剣は、刃の一部が大きく欠けている。
薫の双剣も、何度も水鎧を斬りつけたことで刃こぼれを起こしていた。
「大剣の修繕費が銀貨五枚。双剣二振りの修繕費が銀貨四枚です」
千鶴の報酬から銀貨五枚。
薫の報酬から銀貨四枚が差し引かれる。
「ごめんなさい」
千鶴が大剣を見ながら謝る。
ギルド長は首を横に振った。
「貸与武器を破損した場合、費用を負担するのは規則だ。
だが、位階Ⅲの魔物を相手にした結果だ。扱い方に問題があったわけではない」
受付嬢が計算を終え、改めて革袋を二人へ差し出す。
薫には金貨三枚と銀貨三枚。
千鶴には金貨三枚と銀貨二枚。
二人は革袋を受け取り、その重さを確かめた。
これだけあれば、当面の生活には困らない。
そして、自分たちの武器を買うこともできる。
手続きが進められる中、ギルド長の視線が部屋の隅へ向いた。
そこには、薫と千鶴がこの世界へ来た時から持っていた武器が置かれている。
薫の武器。
千鶴の武器。
どちらも、この世界では製法も素材も分からない。
「その二つについてだ」
ギルド長が告げる。
「正式な登録と確認が済むまで、身元不明の武器はギルドの保管庫で預かる」
薫と千鶴が武器へ目を向ける。
「特殊な武器や、呪物の可能性がある物も同様だ。お前たちだけに適用される決まりではない」
「分かりました」
薫は素直に頷いた。
「登録が終われば返却できる。ただし、保管場所に困るのであれば、その後も預かることは可能だ」
薫と千鶴には、まだ家がない。
今夜から泊まる宿さえ、これから探さなければならない。
そんな場所へ、正体の知れない武器を持ち込むのは避けた方がいい。
「しばらく預かってもらえますか」
薫が頼む。
「構わん」
ギルド長は受付嬢へ視線を送る。
「保管庫へ運べ。記録を残し、本人たちの許可なく触れることは禁ずる」
「はい」
職員が武器を運び出していく。
千鶴は、自分の武器が扉の向こうへ消えるまで目で追っていた。
薫がその横顔を見る。
「また取りに来ればいい」
「うん」
千鶴は小さく頷いた。
やがて、正式な登録手続きが終わった。
受付嬢が四人へ、それぞれ一枚の冒険者証を手渡す。
ロイは受け取った証を何度も見返している。
ミナも嬉しそうに胸元へ抱えた。
薫と千鶴も、自分たちの名前が刻まれた証へ目を落とす。
「本日付で、お前たち四名を正式な冒険者として認める」
ギルド長の言葉が、静かな室内に響いた。
試験を受けるために入ったギルド。
その扉を、今度は正式な冒険者として出ていく。
薫は冒険者証をしまい、立ち上がった。
千鶴もその隣へ並ぶ。
この世界へ来た時、二人には何もなかった。
身分も。
金も。
帰る場所も。
だが今は違う。
この世界で生きていくための、最初の一歩を手に入れた。
二人はギルドの扉を開く。
外には、夕暮れに染まり始めた街が広がっていた。
今日から二人は、この世界を生きる冒険者になった。




