第6話 4人の戦い
実地試験の朝。
千鶴と薫が冒険者ギルドの正面広場へ着いた時には、すでに多くの仮登録者が集まっていた。
昨日貸し出された武器や防具を身につけ、誰もが落ち着かない様子で周囲を見回している。
胸元には灰色の石札。
今日の試験に合格すれば、それは正式なストーン級の冒険者証へ交換される。
「なんか、昨日より人が多く見えるね」
千鶴は借り物の大剣を背負い直した。
実際に人数が増えたわけではない。
全員が武装しているせいで、講義室にいた時よりも広場が狭く感じるのだ。
「緊張してる人が多いからじゃない?」
薫は腰に下げた長剣と短剣の位置を確認する。
「姉さんは?」
「楽しみ」
「聞くまでもなかったね」
千鶴の肩では、ノクスが周囲の匂いを嗅いでいた。
首には昨日と同じ、小型魔獣用の銀札が下げられている。
「本当に連れてきたのか」
聞き覚えのある低い声がした。
振り向くと、バルドがこちらへ歩いてきていた。
左脚の補助具が、石畳を踏むたびに小さな金属音を鳴らす。
「勝手に連れてきたわけじゃないですよ」
千鶴が言う。
「受付の人に確認しました」
「同行許可は出たのか?」
「試験官が認めればって」
「結局、俺が決めるんじゃないか」
バルドは千鶴の肩にいるノクスを見る。
ノクスも紫色の瞳でバルドを見返した。
「指示に従えるのか?」
「たぶん」
「帰れ」
「待ってください!」
千鶴がノクスを両手で抱きかかえる。
「ノクス、ちゃんとできるよね?」
「キュル!」
「ほら」
「何も証明していない」
薫がノクスの首元にある銀札を指した。
「ノクスは千鶴から大きく離れません。戦闘へ参加させるつもりもありません」
「危険を察知した時に勝手な行動を取る可能性は?」
「あります」
薫は正直に答えた。
千鶴が弟を見る。
「そこは否定してよ」
「嘘をついたら失格になるかもしれない」
バルドはしばらく考えた後、ノクスへ指を向けた。
「同行は認める。ただし、試験の評価には含めない。そいつが魔獣を倒しても討伐数には数えん」
「分かりました」
「それと、制御不能と判断した時点で全員不合格だ」
千鶴の表情が引き締まる。
「ノクス」
「キュル」
「今日は絶対、勝手に走っていっちゃ駄目だからね」
ノクスは元気よく鳴いた。
「やっぱり信用できんな」
バルドが呟いた。
やがて広場の中央で、ギルド職員が班分けを読み上げ始めた。
仮登録者は四人ずつ名前を呼ばれ、それぞれ担当する試験官のもとへ集まっていく。
「千鶴、薫」
バルドが二人の名前を呼ぶ。
「お前たちは、ロイとミナだな?」
少し離れた場所から、二人の仮登録者が近づいてきた。
一人は、背の高い人間の青年。
年齢は千鶴たちと大きく変わらない。
短く切った赤茶色の髪に、簡素な革鎧。
手には、本人の背丈ほどもある槍を持っている。
「ロイだ」
青年は二人を見たあと、千鶴の大剣へ視線を向けた。
「昨日、魔導人形を倒してた双子だよな」
「倒してはいません」
薫が答える。
「壊さずに止めただけです」
「それを倒したって言うんじゃないのか?」
「昨日の課題では、違うと思います」
ロイは少しだけ眉を寄せたが、それ以上は言わなかった。
もう一人は、長い茶色の髪を後ろで束ねた少女だった。
小さな杖を両手で持ち、緊張した様子で頭を下げる。
「ミナです。風魔法を使います」
「私は千鶴。こっちは弟の薫」
「よろしくお願いします」
「そんなに固くならなくていいよ。同じ仮登録者なんだから」
千鶴が笑うと、ミナは少しだけ表情を緩めた。
