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双星のレガリア  作者: ボンヌ
第1章

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12/18

第8話 女王個体

いつも読んでいただきありがとうございます!


「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!


これからも楽しんでいただけるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。


闇の中に浮かび上がった二つの瞳は、しばらく四人を見つめたまま動かなかった。


巣穴の奥から、低く濁った唸り声が響く。


先ほどまで戦っていたアクア・ラットの鳴き声とは、明らかに違う。


音が空気を震わせるたび、穴の縁に積もっていた細かな土がぱらぱらと崩れ落ちた。


「……来るぞ」


ロイが槍を構える。


「待って」


薫が静かに制した。


その視線は巣穴ではなく、地面に残された大きな足跡へ向けられている。


通常のアクア・ラットと比べて、幅も深さも倍近い。


依頼書には、これほど巨大な個体が生息しているという記載はなかった。


今回の依頼は、東水路に現れたアクア・ラットの討伐と、巣の所在を確認すること。


巣の中へ踏み込み、群れを根絶することではない。


ましてや、女王個体との戦闘など想定されていない。


「ここで引き返そう」


薫が言った。


ロイが驚いたように振り返る。


「でも、目の前にいるんだぞ」


「だからだよ」


薫は立ち上がり、足跡から巣穴へ視線を移した。


「依頼書に女王個体の記載はなかった。ギルドも、ここにいることを把握していない可能性が高い」


「倒せるかもしれないだろ」


「倒せるかどうかで判断する依頼じゃない」


薫の声は落ち着いていた。


「巣の場所と、通常個体より大型の魔獣がいることは確認できた。これ以上は依頼の範囲を超えてる」


ロイは槍を握ったまま、暗い巣穴を睨む。


その顔には、納得しきれないものが残っていた。


だが、先ほどの戦いを経て、感情だけで前へ出ようとはしなかった。


「……報告して、討伐隊を出してもらうってことか」


「うん」


ミナも小さく頷いた。


「中の広さも、アクア・ラットの数も分かりません。ここで戦うのは危険だと思います」


千鶴は大剣を構えたまま、薫へ視線を向けた。


「帰り道は?」


「来た道を戻る。追ってくるようなら、無理に倒さず距離を取る」


「了解」


千鶴は迷いなく答えた。


少し離れた場所で、バルトは腕を組んだまま四人の判断を聞いていた。


その表情は変わらない。


だが、薫が撤退を決めた瞬間、その目がわずかに細められた。


敵を前にして退く。


経験の浅い者ほど、それを臆病だと考える。


だが、依頼の目的を見失わず、未知の脅威を正しく報告することこそ、冒険者に求められる判断だった。


少なくとも、ここまでの試験に関しては。


四人は巣穴から目を離さないまま、ゆっくりと後退を始めた。


先頭に千鶴。


その後ろにロイとミナ。


薫が最後尾につき、巣穴を警戒する。


誰も背を向けない。


一歩。


また一歩。


闇の中に浮かんでいた瞳が、ふっと消えた。


「……奥へ戻った?」


ミナが小声で尋ねる。


薫は答えなかった。


何かがおかしい。


先ほどまで穴の奥から感じていた気配が、突然消えた。


逃げたわけではない。


むしろ――。


「止まって!」


薫が叫んだ。


直後。


四人の左側に広がっていた斜面が、内側から弾け飛んだ。


土と砕けた石が激しく舞い上がる。


「うわっ!」


ロイが咄嗟に腕で顔を庇う。


地面の下から、巨大な影が飛び出した。


青黒い毛並み。


岩のように盛り上がった背中。


通常個体とは比べものにならないほど太い前脚。


前へ突き出した二本の牙は、人間の腕ほどの長さがある。


全身を覆う水の膜も、薄いものではなかった。


幾重にも重なった水が、巨大な身体の表面を絶えず渦巻いている。


魔獣が地面へ着地した瞬間、辺り一帯が大きく揺れた。


「な……」


ロイの口から、声にならない息が漏れる。


通常のアクア・ラットの倍。


いや、三倍近い。


大型犬どころではない。


四足で立った状態でも、背中は千鶴の胸元近くまで届いている。


「ギィィィィィィッ!」


女王個体の咆哮が響き渡った。


