表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同接10万人いかないと顔の皮を剥がされる底辺配信者の俺、絶対に「ヤラセ」だと言い張ってデスゲームを生き抜く  作者: 今井 幻


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/11

第8話「手順通り」

 八月十五日、午前零時三十二分。


 デッドラインまで、五十八分。


 バッテリー三十五パーセント。モバイルバッテリー一本目の残量インジケータが最後の一目盛りになった。二本目に切り替えるべきだが、ポケットから予備を出して接続し直す間に、数秒間給電が途切れる。その数秒でスマホの省電力モードが起動したら、配信アプリの画質が落ちる。画質が落ちればコメント欄の「画質クソ」で新規が離脱する。底辺配信者は画質すら命綱だ。


 同接、二万九千五百。


 三万の壁。十分間で四百人しか増えていない。深夜零時半の日本で、心霊配信を見る層はほぼ飽和している。SNSで拡散されてニュースサイトに載っても、クリックして配信画面まで辿り着く人間は記事を読んだ人数の十分の一以下だ。残り七万五百人。五十八分で七万人。自然流入では絶対に届かない。


 沼田のオフィスで、俺は壁に背中を預けて立っていた。沼田のスマホを左手に、配信用のメインスマホを右手に持っている。二台のスマホ。片方は俺の命綱で、もう片方は二十五年前の死者の遺品だ。


 沼田のミイラは事務椅子に座ったまま、変わらない姿勢でこちらを向いていた。瞼が五分の四まで開いた灰色の目が、スタンドランプの暖色の光の中で俺を見ている。


 その目が、動いた。


 瞳孔の話ではない。眼球が動いた。薄い灰色の虹彩が、俺の顔からスマホの画面へ、そしてまた俺の顔へと、ゆっくりと水平に移動した。死体の眼球が追視している。対象を認識して、追っている。


 そして、唇が開いた。


 乾燥のひび割れ一つないピンク色の唇が、五ミリほど隙間を作った。唇の裏側に、湿った粘膜の光沢が見えた。二十五年間閉じていた口の中に、まだ唾液がある。


 音が出た。


「……とじ……ない……」


 掠れた、空気が漏れるような声だった。声帯が使われている。喉頭の筋肉が収縮して声帯を振動させている。革のように乾いた首の表面が微かに動いたのが見えた。ミイラの首の皮膚の下で、舌骨と甲状軟骨が連動している。死体が発声のための物理的な手続きを踏んでいる。


「……けいが、とじない……」


 壊れたレコードのように、同じ言葉を反芻している。目は俺を見ていない。虚空を見つめたまま、唇だけが動いている。「系が、閉じない」。論文の余白にあった走り書き。「閉鎖不完全」。系の閉鎖。


 こいつは自分の研究の最後のデータを、二十五年間繰り返し呟き続けていたのか。


 同接、二万九千八百。コメント欄が弾けた。


『口動いた!』『喋ってる!ミイラが喋ってる!』『何言ってんの?聞こえない』『系が閉じないって言ってるっぽい』


 沼田のスマホに目を落とした。メモアプリを開く。


 テキストファイルが十二個あった。日付順に並んでいる。最も古いものは一九九八年。最も新しいものは、今夜。二〇二四年八月十四日。タイムスタンプは午後九時五十八分。配信開始の二分前。


 今夜のメモを開いた。


 文字化けしていた。


 画面の上三分の一は読める。それ以降は文字コードが崩壊して、四角形の記号と数字の羅列になっている。音声入力の変換が途中で壊れたのか、それとも元からこういう状態なのか。


 読める部分だけを拾った。


『ヒケンシャ237 サナダ ハイシンシャ ヘイサカノウセイ ヒクイ』


 片仮名の自動変換。音声入力が漢字変換に失敗したテキスト。死者の声をスマホが拾い、テキストに変換しようとして、半分成功し半分壊れたもの。


 低い。最初から、俺は「低い」と判定されていた。


 その下に、文字化けの隙間から断片的に読める行があった。


『リンカイ 100000イジョウ…… ジゾク…… ミカクテイ シュンカンデハフソ■■■■■■■■■■■』


 文字化けで潰れている。だが「100000イジョウ」と「ジゾク」と「ミカクテイ」は読めた。


 十万人以上。持続。未確定。


 持続。沼田がさっきから繰り返している「系が閉じない」。十万人に一瞬で達するだけではダメだ。到達した後、維持しなければならない。そしてその維持時間が何分なのかは「ミカクテイ」――未確定。三十七年間、臨界に達した被験者がいないから、データがない。