ロイが槍の石突きを地面へ置く。
「それで、誰が先頭を行く?」
「出発前に決めることがある」
薫が答えた。
「役割と、合図と、撤退条件」
ロイが不思議そうな顔をする。
「アクア・ラットだろ?」
「そう聞いてる」
「位階Ⅰだ。見つけたら四人で囲めばいい」
「囲んだ後は?」
「倒す」
「逃げた場合は?」
「追う」
「水路の中へ入ったら?」
「俺が槍で仕留める」
「別の個体が背後から来た場合は?」
ロイの返事が止まった。
薫は責めるような口調ではなかった。
ただ、確認するように一つずつ問いかけている。
「巣の位置が分からないまま追えば、群れの中へ入る可能性もある。水路の中では足場も悪い。アクア・ラットが一体とは限らない」
「そんなに警戒する必要あるか?」
ロイが言った。
「昨日の説明では、一体なら大きな脅威じゃないんだろ」
「一体ならね」
千鶴が答えた。
ロイとミナが、千鶴を見る。
「相手が弱いと思ってる時ほど、味方の動きはバラバラになる」
千鶴は大剣の柄へ手を添えた。
「自分一人でも倒せると思うから、声をかけずに動く。一人が前へ出て、残りが慌てて追いかける。そうなると、四人いる意味がなくなるよ」
「でも、実際に一人で倒せるなら問題ないだろ」
「その一人を助けるために、残りの三人が危険になる」
千鶴の声から、先ほどまでの軽さが少しだけ消えた。
「前へ出た人が倒れたら、助けるのか、見捨てて撤退するのか、依頼を続けるのか。一瞬で決めないといけなくなる」
「大げさじゃないか?」
「そう思えるうちに決めておくんだよ」
ロイが黙る。
千鶴は自分の言葉に、遠い戦場の記憶を重ねていた。
指示を待った兵士。
勝手に突出した騎士。
一人を救おうとして陣形を崩した部隊。
間に合わなかった声。
一瞬の判断で、戻らなかった人々。
「何かが起きてから考えると、遅いことがあるから」
千鶴はそれだけ言った。
ミナが小さく手を上げる。
「あの……私は、どうすればいいですか?」
「使える魔法は?」
薫が尋ねた。
「風の刃と、風を起こす魔法です。強いものは、まだ使えません」
「視界を塞ぐことはできる?」
「砂や埃があれば、少しくらいなら」
「音を飛ばすことは?」
「風に乗せれば、近い距離ならできます」
薫は頷いた。
「ならミナは後方。僕たちの見えない場所を確認して、異変があればすぐに声を出してほしい」
「攻撃しなくてもいいんですか?」
「必要な時は頼む。でも、最初から攻撃だけを考えなくていい」
「魔法使いなのに?」
「魔法が攻撃にしか使えないとは、昨日教わらなかった」
ミナは少し考えたあと、杖を握り直した。
「分かりました」
「ロイは槍だから、千鶴の少し後ろ」
「俺が先頭じゃないのか?」
「先頭は千鶴が向いてる」
薫は千鶴の大剣を見る。
「狭い場所で振り回せる武器ではないけど、最初の攻撃を受け止めるなら一番安定する。ロイは千鶴が止めた相手を突くか、横から来る敵を止めてほしい」
「お前は?」
「僕は前と後ろをつなぐ。状況によって動く」
「随分、慣れてるんだな」
ロイが言った。
薫はわずかに目を伏せる。
「長く二人で戦ってきたから」
「それなら、二人だけで行った方が早いんじゃないか?」
ロイの言葉に、千鶴と薫は一瞬だけ黙った。
それは、二人にとって否定しにくい言葉だった。
互いの呼吸。
視線。
剣を振る方向。
相手がどこへ動くか。
千鶴と薫は、声がなくても分かる。
けれど。
「今回は四人一組の試験だから」
千鶴が答えた。
