秀でし者たちの尽力
太く険しい眉が、重苦しい音を立てて動いた。
少なくとも、様子を窺っていたギューとファルガには、本来聞こえないはずの音がはっきりと聞こえた気がしたのだった。
アマデチカ大臣死去の件で、緊急でアポイントを取り付けた技術庁長官タタアギ。
その場所や方法についても、彼は検討を重ねる。
大統領ゴンゲンは、味方も多いが敵も多い。
それは政敵から刺客を差し向けられ、命の危険があるということに留まらない。命を奪われなくとも、何か一つでも軽度のスキャンダルが明るみに出れば、彼の政治的な失速は免れない。
国家的にアンバランスな状態にあるディーガレン国。それを何とか支えているのが、大統領ゴンゲンその人だった。
そんな剛腕な大統領。政治的な失速の危険があるからこそ、謁見の場所には細心の注意を払った。特に、大統領に示す情報の質が、お世辞にも笑顔を交えて共有できる内容ではなかったのも大きい。
会員制の高級レストランも、お忍びの料亭も、ましてや人気のない温泉旅館でさえも、常に盗聴や盗撮の可能性はあった。そして、最も危惧する暗殺の可能性も。
それを加味したからこそ、タタアギは大統領専用車両の中を謁見場所に選択した。
専用車両には最新鋭の人工知能が搭載してあり、大統領の座る席の肘掛けに設置されたスイッチを操作することで、操縦士から人工知能のオートパイロットに運転権限が移る。
後は、指定された何百コースの中から組み合わせられたハイウェイを延々と走ることで、外部からの盗聴盗撮や、襲撃の可能性を極限まで下げるというセキュリティシステムだった。
当然、操縦士からもキャビンは隔離されていることもあり、そこは完全な密室となるのだった。
車両に設置されたガラスは、当然全て防弾であり、タイヤもライフル程度の銃弾なら跳ね返す。もし襲撃によりパンクしたとしても、オートパンク修復機能がコンマ何秒の速度でパンクを補修する。ボディは、対戦車砲の直撃に耐えられるように設計され、まかり間違って海中に転落しても、潜水艇として機能するほか、高速のモーターボートに変形するという機能も持つ。
スパイ映画にでも出てきそうなほどの多機能な大統領専用車両。
チニゼの運転で、長官用車両が大統領専用車両に横付けされ、他の車両よりも二倍以上車体の長い大統領専用車に、素早く乗り換えたタタアギ。
謁見のアポイントが、日が暮れた後のゴンゲンの出張先からの移動となってしまったのも、場所よりも時間を優先した結果なので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
技術庁長官のその胸にはアタッシュケースが抱えられており、その中には、ドゥエイブ秘書の準備した資料が準備されているほか、護衛としての『生きるフィギュア』ファルガとギューも共に隠れていた。
純白の大統領車は、滑るように静かに走り出す。
チニゼの運転する車両は、大統領の長い車体の車を追従するように走り始めた。助手席にはノボが控える。
不適切な黒服秘書ドゥエイブは、長官室にて待機し、準備した端末で更なるフギョリの情報を洗い出すためにハッキングを続けていた。
今回は、今までの履歴からの情報収集ではなく、更にフギョリがどのような計画を立てているのか、という彼の動向を知るための調査であり、その内容は常時ノボの端末にも共有されることになる。
そして、情報を常にチニゼと共有し、必要に応じては大統領専用車の前に出て防御に徹することも検討されていた。
最初、ドゥエイブが音声で追加情報を送信することも考えられたものの、ドゥエイブの話術の懸案から、データのみを送ることになってしまったのは、ほんの少しだけファルガもギューも同情せざるをえなかった。
短時間のうちに設定された、万全のセキュリティと思われるこの状況で、タタアギのゴンゲンに対する報告は始まった。
「……アマデチカ君の件は残念でした」
そう口にする大統領のゴンゲンの表情からは、なにも読み取ることはできなかった。
顔色が変わらないのは、鍛練の成果なのか、はたまたアマデチカ大臣の死をそれほど深刻に受け止めていないのか。
まさかとは思うが、アマデチカの死の予定を既に知っていたからか。
実は、この件が報道機関によって流れた時には、既に事の真相を知っていた可能性は否定はできない。もちろん、その真相というのは、今回集めてきた資料のさわりの部分にしか過ぎないが。
「はい。気性はどうあれ、大統領の右腕になりうる男でした」