周囲の草木が揺れ、水路の水面に幾重もの波紋が広がる。


千鶴の肩で、ノクスが激しく毛を逆立てた。


「キュルルルル……!」


女王個体は、崩れた斜面と水路の間に立っている。


四人が来た道を塞ぐ位置だった。


薫が素早く周囲を見回した。


右には水路。


左には崩れた斜面。


背後には巣穴。


正面には女王個体。


逃げ道がない。


「回り込まれた……」


ミナの声が震える。


女王個体は巣穴の中から出てきたのではない。


地中に掘られた別の通路を使い、四人の退路へ先回りしたのだ。


「バルトさん!」


ロイが試験官へ振り返る。


バルトはすでに腕を解いていた。


腰へ下げた剣の柄に、右手を添えている。


先ほどまでとは違う。


いつでも抜剣できる姿勢。


その変化を見た瞬間、ロイの表情から血の気が引いた。


バルトも、この魔獣を想定していなかったのだ。


「依頼書には、女王個体の報告はなかった」


バルトの低い声が響く。


その目は巨大な魔獣から一瞬も離れていない。


「これは試験の範囲外だ」


ロイが息を呑んだ。


「じゃあ……」


「俺が引き受ける。お前たちは――」


バルトが剣を抜こうとした、その瞬間。


女王個体が地面を蹴った。


巨体が一気に距離を詰める。


狙われたのは、四人の中で最も前にいた千鶴だった。


「姉さん!」


薫の声より早く、千鶴は大剣を横へ構えた。


女王個体の巨大な前歯が刀身へ食らいつく。


轟音。


千鶴の身体が後方へ押し飛ばされた。


両足が地面を抉り、泥と土を巻き上げる。


「くっ……!」


千鶴は歯を食いしばり、大剣を両手で支えた。


だが、勢いが止まらない。


「千鶴!」


ロイが槍を構えて走り出す。


女王個体の横腹へ、全力で穂先を突き出した。


槍が水膜へ触れる。


その瞬間。


厚い水の層が渦を巻き、穂先を外側へ弾き飛ばした。


「なっ――」


ロイの身体が大きく流れる。


女王個体は千鶴から牙を離し、前脚を振るった。


太い爪がロイへ迫る。


「風よ!」


ミナの杖から風が放たれた。


横から吹きつけた突風が、女王個体の前脚をわずかに押す。


爪の軌道が逸れ、ロイの身体すれすれを通り過ぎた。


「助かった!」


ロイが体勢を立て直す。


だが。


ミナの風によって女王個体の巨体がずれたことで、薫が狙っていた首元も動いていた。


薫の長剣が水膜を切り裂く。


しかし、刃は青黒い毛を浅く掠めただけだった。


女王個体が薫へ向き直る。


「薫!」


千鶴が大剣を振り上げ、魔獣の側頭部へ叩きつけようとする。


その踏み込み先へ、ロイが退路を塞ごうと突き出した槍が伸びた。


千鶴の足が止まる。


このまま踏み込めば、ロイの槍を蹴り飛ばす。


一瞬の躊躇。


女王個体の太い尾が、横薙ぎに振るわれた。


「下がれ!」


バルトの怒声が響く。


千鶴は咄嗟に大剣を盾にした。


尾が刀身へ激突する。


凄まじい衝撃に千鶴の身体が浮き、そのまま数歩後方へ弾き飛ばされた。


薫も巻き込まれ、地面を転がる。


ロイとミナも衝撃波に煽られ、尻もちをついた。


「姉さん!」


「大丈夫……!」


千鶴は大剣を地面へ突き立て、身体を起こした。


腕が痺れている。


借り物の大剣は折れていないが、刀身には浅い歪みが生じていた。


女王個体は低く唸り、再び四人へ向き直る。


ロイが立ち上がろうとする。


「まだやれる!」


「動かないで」


薫が言った。


静かな声だった。


だが、ロイの動きを止めるには十分だった。


「何を言ってるんだ。俺たちも――」


「今は邪魔になる」


言葉が鋭く響いた。


ロイの顔が強張る。


ミナも杖を握ったまま、動きを止めた。


薫は二人を見ていない。


その目は女王個体だけを捉えている。


「さっきの攻撃が外れたのは、ミナの風で位置が変わったからだ」


ミナの肩が震えた。


「千鶴が踏み込めなかったのは、ロイの槍が進路を塞いだから」


ロイは反論できなかった。


すべて事実だった。


二人は助けようとした。


だが、その行動が千鶴と薫の動きを崩し、女王個体に反撃の隙を与えた。


「でも、このまま二人だけで戦わせるなんて……」


ミナが絞り出すように言った。


薫はようやく、二人へ視線を向けた。


「僕たちだけなら、守る相手を考えなくていい」


冷たい言葉ではなかった。


むしろ、二人を生きて帰すための判断だった。


千鶴が大剣を肩へ担ぐ。


「ごめんね」


顔には、いつもの柔らかな笑みが浮かんでいる。


