少年の過ち ~空間に負けるということ~
本人は、そこまで肯定したつもりはない。
だが、結果的にそう捉えられた。
突如出現した、吸い込まれてしまいそうな、漆黒の黒水晶。
いや、光沢のない宝石など、宝石等とはとても呼べまい。
光すら吸い込む、完全暗黒。
闇から切り出したそれを、人々は異世界への門と呼び、神々は創造主の奇跡と呼んだ。
そして、その騎士たちは『≪洞≫のゲート』と呼ぶ。
空間生命体のみが得た能力。
自身の身体の濃度を限界まで薄めることにより達成する『確率体』。最高次を名乗る事が許された存在のみの、不可侵の形態の能力を使い、空間転移の為の入口と出口を繋ぐ神術により発揮される奇跡。
それこそが≪洞≫の術なのだ。
そして、その門の奥から、ゆっくりと姿を現した男。
彼のシルエットが、うっすらと光を放っているように見えたのは、その圧倒的な力故だろうか。
神勇者ファルガ=ノン。彼の目には怒りが宿っていた。
「……ファルガさん……」
思わずギューの口から漏れる、兄貴分の名前。だが、ファルガはギューのその呼び掛けに答えることはなかった。
今まで仲間には決して向けたことのない、強い殺意を発し続けるファルガ。
表情一つ変えずに無言でギューの正面に立つファルガは、そこでやっと、ゆっくりと口を開いた。
「……俺がなぜここに来たか、解っているな?」
聞き慣れた声が、抑揚なく発せられる。その恐怖は筆舌に尽くしがたい。
「わ……、解っています! でも、この人達だって人質を取られています! やるしかないんです!」
ギューは必死に抗弁する。兄貴分のファルガなら、自分の想いを解ってくれる、と信じて。
実現が不可能でも、やらねばならぬことがある。そのように、彼にその背中で教えてきたのは、ドイム界元の神勇者ファルガ=ノンその人ではなかったのか。
「やらねばならないなら、鋼の意思で立ち向かえ。
俺は、確かにその信念で動いてきたこともある。
だが。
今お前が手掛けようとしていることは、やらねばならない不可能なこと、ではない。決してやってはいけないこと、だ」
今まで見たことのない表情で放たれたファルガの言葉は、初めてギューの動きを止めた。
「やってはいけない……こと……」
辿々しく復唱する少年神勇者は、あのファルガですら手が出せない事に愕然とする。
「手が出せないんじゃない、やってはいけないことなんだ。
現次の俺たちは勿論、高次の神様達だって、手を出すことは許されない。『疑似仮想空間』を取り扱おうとすることは……な」
「でも、彼らは人質を取られているんです! 人質を取り返すためには、実験を成功させるしかないんです! 実際、実験は百パーセント成功しています! 実用化までもう少しなんです! もう少しで人質が帰ってくるんです!」
ギューは感情的に叫んだ。
ジルゴやカインシーザが袂を別ったエリクシールの手先を、なぜファルガが買って出たのか、ギューには全く理解ができなかったからだ。
自分が必死になって説得すれば、ファルガなら分かってくれる。自分が、知り合って数日ではあるものの、助けを求めている人たちを力になることを、兄貴ならば、認めてくれるはず。
だが、ギューが感情的になればなるほど、ファルガは冷静に言葉を紡ぐ。
「それが間違いなんだ。
『疑似仮想空間』は、最高次だけが取り扱える技術。現次では、絶対に取り扱うことはできない。そのまま消滅するだけだからだ」
「ううっ……。
でも、なんとか成功させます! 出来なければ僕が責任を取ります!」
ギューの最後の言葉が、ファルガの目の色を変えさせた。抑えていたファルガの怒りが、はっきりと姿を表したのだ。
「責任などと、軽々しく口にするな! 全ての生命、全ての界元が抗えない力で消えさった時、お前がどう責任を取れるというんだ!