ゴンゲンは、本人にはその気がなかったもののいつの間にかトレードマークになってしまった角刈りの頭を軽く撫でながら、目線を伏せた。
「……私も、そう思っていました。
で、タタアギ長官の報告を受けるにあたっての人払い、この国家でここまで厳重に為されたことは恐らく皆無ですが、やはりそういう報告だからですね?」
「はい。
おそらく衝撃を受けると思います。
アマデチカ大臣も、今回の科学技術省技術庁の『施設』の取り組みについては、大統領に報告していると思いますので、その部分は割愛させていただきますが、今回の事案の発端はそこからになります」
ゴンゲン大統領は、ゆっくりと鼻から息を吐き出しながら、タタアギを見た。
タタアギは膝に乗せたアタッシュケースから、書類と写真の束を取り出す。
先日ドゥエイブが探し出してきたものを、ノボが整理し、その後インデックスをつけて一冊の冊子にまとめたものだった。
それと同じものをタタアギは参照しながら、説明を始めようとする。
だが、ゴンゲンはそれを軽く手で制する。そして、この男は恐ろしい速さで目を動かしながら資料をめくっていく。
それはもはや、人間が黙読しているという速度ではなかった。
ゴンゲンは、直感像記憶、別名『写真記憶』と呼ばれる能力の持ち主だった。
タタアギが見せた書類と写真を数十秒で目を通し終わると、タタアギにその書類を戻した。
人形の振りをしているファルガとギューが、瞬間的にゴンゲンの『氣』が変質したことに気づいたのは無理もないかもしれない。
……といっても、『妖』が『魔』に変わった、という類いの変化ではなく、瞬時に練られて充実した『氣』になった、といった変移だった。
それはちょうど、戦闘の達人が、鍛錬の『氣』から戦闘の『氣』に変質したのに似ているかもしれない。
「……内容はすべて把握しました。
以後、タタアギ長官はその書類を参照されながらお話しされると宜しいと思います」
「大統領は、この資料は参照されなくとも……?」
「はい。書類は、写真の如くに一枚ずつ私の記憶の中に入り込みました。いつでも自由に引き出すことができます」
タタアギは仕事柄、何人もの天才を目の当たりにしてきたが、このゴンゲンという男の才能は、また次元の違う天才なのだろうと思えたのだった。
ゴンゲン大統領は続ける。
今回のアマデチカ大臣の死については、事故死ではなく、暗殺により与えられたものだろう。彼はそう告げた。
写真を見ただけでなぜわかるのかと慌てるタタアギだったが、ゴンゲンの回答は至極簡単だった。
車両が事故を起こし、炎上した直後に撮られた写真。
運転席側からの写真なので、アマデチカが写っている。だが、そのアマデチカの首の角度がおかしかった。
というより、その姿勢には一つの原因が予想されることが伝えられた。
それは、車両の火災発生の前には、既にアマデチカは殺害されていただろうということ。
実際、引き延ばしてみると分かるのだが、その写真のアマデチカ大臣の額には穴が開き、そこから出血していた。
刹那の記憶術もさることながら、記憶の画像を拡大し読み取ることのできるゴンゲンの恐るべき才能だ。
角度上見えないが、後頭部は既に吹き飛び、脳漿をまき散らすような凄惨なものになっていたはずだ。
「この写真を撮った者は、大分悪趣味ですね。
まるでターゲットを消した証明の写真に見えます。暗殺の報告書につける類の写真でなければ、人工知能による画像生成を疑いかねないレベルのものです」
タタアギはゴンゲンの言葉を聞き、頷いた。
そして、秘書による情報収集の結果である、とも併せて告げる。
「……他の資料を見るに、アマデチカ大臣は、技術庁副長官フギョリに依頼された暗殺者により、その存在を消されることになった……」
「はい。
先日の技術庁の新技術『可変容積型多目的施設』の発見を、大々的に謳ったフギョリですが、その技術は、我々には手を出してはいけない類のものでした。
その為、開発がお蔵入りになります。
実際にその技術を使いこなせた場合には、予算が大分浮くことになります。それを楽観視していたフギョリは、その金を着服していたのです。
当初は、予算を使い切りつつ、『施設』も不可侵の技術を用いて開発に成功し、フギョリの手腕が高く評価される、という予測だったはずです。
ところが、実際には技術開発は頓挫した。
それをアマデチカ大臣に叱責され、同時に予算の横領を指摘される可能性を危惧したフギョリは、事前に手を打ちました」
「それが、今回の事故に見せかけた暗殺劇の真相だということか」
大統領は目を閉じた。次の資料を頭の中に呼び起こしているのだ。