「二人だけでできることを見せても、意味がないと思う」
薫も頷く。
「僕たちが分かっていても、ロイとミナに伝わらなければ連携とは呼べない」
昨日、バルドが話した言葉だった。
バルドは少し離れた場所で腕を組み、四人の会話を聞いている。
ロイがその視線に気づき、気まずそうに槍を持ち直した。
「分かった。勝手に突っ込まなければいいんだろ」
「それだけじゃないよ」
千鶴が言う。
「何か見つけたら、まず声を出す」
「敵がいてもか?」
「声を出す時間もないなら戦っていい。でも、自分にしか見えていないものを、仲間も見えていると思わないで」
「……分かった」
「それと、撤退の合図を決めよう」
薫が人差し指を立てる。
「僕が『戻れ』と言ったら、理由を聞かずに来た道へ戻る」
「お前が決めるのか?」
「僕が一番、全体を見る位置にいるから」
「姉さんが言っても同じ」
千鶴が付け加える。
「私が『走って』って言った時も、何も聞かずに走って」
「何が違うんだ?」
「薫の『戻れ』は普通の撤退」
千鶴が真剣な顔で答える。
「私の『走って』は、かなり危ない時」
「それ、逆じゃない?」
ミナが思わず口を挟んだ。
千鶴は少し考える。
「言われてみれば、そうかも」
「姉さんは危険な時ほど説明が雑になるから」
「薫だってそうでしょ」
「僕は最低限、理由を言う」
「一言だけじゃん」
二人が言い合い始める。
ロイとミナが顔を見合わせた。
緊張していたミナの口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
バルドが手を叩いた。
「話がまとまったなら出発しろ」
四人が一斉に前を向く。
「試験内容を確認する」
バルドは依頼書を開いた。
「アルカ東水路に発生した水路鼠の駆除。水路の被害状況を調べ、巣の位置と、女王個体の有無を確認する」
四人は黙って聞く。
「討伐数だけで評価はしない。依頼の達成、判断、連携、報告内容を含めて合否を決める」
バルドは依頼書を閉じた。
「俺は試験官として同行するが、基本的に助言も戦闘への介入もしない」
「基本的に?」
千鶴が尋ねる。
「お前たちが死ぬと判断した時だけは助ける」
「その場合は?」
「全員不合格だ」
「厳しいね」
「死ぬよりましだ」
バルドは東門の方向を示した。
「行け」
千鶴が大剣を背負い直す。
「それじゃあ、行こうか」
千鶴が先頭。
少し後ろをロイ。
その後ろにミナ。
薫は最後尾に立ち、全員の位置を確認した。
ノクスは千鶴の肩へしがみついている。
四人と一匹は、アルカの東門を抜けた。
城壁の外には、朝露に濡れた草原が広がっている。
遠くには畑が並び、その間を一本の水路が東へ伸びていた。
歩き始めてしばらくすると、ロイが口を開いた。
「一つ聞いていいか?」
「なに?」
「お前たち、本当に仮登録者なのか?」
千鶴は振り返らずに答える。
「この世界ではね」
「この世界では?」
「姉さん」
薫の声が飛ぶ。
「あ」
千鶴は口元を手で覆った。
「今のは忘れて」
「無理だろ」
「故郷で少し戦ってたってこと」
ロイは納得していない様子だったが、それ以上は聞かなかった。
やがて、草原の先に石造りの水路が見えてきた。
幅は大人が二人並べるほど。
澄んだ水が緩やかに流れ、両側には膝ほどの高さまで草が生えている。
千鶴は水路から少し離れた場所で立ち止まった。
ロイがその横を通り過ぎようとする。
「待って」
「まだ何もいないぞ」
「だから見るんだよ」
千鶴は地面へ視線を落とした。
泥の上に、小さな足跡が残っている。