「少しだけ、そこで見てて」


ロイは拳を握りしめた。


悔しさに唇を噛む。


それでも前へは出なかった。


バルトは三人のやり取りを聞きながら、剣の柄を握っていた。


本来なら、すぐにでも介入すべき状況だ。


予想外の女王個体。


仮登録の新人。


依頼の範囲外。


戦わせる理由などない。


だが。


千鶴と薫の表情には、追い詰められた者の焦りがなかった。


むしろ二人だけになった瞬間、それまで纏っていた何かが消えた。


周囲に合わせるための迷い。


味方を気遣うための躊躇。


そのすべてが。


千鶴が一歩前へ出る。


薫は何も言わず、その斜め後ろへ移動した。


二人の間に会話はない。


目配せすらない。


女王個体が千鶴へ向けて咆哮した。


口元へ大量の水が集まっていく。


通常個体が放った《水弾》とは比べものにならない。


人間の胴体ほどもある水の塊が、激しく回転しながら圧縮されていく。


「来るぞ!」


バルトが叫ぶ。


女王個体が巨大な《水弾》を放った。


千鶴は避けなかった。


大剣の腹を正面へ向け、地面へ深く突き立てる。


水弾が刀身へ直撃した。


爆発した水が辺り一帯へ弾け飛ぶ。


千鶴の姿が、白い飛沫の中へ消える。


「千鶴!」


ミナが声を上げた。


次の瞬間。


水飛沫の中から、千鶴が飛び出した。


全身を濡らしながらも、その足は止まっていない。


水弾を真正面から受けたのではない。


大剣の角度をわずかに傾け、衝撃を左右へ流していた。


女王個体が牙を剥く。


千鶴へ噛みつこうと首を伸ばした。


千鶴は大剣を横へ振る。


狙ったのは女王個体の身体ではない。


巨大な牙だった。


鉄と牙がぶつかる。


大剣の軌道に押され、女王個体の頭がわずかに右へ流れた。


その先に、薫がいた。


長剣が下から跳ね上がる。


水膜の薄くなった顎下を刃が走った。


青黒い毛が裂け、初めて鮮血が飛ぶ。


「ギィィッ!」


女王個体が怒りの声を上げ、薫へ前脚を振り下ろす。


薫は後ろへ下がらない。


前へ踏み込んだ。


爪が頭上を通り過ぎる。


薫は女王個体の懐へ潜り込み、短剣を前脚の付け根へ突き立てた。


刃が深く沈む。


女王個体の身体が傾いた。


そこへ千鶴の大剣が迫る。


薫は振り返らない。


だが、大剣がどこを通るのか分かっているように、頭を下げながら横へ抜けた。


直後。


大剣が女王個体の肩口を薙ぎ払う。


分厚い水膜が爆ぜ、巨体が大きくよろめいた。


「なんだ……」


ロイは目の前の光景に、息をすることさえ忘れていた。


速い。


ただ、それだけではない。


千鶴が攻撃すれば、その先には必ず薫がいる。


薫が敵を動かせば、その逃げ道へ千鶴の大剣が振り下ろされる。


二人は互いを確認していない。


声もかけていない。


それなのに、一度も進路が重ならない。


一度も剣筋が交わらない。


どちらかが相手に合わせているのではない。


二人が、最初から同じ戦いを見ている。


女王個体が怒りに任せ、薫へ噛みつこうとした。


千鶴はまだ、魔獣の背後にいる。


間に合わない。


そう思った瞬間。


薫は避けずに、その場で長剣を斜めへ構えた。


女王個体の牙が刃へ触れる。


薫の身体が押し込まれる。


だが、長剣は牙を止めるためのものではなかった。


力の向きを変え、女王個体の頭をわずかに下へ向ける。


その瞬間。


背後から千鶴の大剣が振り上げられた。


大剣の腹が、女王個体の下顎を打ち抜く。


巨体の前脚が地面から浮いた。


首が大きく反り返る。


無防備になった喉元。


薫はすでに動いていた。


千鶴が大剣を振り上げるよりも先に、そこへ隙が生まれることを知っていたかのように。


長剣が一直線に走る。


女王個体の喉元を覆う水膜が裂けた。


深い傷から大量の血が噴き出す。


「ギィァァァァッ!」


女王個体が暴れた。


尾を振り回し、前脚で地面を抉る。


周囲の石が砕け、土が舞い上がる。


千鶴と薫は左右へ分かれた。


巨体の暴走を避けながら、それぞれ反対方向へ走る。


女王個体は迷った。


どちらを追うべきか。


ほんの一瞬。


その判断が遅れた。


千鶴が地面を蹴る。


大剣を引きずるように構え、女王個体の正面へ飛び込んだ。


魔獣が千鶴へ向き直る。


同時に、薫が背後へ回り込む。


女王個体が牙を突き出す。


千鶴は身体を捻った。


牙が脇腹すれすれを通り過ぎる。