その内容は、彼にとっては衝撃的なもの、のはずだった。
それは、『フギョリの雇った暗殺者は、大統領ゴンゲンも標的にしている』という事実だった。
衝撃の事実を耳にしたゴンゲンではあるが、その反応は著しく薄かった。
文字通り、冒頭でファルガとギューが目の当たりにした、眉を動かす、という反応だけだったからだ。
次の瞬間、操縦席とキャビンとの間にあるガラスに何かが激しく当たった音がキャビン内に響き渡った。
キャビン内に一瞬緊張感が走る。
ガラスは割れていないが、明らかに銃弾を受けた傷が、その表面に残っている。
タタアギは動揺を隠せないが、大統領はこの車両の性能を熟知している。それ故、慌てることはしなかった。
音の原因は、操縦席から放たれた銃弾の跳ねた音だった。
彼らの視線の先では、防弾ガラスを隔てた向こう側の操縦士が、振り返り銃を構えていた。そして、明らかに弾丸が打ち出されたという、銃口から立ち上る煙が確認できた。
「……」
操縦席に座る暗殺者の口が、何か言葉を発していたが、密閉率の高い車内には聞こえない。だが、操縦席とキャビンを仕切る壁の覗き窓のガラスが防弾仕様であることに驚いているような雰囲気だった。
しかし、この場に送り込まれる暗殺者が、この車両のありとあらゆるガラスの部位が防弾であることは熟知しているはず。この男の驚きは、貫通弾をも跳ね返す最新の防弾ガラスの強度に対してだった。
暗殺者の目の色が変わる。この男もプロだ。道具がないから出来ませんでした、では済ませられない。
音こそ聞こえないが、防弾ガラスが幾度となく不自然に震え、銃口からは、複数回の閃光の後、連続して煙が吐き出された。
一体、何発ほど銃を連射したのだろうか。
防弾ガラスを突き抜けた一発の弾丸は、一直線にゴンゲンの眉間を目指す。
いかに最新鋭の防弾ガラスといえど、同じ場所を至近距離で、何度も貫通弾を打たれれば、ガラスは割れずとも穴は開いてしまう。
この暗殺者の銃の腕は間違いなく確かなものだった。
『ワンホール=ショット』。
初撃の弾丸が命中したところに、何度も弾丸を命中させることで、防弾ガラスなどの強固な遮蔽物を貫通させるテクニックだ。
弾丸サイズ大に穴をこじ開けられた防弾ガラスを通過した弾丸は、ゴンゲンの眉間へと驀進する。
もちろん、現在起きているのは、刹那の話だ。
その様子は、ゴンゲンの目は勿論のこと、タタアギの目にも捉えられるはずはない。
だが。
タタアギの保険は、役に立った。
アタッシュケース内に仕込まれた、最強の保険。
フィギュアを自嘲する、青年剣士と少年戦士。
彼らが動き出していたのだ。
タタアギが大統領に資料を渡すためにアタッシュケースを開いた瞬間、ファルガとギューはアタッシュケース内から脱出し、車内にある物陰に身を潜めていた。
防弾ガラスを隔てた暗殺者が銃を打った瞬間に、彼らは防御の行動を開始していた。
蒼い鎧を纏った剣士は、防弾ガラスを突き破った弾丸に恐るべき速度で肉薄、弾丸をその剣で切り裂くべく剣を振るおうとした。
だが、青年剣士は一つの懸念を危惧した。
そして、その後ろに控えた少年に声を掛ける。
「弾丸は任せた! 剣で斬ると、切れた弾丸が予想外の方向に飛び散る可能性がある。何とか弾丸を止めてくれ!」
無茶苦茶な!
そう叫ぶ少年は、回転しながら進む弾丸に追いつくと、真剣白刃取りの要領で、弾丸を挟み込んだ。だが、火薬で打ち出された際の熱に加え、回転する際の摩擦熱で焼かれた弾丸が、少年の掌に熱を伝える。
「あちっ! あちっ!」
少年神勇者ギューは、悲鳴を上げながら弾丸を包み込み、受け止めることに成功する。
弾丸を止めながら、掌に集めた『真』を使い、自身の両手のやけどを避けるために≪氷結≫の術を発動させ、摩擦熱を下げることに成功したギュー。
そんな様を笑顔で見届けたファルガは、背の竜王剣を一気に抜き放ち、刃に力を籠めると、防弾ガラスそのものを切り裂いた。
同時に、暗殺者の巨人の眉間にめがけて鋭い突きを放つ。
『斬らない斬撃』という聖剣の技術がある。
殺傷を望まない敵に対し、斬撃と同じような身体的な衝撃を与えながらも、無傷で倒すという技術だ。
その技術を応用し、相手にはダメージは残すが致命傷を与えない技をファルガは放った。
『つらぬかない突き』。
人間の弱点である眉間。
そこは巨人にとっても弱点だった。
その突きを、威力だけで打ち抜くことで、実際には傷つけずに失神させることに成功したのだった。
だが。
イレギュラーは突然訪れる。
気を失った暗殺者は、ぐらりと体勢を崩す。