薫もしゃがみ込み、足跡へ触れないように周囲を観察した。
「アクア・ラットのものだと思う」
「何匹いる?」
ミナが尋ねる。
「重なってるから、まだ分からない」
「追えば巣へ着くんじゃないか?」
ロイが言う。
「その前に、水路を確認する」
薫は石壁へ近づいた。
石と石の継ぎ目に、何かがかじったような細い傷がついている。
傷の周囲は湿り、僅かに水が染み出していた。
「被害が出てる」
薫が言う。
ミナが近づき、傷を覗き込む。
「小さいですね」
「今はね」
千鶴が答える。
「でも、このまま削られ続けたら水路が壊れるかもしれない」
ロイは水路の先を見る。
「じゃあ、早く巣を探さないと」
「その前に記録する」
薫が言った。
「場所と、傷の大きさと、数」
「文字を書く道具なんて持ってないぞ」
「簡単な図なら地面へ描いて覚えられる。距離は歩数で測る」
「そこまでやるのか?」
「依頼は駆除だけじゃないから」
薫は水路に沿って歩き、一定の間隔で傷の位置を確認していく。
千鶴も反対側を調べ始めた。
「ロイは水路の中を見て」
「中?」
「泳いでる個体がいるかもしれない。足跡だけ見てると、そっちを見落とす」
「分かった」
「ミナは草の動きを見てもらえる?」
「風があるから、全部動いてますけど」
「風とは違う動きがあったら教えて」
ミナは不安そうに草原を見た。
「分かるかな……」
「分からなかったら、分からないって言えばいいよ」
千鶴が笑う。
「分かったふりをする方が危ないから」
ミナは頷いた。
四人がそれぞれ周囲を調べる。
しばらくして。
「待ってください」
ミナが小さな声を上げた。
全員が動きを止める。
「どうした?」
ロイが尋ねる。
ミナは水路の先にある草むらを指した。
「風は、こっちから吹いてます」
ミナが自分たちの背後を示す。
「でも、あそこの草だけ、反対へ動きました」
千鶴が大剣の柄へ手をかける。
薫も腰を落とした。
「何匹?」
「分かりません」
「それでいい」
薫が短く答える。
ロイが槍を構え、前へ出ようとする。
「ロイ」
千鶴が呼び止めた。
ロイは一歩目で止まった。
「勝手に行かない。だったな」
「うん」
千鶴は大剣を抜いた。
使い込まれた鉄の刃が、朝の光を鈍く反射する。
「私が前へ出る。ロイは右」
「ミナは後方。風で草を揺らして、中を確認できる?」
薫が尋ねる。
「やってみます」
「無理に攻撃しなくていい」
「はい」
薫も長剣を抜く。
「僕は左を見る」
ノクスが千鶴の肩で、低く喉を鳴らした。
「ノクスは離れないで」
「キュル」
ミナが杖を構える。
小さな風が地面を走った。
草むらが左右へ開く。
その奥から。
青黒い毛並みを持つ、大型犬ほどの鼠が姿を現した。
濡れたような毛。
鋭く伸びた前歯。
身体の周囲には、薄い水の膜がまとわりついている。
「一匹」
ロイが言う。
「まだ決めないで」
千鶴は魔獣から目を逸らさない。
最初の一匹が、甲高い声を上げた。
「ギィィッ!」
その声に応えるように。
水路の中。
背後の草むら。
そして、少し離れた石陰から。
複数の鳴き声が返ってきた。
ロイの表情が変わる。
「一匹じゃない……」
「だから、最初に決めたんだよ」
千鶴は大剣を正面へ構えた。
「誰も一人で動かない」
薫が背後を確認する。
「ロイ、右から来る」
「見えた!」
「ミナ、後ろを頼む」
「はい!」
四人の声が重なる。
借り物の武器を手にした、まだ名もない四人の冒険者。
その最初の戦いが、始まろうとしていた。




