2-35 挫折
詰め所の前にうちの馬車が停まっていて、祖父が御者と話しているのを見つける。朗らかに私を迎える祖父に、私は上手く挨拶を返せなかった。悄然としたまま馬車に乗り込む私に、祖父は様子がおかしいと気づいたようで、気づかわしげに声をかける。それでも私は俯いて、正面に座る祖父の顔を見ることもできなかった。
馬車が動き出して、詰め所から離れると、馬車の中で祖父しかおらず、馬蹄の音でかき消されるだろうと考えたら、ふっと気が緩んだ。
「お爺ちゃん……」
「どうした?」
穏やかな祖父の声に堪らなくなって、涙がぼろぼろと零れた。
「ど、どうした?」
「私……もう、騎士団やめる。無理だった、私は……騎士にはなれないっ」
「何があった……?」
騎士という仕事を舐めていた。私が馬鹿だった。仲間を失うことが、自分の無力に打ちひしがれることが、これほど辛いなんて知らなかった。
ついには号泣し始めた私の隣に祖父が腰かけて、抱きしめて頭を撫でてくれた。それで少しだけ落ち着いて、討伐の話を語った。祖父は短い相槌を打ちながら、私の話を聞いてくれた。
私が気を失った後のこと。目覚めたら馬車の中だった。そばで私の様子を見ていたニーナ先輩の心配そうな顔が、一番最初に見えた。
「ニーナ先輩……」
「シヴィル、よかった。心配したよ。討伐は終わった。今は帰りの馬車だよ」
「そうなんですか。すみません。あの……」
あの後何が起きたのか、ニーナ先輩が教えてくれた。
月光熊が倒れ込んで、狩人達は月光熊が動かない様子を観察していたそうだ。けれど、私とライアン様の姿が見当たらない事に気が付いた。狩人達は付近を捜しつつ、月光熊の死亡を検分していた。その時に、月光熊の体の下から、深緑色のジュストコールの裾と、私の髪の毛がはみ出ていることに気付き、下敷きになっていると気づいた後は大慌てで月光熊の死体をどかしてくれたらしい。
どうにかこうにか月光熊をどかしたが、下敷きになっていた私とライアン様は、ぐちゃぐちゃに潰れていたそうだ。それでも狩人達は、私とライアン様を連れて戻ってくれた。とても生きているとは思えなかったが、仲間の元に返してあげたい、そう思ってくれたそうだ。
そして私とライアン様は聖者に診察と治療を受けて、私はようやく目を覚ましたということだった。
「あの、ライアン様は?」
その質問に、ニーナ先輩は悲痛そうに眉を寄せた後、ゆるゆると首を横に振った。
ぶわりと視界が霞む。ライアン様が、死んだ? 気絶していたから、助けられなかった? 悔しくて、次から次へと零れる涙が、顔の両側を辿って落ちる。
あの時、やはりライアン様には下がっていただくべきだった。ライアン様の言葉に、甘えてしまわなければよかった。私のせいだ、私のせいでライアン様は――……。
馬車の中は無言で、ガタゴトと揺れる音と、私のすすり泣く声だけが、侘しく響いていた。
帰還してからやっと、ライアン様に会えた。ずっと魔術師が付き添って、凍結の魔法で保存してくれていたようだった。
氷柱の中で眠るライアン様は、深緑色の制服が、血で真っ黒に変色していた。体はボロボロだったけど、頭部だけは何故か無事だった。ふと、触れ合っていた頬から治癒をかけていたのを思い出した。だから、体はこれほど損傷しているのに、顔だけはとても綺麗だった。
ライアン様は、騎士団で1.2を争う色男だとかで、色町のお姉さんたちにモテモテなんだと、ランディ先輩から聞いたことがある。その綺麗な顔を見ていると、今にも目を覚ましてくれるのではないかと、そんな希望が湧き上がってくる。直後ならあるいは、と思うけれど、既に死後3日経過している。私ではもう、助けられない。
大丈夫だと、思っていた。村にいる時から、人の死は何度も見てきた。友達や近所のおじさんが死んだときも、辛かったけど乗り越えられた。治癒術師見習いになってから、もっと人の死を見ることが増えて、私は慣れたんだと思っていた。だから、私は大丈夫だって思っていた。
けれど、これは耐えられない。これだけはダメだ。私を助けてくれた人が、私のせいで死んだ。一番助けたかった人が、私のせいで死んだ。私が、殺してしまったようなもの。
あの時ライアン様に戻っていただけていたら、死ぬのはライアン様じゃなくて私だった。私が死ぬはずだったのに、代わりにライアン様が死んだ。押し潰されそうだ。自責と後悔と罪悪感に。