 底なしだ。ゴールの数字すらわからない。


 コメント欄にスマホの画面を映した。四万七千人が、壊れたテキストを読んでいる。


『読めねえ』『なんて書いてあんの?』『10万人って見えた』『持続?維持しろってこと?』


「十万人に達してから、さらに一定時間維持する必要がある。何分かは書いてない。こいつ自身もわかってない。三十七年間、誰も到達してないから」


『何分だよ!』『ふざけんな底なしじゃねえか』


 わからない。だが、まずは十万人に達することが先だ。


 メモをさらに遡った。ファイルは十二個ある。全部は読めない。最も古い一九九八年のメモだけ開いた。


『N-project第3フェーズ 観察者数の確保が困難 現行の方法(院内関係者)では最大40名が限界 将来的にはインターネットを介した同時観察の可能性を検討』


 一九九八年。二十六年前。沼田はこの時点で、インターネットを使った大量観察の構想を持っていた。


 俺がこの廃病院を知ったのは、心霊スポットの紹介サイトに載っていたからだ。偶然だと思っていた。偶然じゃない。俺みたいな配信者がカメラ片手に乗り込んでくることまで、二十六年前の死にかけの研究者が設計に組み込んでいた。


「手順通りだ」


 声に出した。誰に言ったのでもない。自分に言った。


 同接、三万二百。


 三万を超えた。沼田のメモの内容がコメント欄で拡散されている。二十六年分の実験記録。これ自体が、コンテンツになっている。


 だが三万では足りない。五十三分で七万人。


 沼田のスマホにはまだ「明日のダイゴ」のアカウントがログインしたまま。決済手段が紐付いている。


 頭の中で計算が回った。深夜帯の同接上位チャンネルに十万円のスパチャを送り、メッセージにこの配信のURLを載せれば、視聴者が流入する。


 配信者としてのキャリアは終わる。他人のチャンネルにグロ画像のスパチャを爆撃すれば、永久追放だ。四年間の三千人の登録者。一万八千円の月収。全部失う。


 それと、顔。


 天秤にかけた。一秒で結論が出た。


 メインスマホのスクリーンショットを撮った。配信画面のキャプチャ。俺の疲弊した顔と、ミイラ。メッセージを打つ。


『茨城の廃病院で閉じ込められています。顔の皮膚を剥がされて死にます。助けてください。配信URL→』


 一つ目。ゲーム実況、同接四万二千。送信。二つ目。雑談配信、三万八千。送信。三つ目。音楽ストリーミング、二万七千。送信。


 四つ目を送ろうとした瞬間、通知。「送金上限に達しました」。三チャンネルで終わった。累計四十万で上限。


 同接、三万千八百。


 五分後。


 三万四千五百。跳ねた。ゲーム実況からの流入。


『なにここ』『ゲーム実況から来た』『え、ミイラ?何これ』


 三万八千二百。雑談チャンネルからも。


 四万千。


 コメント欄が膨張するにつれて、色が変わった。


『#ダイゴ被害者の会 ゲーム配信中にグロ画像送りつけられた被害者です』


『#ダイゴ被害者の会 音楽聴いてただけなのにいきなり死体写真見せられた最悪』


『#ダイゴ被害者の会 子どもが見てたんだけど?通報しました』


 コメント欄が三つに裂けた。古参。野次馬。被害者。三つの層が同じ画面で衝突している。


 四万三千七百。


 そして、恐怖報告が始まった。


『なんかホルマリン臭い……ゲーム配信から来たんだけど、見始めてから部屋が臭い』


『マジで気持ち悪い。吐きそう。水滴の音がする。これダイゴの配信見てるせい?』


『音楽配信から飛んできたんだけど、部屋の隅がなんか暗い。影が濃い。怖い』


 五分前に入ってきたばかりの新規の家で、ホルマリンの匂いと水滴音が始まっている。呪いの分割は、入室した瞬間から全員に均等に配られる。四万三千人の部屋のすべてに、この廃病院の空気が染み出している。


 四万七千三百。


 コメントに新しい通知が混じった。


『SNSリアルタイム検索1位「ダイゴch」だぞ!』


 トレンド一位。日本のSNSで、今この瞬間、最も検索されている単語が俺のチャンネル名だ。だがトレンド一位の注目度ですら、呪いの恐怖報告による離脱を相殺できていない。


 増え方が鈍った。


 四万九千八百。


 五万目前で止まった。


 ――なぜ増えない。


 答えは目の前にある。コメント欄だ。恐怖報告が加速している。「吐き気が止まらない」「部屋の隅に誰かいる」。入ってくる人数と、怖くて逃げる人数が同じになった。俺が「生き残りたい」と叫ぶたびに、その声が四万九千人の部屋に呪いを撒き散らし、耐えきれなくなった者が逃げ出している。