その体が、操縦桿に寄りかかってしまうことで操縦桿が傾き、車両が暴走を始めたのだ。
自動操縦は、切り替えればシステムが考えて操縦を開始する。しかし、安全を確保するための運行セキュリティ上、自動操縦での操縦桿より更に強い力で人間が操縦桿を操作すると、自動操縦システムは自動設定を解除し、操縦者に操縦権限を戻す。
自動操縦では回避しきれない危険が迫ったときに使用される機能が今回、最悪の状況で発動したのだ。
操縦桿を倒された大統領専用車両は制御を失い、ハイウェイの壁にその車体をこすりつけながら走行を始めた。
激しく火花を散らしながら走行し続ける、大統領専用車両。漆黒の闇に包まれたハイウェイの側壁を、激しい火花が鮮やかに照らし出す。
車両そのものは、対戦車砲を防ぐ装甲だ。側壁に接触したくらいではなんともない。しかし、高速道路の壁自体はそこまでの防御力はない。いずれ、強固な装甲が高速道路の壁を破壊してしまう可能性は高い。
何十メートルという高さから転落した車両は、その類稀なる防御能力から破損はしないだろうが、中の人間は別だ。
良くて大怪我。
最悪は搭乗者全員死亡の可能性も十分にありうる。圧倒的な防御力は、それが地に着いていることではじめて意味を成す。
火花を散らしながら走る大統領車両を、制御できる人間は誰もいなくなってしまった。
どれくらいの距離を走り続けただろうか。火花を上げ続けながら走る大統領専用車両の直ぐ横に、闇に紛れるかのような漆黒の車両が並走し続けた。
操縦桿を押し込む、気を失ったヒットマンの体を操縦桿から何とか退かしたファルガだったが、その巨人の足が速度調節ペダルを強く押し込んでしまっていることで、暴走は止まらない。
増設中の引き込み線へと入ってしまった大統領専用車両。
操縦桿操作をノボに変わったチニゼは、長官車両の操縦席と反対側のドアを開け、何とか大統領専用車に乗り移ろうとする。だが、どんどん加速していく大統領専用車両に対し、並走を続けるのがやっとだった。
ロックされた操縦席のドアは、開かない。外部からの救出用の操作を、高速走行時に身を乗り出して、開放しようとしていたチニゼだったが、ロックの解除はうまく行かない。
「ドアを斬り落とせ!」
チニゼは、運転席内でなんとかしようと奮闘するファルガに、大声で怒鳴って伝えようとするが、高速走行中の大統領専用車両の防音性の高さが仇になり、ファルガに声が届かない。
チニゼは、懐に忍ばせていた銃を取り出すと、操縦席のドアの窓に向けて連射した。それは、ヒットマンが行なったワンホールショットを、暴走する車両に向け、並走する車両から行なうといった、熟練度だけではなく運勢も試される行動だった。
しかし。
「ダメだったな……」
普段ほとんど話さないノボが、チニゼの失敗を指摘する。やはり、時速百キロを超える高速走行中の対象に、ワンホールショットは無謀過ぎた。
舌打ちをしながら、並走し、火花を飛ばしながら走る大統領車を睨むチニゼ。
その眼前に、一丁の銃身長めのハンドガンが差し出された。操縦を続けるノボが、左手だけをチニゼの方に伸ばしたのだ。
「……ドゥエイブの読み通り。普通の貫通弾じゃ無理だ。
大統領車は更に硬い。ならば、これしかない。
……まさかこれははずさないよな、秘書長?」
ノボが渡したのは、最新の貫通弾を装填した銃だった。
対戦車砲に耐える装甲の車両だが、ガラスの強度も同様だ。そんなガラス相手に、並走する車からのワンホールショットなど不可能に決まっている。
ノボはそう言いたげだった。
それでも、チニゼの射撃は一級品だ。仮に先程のワンホールショットをはずしていても、最新の防弾ガラスを確実に貫通させる腕はある。
そして、この状況下でその腕を鈍らせぬ胆力もある。
そう見越しての、ノボの煽りだった。
チニゼは額に脂汗を、眉間に険しい皺を刻みながらも、口角を上げた。
「……お前ら、馬鹿にしやがって……」
チニゼの放った弾丸が、窓ガラスに小さな穴を穿つ。
外部からの音が聞こえるようになったことで、外の巨人達が何かをしようとしていると悟ったファルガは、チニゼの意図を理解する。声は轟音に掻き消され、ほぼ届かなかったのだが、唇が読めたのだ。
再度背の剣に手を掛け、操縦席のドアの接合部を切り裂き、ドアを滑落させる。
ほぼ同時に車両内に飛び込んできたチニゼは、気を失ったヒットマンを押しやり、車両の制御に成功する。
そして、造成途中のハイウェイの、まさに先端の切れた通路に前輪が落ちるか否かのタイミングで、車両の停止を成功させるのだった。