ひんやりと冷たい氷柱に縋りついて、私は泣きながらライアン様に謝ることしか出来なかった。
定期討伐に行ったからということで、1週間の冬休みを貰えていた。その間、日がな一日中ベッドでうずくまって寝室で過ごしていた。
ノックの音がして、3人分の足音と共に声がかかった。
「シヴィル、お茶を持ってきたわ。美味しいお菓子も」
「シヴィル様……」
「ねぇ、シヴィル起きて? お話ししましょう?」
母と、ユージェニー様と、ルサルカお姉様。3人の思いやりは嬉しいけれど、誰かに会いたい気分じゃなかった。
「ごめんなさい。いらないわ」
「でも、ご飯もろくに食べていないじゃない」
「欲しくないの」
私の体は空腹で悲鳴を上げているというのに、それでも食欲が全くなかった。こんなことは初めてだけれど、今は起きることさえ億劫だった。
「ごめんなさい。今は、そういう気分じゃないの」
3人は顔を見合わせると、「また来るわ」と言って部屋を出た。その足でユージェニーの部屋に向かう。
ユージェニーとルサルカがソファに座り、勧められたステラは恐縮したが、問答は時間の無駄と折れて、ステラも腰かける。
「余程、ショックだったのね……」
ルサルカの呟きに、ステラとユージェニーも沈痛な表情を浮かべる。ドゥシャン経由で話は聞いた。
定期討伐に行く前、シヴィルはしきりに言っていた。自分は聖女だから、きっと役に立てると。
だが結末は残酷なもので、シヴィルを守ろうとしたライアンが重傷を負い、ライアンは帰らぬ人となった。
助けるために来たのに、助けられなかった。自分を守ってくれた人が、身代わりに死んだ。
どんなに強くても、シヴィルはまだ12歳の子どもだ。シヴィルを無力感と喪失感が襲って、絶望に突き落とすには十分すぎた。
ドゥシャンも言っていた。戦場で仲間の死を見て、心を病む者は少なくないと。そしてその苦しみは長く消えず、立ち直れるかどうかはその人次第。この世界には精神科医などいない。その役割を担うのは従軍神官だが、今のシヴィルでは教会に足を運ぶこともできないだろう。
どうしたら元気を取り戻してくれるのだろうと、3人は頭を悩ます。それでも時は無情に過ぎて、帰還から3日後のその日、葬儀が執り行われた。
騎士団と遺族。列席者は全員喪服を着ていた。討伐の後に行われる合同葬儀。普通は数名から十数名の死者が出るそうだが、今回はライアン様含めて2名。あの月光熊の被害者だ。一人は咆哮の影響が少なく、皆を守るために立ちはだかったらしいが、私が到着する前には既に死亡していたそうだ。
こんなに殉死者が少ないのは快挙だと、褒めてもらえた。あの時私が駆けつけなければ、恐らく全滅していただろうから、これは私の功績だと褒めてもらえた。
褒めてもらえたのに、ちっとも嬉しくもなく、心に響かない。2人は傷だらけでボロボロの体なのに、私が傷一つない元気な姿であることが、なんだか許されない気がした。
いつの間にか葬儀は終わっていた。頭がぼうっとしていて、あまり覚えていない。ライアン様の眠る棺を乗せた馬車が、領地の方向へ消えていく。鐘が、鳴っていた。
肩を揺さぶられて、ようやく呼ばれていたことに気が付いた。顔を上げると、列席していた父と奥様が心配そうに見ていた。
「あ……すみません」
「シヴィル、大丈夫か?」
「……はい」
父は少し困惑しながらも、少しだけ横にどいた。代わりに私の前に進み出たのは、40代くらいの男女、夫婦だろうか。女性の方は泣いていた。男性の方も目が赤かった。その男性の顔を見て、私はようやく目が覚めたような気持がした。
「あ……」
「私はキナリー伯爵家の当主、レイバン・キナリーだ。ライアンの兄だ」
ライアン様のお兄様。ライアン様とよく似ていた。オレンジ色の髪も、空色の瞳も。キナリー伯爵の顔を見ていたら、途端に涙が溢れてきた。でも、一番辛いのはライアン様を亡くしたキナリー伯爵達なのだから、加害者である私が泣いてはいけないと思って、ぐっと歯を食いしばって堪えた。
「シヴィル・ホワイトです……。この度は、真に、申し訳……」
震える声を抑えて、どうにか謝罪しようとするけど、こみあげる嗚咽を抑えられなくて、上手く最後まで言えない。
「も、申し訳、ありませ……」
「何故、君が謝るんだ?」
「……」