 四万八千二百。


 減った。今夜初めて、同接が明確に減少した。


 その瞬間、右頬の奥で何かが裂けた。


 ぷつ、ではなかった。ぶち、という音が頬骨の内側で鳴った。結合組織が一本ではなく、三本か四本まとめて断裂した。皮膚が二ミリ浮いた。急に。さっきまでゼロだったのが、千六百人の離脱で一気に二ミリ戻った。再接着していた皮膚が、同接の減少圧で引き剥がされている。


 痛みが、あった。


 四万八千人で割った痛覚でも、さすがに複数本が同時に千切れれば感覚がある。歯の根元まで響くような、顎を掴まれて引っ張られるような鈍い圧力。首筋に生温い液が一筋垂れた。


 グラフが頭の中に浮かんだ。カルテの数字。リョウキの最大観察者数は九十二人。九十二人で止まって、そのまま死んだ。俺は四万八千人で止まっている。五百倍以上だが、構造は同じだ。


 増やそうとすればするほど呪いが広がり、広がれば怖がって逃げる者が出て、逃げた分だけ新しい人間が入ってきて、入ってきた人間もまた呪いを受けて逃げる。入りと出が同じ速度で回る洗濯機の排水口みたいなもので、水位はここから先、上がらない。そして水位が下がるたびに、俺の頬が削れる。


 沼田のミイラが俺を見ていた。唇の端が、五ミリほど持ち上がっていた。笑っている。こいつは俺が手段を選ばず人を巻き込むことも、巻き込んだ先で頭打ちになることも、二十六年前から知っていたのだ。


「……てじゅん」


 沼田の声がした。掠れた、壊れたレコードの声。


「……てじゅん、どおり……」


 手順通り。自分の結論を反芻しているだけの声。だが灰色の目は、俺を見ている。


 知ってる。メモを全部読んだ。俺の全行動が設計図の中にある。


 それでも。


「知ってた」


 四万七千人に向かって言った。


「お前の手のひらの上だってことくらい、途中から気づいてた。SNSで叫んだのも、スパチャ爆撃も、全部このシステムに組み込まれた手順だろう」


 四万七千三百。まだ減っている。


「でも、手順通りだろうと、俺が生きてる事実は消えない。三十七年間で二百三十七人やって、四万八千まで集めた奴はいない。一番遠くまで来たのは俺だ。生き延びたほうが勝ちだ」


 コメント欄が動いた。


『ダイゴ……』『泣ける』『拡散しろ!まだ間に合う!』


『#ダイゴ配信 海外にも広がり始めてるぞ』


 海外。コメントに英語が混じり始めていた。


『what is this』『is this real?』『holy shit the mummy is talking』


 深夜の日本は、アジアの昼間だ。ヨーロッパの夕方だ。


 四万八千百。増え始めた。国内の天井を超えた分は海外からの流入だ。


 沼田のスマホのブラウザ履歴にタブが一つ残っている。二〇一〇年の記事。『動画配信プラットフォームの将来性予測』。日本語圏のプラットフォームの記事だ。メモを全件検索した。「海外」「overseas」「foreign」。ヒットなし。


 沼田の設計に、言語圏を超えた観察者の流入は想定されていない。


 これだ。


 デッドラインまで、三十七分。同接、四万九千八百。


 沼田のスマホのブラウザで翻訳サイトを開いた。右頬から垂れた液体で指が滑る。画面に赤黒い筋がついた。構わず打ち込んだ。


『日本の廃病院。顔を剥がされて死ぬ。あと37分。見てくれ。人数が多いほど生き延びられる』


 自動翻訳された英語をコピー。中国語。韓国語。スペイン語。文法なんてどうでもいい。意味さえ伝われば。


 メインスマホのカメラで自分の顔を撮った。右頬の皮膚が二ミリ浮いた、液体が首筋を伝っている顔。背後でスタンドランプに照らされた沼田のミイラが口角を上げたまま映り込んでいる。


 その画像と四ヶ国語のSOSを、自分のSNSアカウントから投稿した。海外のトレンドタグに手当たり次第に叩きつけた。


 手順通りで結構だ。日本中を巻き込んでダメなら、海を越える。お前の腐った設計図に書いてない場所から、観察者を引っ張ってくる。


 沼田のミイラが、灰色の目で俺を見ていた。口角が上がったまま。


 こいつにとって俺は、培養器の中で予想外の挙動を見せた細菌だ。手順の外に出ようとしている変異株。殺すつもりも助けるつもりもない。どうなるかを見たいだけだ。


 三十七年間待ち続けた実験が、初めて未知の領域に踏み込もうとしている。


 デッドラインまで、三十七分。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