2-33 冬の定期討伐 4
長らくお待たせいたしました。
深い森の中に吹くはずのない、吹き抜けた一迅の風に片目をつぶりながら、狩人のジョーは悲鳴が響き渡る森の方角を見る。怒号と悲鳴、剣の音と魔法の爆発音。そして何かが吠える声。
「お、おい。ジョー、これは不味いんじゃねぇか?」
「俺達も加勢に行った方が良い」
サブリーダーの2人に、ジョーも頷き返す。そして、シヴィルもきっと心配しているだろうと、治療していたはずの場所を見やるが、シヴィルの姿がない。腕を治療してもらった狩人が、バツが悪そうにしながらこちらにやってきた。
「おい、お嬢さんは?」
「悪い。行かせた」
「いつの間に……」
シヴィルが向かったはずの方向はずっと見ていたが、シヴィルを見た覚えはない。だが、あの規格外のお嬢様の事だ。
「もしかして、さっきの風か……」
「あっちゅーまに行っちまった」
それなら話は早い。後は自分達も向かうだけだ。ジョーは狩人達に号令をかけて、彼らも隊列を整えると、声のする方へ急ぎ足で向かった。
彼らが足を進める間にも、咆哮が森の中に木霊している。ジョーは舌打ちをした。
「チッ、月光熊か」
「若い騎士は手遅れかもしれねぇな」
「急ぐぞ!」
更に足を速めるのには理由がある。月光熊はその巨体から繰り出される攻撃と、それにまとわりつく闇魔法も非常に恐ろしい。だが、それ以上に恐るべきは咆哮だ。咆哮を向けられた時、精神的な耐性が低いと恐慌状態に陥る。女性や子どもであれば、その場で失神してしまう。鍛え抜かれた騎士とはいえ、実戦経験の少ない若者であれば、恐慌状態に陥って動けなくなっている可能性はある。そして、その隙に全滅するというのが最悪の想定だ。
頼むから歴戦の騎士達で持ちこたえて、シヴィルと自分たちの増援が間に合って欲しいと願いながら、ジョー達は必死に足を動かした。
そして、辿り着いた先では、案の定月光熊がいて、月光熊を引き付けるように動き回るシヴィルが、騎士達に向かって大声を張り上げている。
幾人かは地面にうずくまり頭を抱え、中には失禁している者もいる。立っている者もいるが、辛うじて剣を構えてはいるものの完全に腰が引けている。これではとても使い物にならない。
「ライアン様! ライアン様! しっかりなさって! 負傷した騎士を後方に下げてください!」
シヴィルが叫ぶが、この隊を指揮していた騎士ライアンはガタガタと震えて怯えた目で周囲を見回している。恐らくどうにか立ち上がりはしたのだろう。それでも小鹿のようだった。それを見てジョーも声を荒げた。
「お前ら! 騎士達を下げろ! 様子見ながら後退するぞ!」
「わかった!」
若手の狩人達に声をかけると、良い返事をして騎士達の元へ向かう。騎士を助け起こし、震える騎士達を叱咤激励しながら後方に引きずっていく。
それに気づいたシヴィルが、月光熊の薙ぎ払いを避けながらチラリと視線を寄こした。
「ジョー、ありがとう! 助かったわ!」
「助太刀する!」
残った狩人でシヴィルと共に月光熊を取り囲み、ジョーは矢をつがえる。ジョー達が来たことで盾役をお役御免になったシヴィルが、一旦距離を取り低く構える。弓を引き絞るように後ろに構えると、「ハッ!」と声を漏らしながら刺突を繰り出した。
それは明らかに月光熊に届かない距離だったのに、刺突から繰り出された剣圧が月光熊の腹に突き刺さり、月光熊はその5メートルを超える巨体を後ずらせた。
しかし月光熊には傷一つついていない。この個体は月光熊でも大きい方だ。おそらく外皮や毛も相当硬いのだろう。
衝撃で月光熊が怯んだすきに、背後にいた狩人が斬りかかり、ジョーも射撃する。しかしやはりだめだ。剣は毛を撫でただけで、矢は弾き返される。思わず舌打ちが漏れた。
狩人達が騎士を後方に下げているが、負傷している騎士や、怯えてうずくまり逃げることすらも拒否する騎士もいるため、騎士一人を下げるのに狩人2~3人がかりだ。お陰でまだ10人近く騎士がこの場に残っている。