だって、私のせいだから。ライアン様に下がって頂けるように、もっと説得するべきだったんだ。私があの時すぐに離脱していれば怪我をしなかったし、その為にライアン様が犠牲になることもなかった。私があの時気を失わなければ、ライアン様の怪我だって治せたかもしれない。
「私の、力が及ばなかった、ばかりに……ライアン様が……申し訳ありません……」
最上礼で謝罪する私に、キナリー伯爵は顔を上げるように言った。私は上げたくなかったけれど、ゆるゆると顔を上げる。その私の前に、何かが突き出された。紺色の鞘には、銀の装飾がしてあった。柄には見覚えのある白い魔石が埋め込まれている。
「君に、これを受け取って欲しい」
「ですが、これは……」
「あぁ、ライアンの剣だ」
あの時借りた、ライアン様の剣。月光熊の左目から回収してくれたのだろう。ライアン様の遺品の一つとして。
でも、何故私がこの剣を預かるのだろう。私には、そんな資格はない。こんな私では、騎士を続けることなんかできないのに。
戸惑う私に、キナリー伯爵は剣を一旦下ろして、話を続けた。
「ライアンの最期を聞いた」
「っ!」
そうだ、キナリー伯爵はライアン様のお兄様なのだ。ご遺族から「どうして助けてくれなかったんだ」と責められても仕方がないのだ。
項垂れる私に、キナリー伯爵はこう言った。
「私はライアンを、誇りに思う」
「え?」
てっきり罵倒が来ると思っていた私は、少しだけ驚いて顔を上げた。キナリー伯爵は、ライアン様によく似た顔で、少し悲しそうにしながらも小さく笑った。
「ライアンは昔から女にだらしがなくて、放蕩息子で反抗的で、手を焼かされていたんだ。だから父が騎士団に入れた。最初の頃は問題ばかり起こしていたが、その内騎士になって……」
一瞬ぐっと喉を詰まらせたけれど、一つ息を吸ってキナリー伯爵が続ける。
「騎士になってからも、フラフラ遊び歩いていたのは変わらなかったようだが、ここ最近の一番のお気に入りは君だと言っていた。君のような姪っ子がいたらいいのにと、私達に無茶を言っていた」
キナリー伯爵の言葉に、夫人が泣きながらも苦笑して「そういえば言ってたわね。この年齢ではもう無理よと言っているのに」と同意する。
姪っ子……、私にそんなに親しみを持ってくれていたんだ。そのことが嬉しくて、それをもう返せない事が悲しい。
「ライアンは、君を守りたかったんだろう。そして守り切った。騎士として、これほど誇らしいことはない。ライアンが死んだことは悔やまれるが、私はライアンを誇りに思う。だから、そのライアンが守りぬいた君が、自分を責めないで欲しい。ライアンの栄誉を、君にも認めて欲しい」
私は自分が生き残ったことを罪だと思っている。けれどキナリー伯爵にとっては、私が生き残ったことがライアン様の栄誉なんだ。だとしたら、私の考えはライアン様の栄誉を汚すことになるのだろうか。
ライアン様に申し訳ないと、そればかり思っていた。栄誉だと考えてくれるキナリー伯爵とライアン様に、もっとも相応しい言葉を、今の今まで思いつきもしなかった。
「はい……、ライアン様には、心より感謝を」
「そうしてくれると嬉しい。私もライアンも。嘆くなとは言わないが、称えてもらえた方が、ライアンも喜ぶだろう」
「はい。ありがとうございます」
嘆くより称賛を。謝罪より感謝を。その方がライアン様が喜ぶなら、そうしよう。
再度、キナリー伯爵がライアン様の剣を差し出す。私は迷いながらも、それを受け取った。
「これをライアンと思って、使ってくれ」
「よろしいのですか?」
「あぁ、君に使ってもらった方が、ライアンも喜ぶだろう」
あの時ライアン様に借りた剣。この剣があったから、月光熊を倒せた。私は渡された剣の鞘を、ぎゅっと握って、キナリー伯爵を見上げた。もう、騎士団を辞めたいなんて思わなかった。
「必ず、ライアン様に恥じない騎士になります。ライアン様の分まで、私が守ります」
「あぁ、頼んだよ」
キナリー伯爵は満足そうにして、父と奥様に挨拶をして立ち去った。ぎゅっとライアン様の剣を抱きしめる。
「ライアン様……」
ライアン様は、もう帰ってこない。もう二度と会えない。だけど、ライアン様の騎士の誇りは、ここに生きている。ライアン様に救われた命。ライアン様の誇り。私がそれを受け継いで守りたい。
ライアン様に、約束します。私はきっと立派な騎士になります。ライアン様の分まで、沢山の人を守ります。だから、神界から見守っていてください。
夕陽の沈み始めた斜陽の空に、流星が一つ煌めいた。