千鶴は大剣の柄を両手で握り、すれ違いざまに刀身を女王個体の前脚へ叩き込んだ。


分厚い水膜ごと、骨を砕く鈍い音が響く。


女王個体の前脚が折れ、巨体が前方へ崩れた。


その先に薫がいる。


長剣を両手で握り、低く腰を落としていた。


倒れ込んでくる女王個体の首へ向け、刃を振り抜く。


先ほど斬り裂いた喉の傷へ、正確に。


刃が深く食い込んだ。


女王個体の動きが止まる。


だが、まだ息はある。


巨大な前歯が震え、薫へ向かって僅かに動いた。


「薫!」


千鶴が叫ぶ。


初めて交わされた言葉。


薫は長剣を引き抜き、横へ跳んだ。


同時に。


千鶴が大剣を振り上げる。


女王個体が最後の力で顔を上げた。


その額へ、巨大な鉄塊が振り下ろされた。


轟音が響いた。


地面が沈み、土煙が巻き上がる。


大剣の刀身が、女王個体の頭部を地面へ縫い止めていた。


巨体が一度だけ大きく痙攣する。


やがて。


全身を覆っていた水膜が、力を失ったように崩れ落ちた。


水が地面へ流れ、泥の中へ染み込んでいく。


静寂が訪れた。


千鶴は大剣を引き抜き、大きく息を吐く。


「ふぅ……」


薫は女王個体から距離を取り、長剣を構えたまま様子を見る。


完全に動かなくなったことを確認してから、ようやく刃を下ろした。


「終わったよ」


その声で、止まっていた時間が動き始めた。


ミナは杖を握ったまま、その場に立ち尽くしている。


ロイも槍を下ろすことさえ忘れていた。


二人とも、戦いへ加わることはできなかった。


いや。


加わらなかったのではない。


加わる隙がなかった。


「俺たち……」


ロイが乾いた声を漏らした。


千鶴が振り返る。


「ん?」


「俺たちがいたから、戦いにくかったのか」


千鶴はすぐには答えなかった。


気まずそうに頬を掻く。


薫は長剣についた血を振り払いながら、静かに答えた。


「あの相手には、そうだった」


ロイの顔が歪む。


ミナも俯いた。


否定してほしかったのかもしれない。


だが、薫はごまかさなかった。


「通常個体との戦いでは、二人の力が必要だった。でも、あの女王個体を相手にしながら二人を守る余裕はなかった」


「守られていたのか、俺たちは」


「うん」


薫の言葉に、ロイは拳を強く握りしめた。


千鶴が大剣を背負い直す。


「でも、下がってくれたから私たちは全力で戦えた」


「それは……何もしてないのと同じだろ」


「違うよ」


千鶴は真っ直ぐロイを見た。


「戦いたいのに、動かないでいてくれた。それも必要なことだった」


ロイは何も答えなかった。


納得したわけではない。


それでも、千鶴の言葉を否定することもできなかった。


少し離れた場所で。


バルトは剣の柄に手を置いたまま、動けずにいた。


女王個体が倒れたことではない。


確かに、仮登録の新人が討伐できる相手ではなかった。


二人の剣技も、身体能力も、常識から外れている。


だが、それ以上に。


バルトの目を奪ったのは、二人の連携だった。


合図はなかった。


指示もなかった。


互いの姿が見えない場面さえあった。


それでも二人は、一度として動きを違えなかった。


千鶴が作った隙へ薫が入り。


薫が導いた先へ千鶴の大剣が落ちる。


連携が巧みなのではない。


阿吽の呼吸という言葉でも足りない。


まるで。


二人で一つの意思を持っている。


バルトは数多くの冒険者を見てきた。


長年組んだ仲間も。


命を預け合う夫婦も。


幼い頃から共に戦ってきた兄弟も。


だが、これほどの連携は見たことがない。


しかも二人が使っていたのは、ギルドから貸し出された武器だ。


自分の得物ですらない。


バルトは倒れた女王個体を見た。


次に、歪んだ大剣と血に濡れた長剣。


そして、その前に立つ双子へ視線を移す。


千鶴と薫は、何事もなかったかのように互いの怪我を確認していた。


「薫、腕は?」


「少し痺れてるだけ。姉さんこそ、脇腹は?」


「当たってないよ。服が破れただけ」


「本当に?」


「本当だって」


その姿は、先ほど女王個体を圧倒した者たちと同一人物には見えない。


バルトの口から、無意識に言葉が漏れた。


「……お前たち」


千鶴と薫が同時に振り返る。


その動きまで、ぴたりと重なった。


バルトはわずかに目を見開く。


そして、低い声で問いかけた。


「何者だ」

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