だというのに月光熊に全く歯が立たない。このままではじり貧だ。そう考えつつもまた射撃したところで、目を狙ったジョーの射った矢は瞬きした瞼に弾き返され、すぐさま飛びかかった月光熊の突進を防ごうとシヴィルが剣を掲げたが、「パキン」と無情な音が響いた。
「ぐっ!」
「嬢ちゃん!」
そのまま圧し掛かられて地面に押し倒されたシヴィルに、月光熊は剣を折るほど鋭い爪を、シヴィルの胸に突き立てた。途端に響くシヴィルの絶叫に、狩人達は周囲から猛攻を仕掛けるも、やはり手持ちの武器では傷一つつかない。
「くそ! ヤバイぞ! 第4から武器貰ってこい! あと聖者もだ!」
「わかった!」
シヴィルの白い騎士服が胸元からじわじわと鮮血に染められていく。シヴィルは意識があるようだが、このままでは先は見えている。
胸元に爪を食い込ませて抑え込んだ月光熊が、牙の生えそろった口を開いて、シヴィルに食らいつこうとした。慌てて弓を捨てて斧を頭目掛けて投げたが、斧も弾き返された。肝が冷えたが、シヴィルはなんとか右手でその顎を押さえて、噛みつかれるのを阻止した。
「攻撃を止めるな! 一か所に攻撃を重ねろ!」
何度もやれば、きっとその内ダメージが入るはず。それが微々たるものでも、隙が出来ればシヴィルを救出することも、逃げることも可能になるかもしれない。その可能性に賭けて指示を飛ばす。その間にジョーも矢を射続ける。
早く、早く。
焦燥ばかりが募る。新しい武器、聖者の到来。騎士達の後退。まだ終わらない。
早く、早く。
この月光熊は、あまりにも強すぎる。今まで見てきた中で最も大きな個体。鋼のような体毛。嵐のような攻撃。
いっそのことシヴィルを置いて、自分達は逃げてしまおうか。
そんな考えが過った、その時だった。
「シヴィルちゃん!」
男の声と同時に閃光が閃いた。男が光る刀身を振りぬくと、シヴィルを押さえつけていた右腕と鼻の上に裂傷が生まれ、鮮血が飛び散った。その隙にその男、騎士ライアンがシヴィルを引き立たせた。どうにか恐慌状態を脱し、助太刀に戻ってきたようだった。
「ライアン様!」
「ごめん、遅くなった。あぁ、酷い傷だ! 走れる?」
「ええ、ですが……っ!」
腕と顔を切られた月光熊は、シヴィルが立つ間は悶えていたが、すぐに怒り心頭になって口を開く。それが咆哮のモーションだとわかっていたのだろう。即座に地面を蹴ったシヴィルが空中に飛び上がり、月光熊が口を開ききる前に鼻先にかかと落としを叩きつけた。その勢いで口を閉じたため、咆哮はかき消される。
シヴィルがライアンに向かって手を差し出した。
「お借りできますか?」
「戦う気なの!?」
「せめて皆様がお逃げになるまでは。私が殿を務めます」
騎士ライアンの剣、おそらく光属性を付与された魔法剣だろう。迷ったようだがライアンはその剣を放り投げた。シヴィルはそれをパシリと受けとる。
「壊してしまったら申し訳ありません。弁償しますので」
「その時はその時さ」
ライアンも近くに転がっていた槍を拾う。
「ライアン様は皆様を連れて下がっていただきたいのですが?」
「女の子一人残して置いていくなんて出来ないよ。俺は紳士だからね」
ジョーはライアンの言葉を聞いて、心底馬鹿馬鹿しいと思った。作戦や命の方が遥かに大事なこの場面で、紳士だから女の子を置いていけないなどとほざくのだ。シヴィルの言ったとおり、彼女に任せて後退すべきだ。
しかし――。
「粋じゃねぇか。付き合ってやるぜ」
「ジョーまで……」
騎士や貴族なんて、地位に胡坐をかいた鼻持ちならない奴らばかりだと思っていた。自分が危なくなれば、尻尾を蒔いて逃げだすだろうと思っていた。だが、この2人は違う。
「ジョー! 武器だ!」
おあつらえ向きに、補給の武器も届いた。ジョーは再度狩人達に号令する。
「全員弓構え! 間違っても嬢ちゃんと騎士様に当てるんじゃねぇぞ!」
「わかってら!」
狩人達の様子を見て、シヴィルが小さく苦笑した。だがすぐにその視線は月光熊に戻される。剣の柄に埋められた魔石に、シヴィルが魔力を通したのだろう。先ほどよりも強烈な閃光が迸った。
その閃光が正しく光の速度で、月光熊に縦横無尽に閃く。その閃きと同時に、大量の鮮血が周囲に飛び散った。