お前一人が責任を負ったところで、何の意味もないんだ! お前を含めた全ての存在が消滅する。それがお前の言うところの責任の果たし方なのか!?」
ファルガの激しい怒りがギューに叩きつけられた。
背筋が凍るギュー。
これが、自分が追いかけた男の本気の怒りだ。
「武器を構えろ、ギュー。
俺は、これからお前を討つ。
お前は、絶対にしてはいけない選択をしてしまった。
……覚悟は良いな?」
ファルガは、新生竜王剣の刃が、顔の横に来る位置で構えた。青白い氣の炎・オーラ=メイルが激しく立ち上り、竜王剣の刃に、力が輝きに姿を変え、込められていく。
『閃光彗星斬』。
剣宮の主を屠った、ファルガ最大の技。
それが、ギューに向けて今まさに放たれようとしていた。
「早く構えろ」
ギューは、ひきつった表情で叫んだ。
「い、嫌だ……! 僕は、何とかしたいんだ……! あの人たちが不幸になって良い理由なんてあるはずない!」
もはや、ファルガは目の色を変えなかった。
高まっていく青年神勇者の力。青白い輝きが体から刃に乗り移る。
そして、輝きが頂点に到達した次の瞬間、閃光と共にギューは今まで感じたことのない衝撃をその体に受け、同時に意識を四散させた。
……生きている……。
ファルガの最強の技を受けた以上、完全に四肢は消滅していると思っていた。
だが、思いのほかダメージは少ない。
無論、体に凄まじく強い痛みはある。その痛みの部位を特定することは、今のギューには困難だった。
だが、それも少しずつではあるが、薄まっていく。
強い霞の中にいる意識が、徐々に明瞭になっていく。まるで重く黒い雷雲の中を漂っている魂が、徐々に明るくなっている方に近づいていく。そんな印象だ。
そして、痛みと恐怖が徐々に溶けていき、体に安寧が訪れようとしていた。
突然、ぐいと強く手前に引っぱられた気がして、慌てて目を開く。
そこには、先程までとは違う優しい表情を浮かべたファルガの顔があった。
「……大丈夫そうだな」
にやりと笑うファルガが、自分の身体に≪回癒≫を施しているのが分かった。
夢かと思った。
だが、ギューの視界に飛び込んでくる風景は、先程の研究施設の中庭だった。
自分の頬をつつくのは、中庭に生え揃った緑の芝。刈り揃えてはいるが、この界元の物体は全てが大きい。恐らく芝の繊維質もギューの知るものよりはるかに強固なのだろう。
芝生に横たわった時のチクチクが、いつもよりずっと強い気がした。
ファルガは、横たわるギューをそのままに、ゆっくりと立ち上がった。
そして、空に向かって言葉を発する。
「討伐完了。
指令は完遂したので、以後、こちらで行動します」
横たわったままのギューは、思わず目を見開く。
頼りになる兄貴分ファルガが、帰ってきてくれる。
それは、背伸びをし続けて、心の疲労が蓄積され続けていた彼にとって、まさに救われた思いだった。
自分の意思に反して、目から涙が溢れた。
齢十歳の少年の冒険は、いささか負担が大きすぎたのだろう。
ファルガの宣言に対し、一瞬空間がため息をついたように感じられたのは気のせいだろうか。
「……俄かには信じがたいが、ギュー君との戦闘を見せられた後では、信じざるを得ないな」
ファルガとギューの戦闘……というよりは、ファルガの一方的な制圧だが……の様を見ていたタタアギとチニゼは、そう言った後、言葉を失った。
巨人から見て、二人の小人を目の当たりにしたら、技術庁は愚か、科学技術省全体が激震に見舞われるだろう。
ファルガはギューを抱え、タタアギの自室となっている元長官室へ早々に移動していた。
中庭での凄まじい爆発は、ドゥエイブの実験の失敗という事で、現在実権を握っている副長官に、始末書を提出する段取りになったようだ。
彼にとって微笑ましい悲劇は、この凄まじい衝撃による中庭の破損がドゥエイブの実験の失敗の結果であることに誰しもが納得し、更に、ドゥエイブが始末書を提出させられる、と耳にした時、誰しもがにやりとしたことだった。
どうも、彼の失敗と始末書の提出は、ワンセットとして省内外に認識されているようだった。
いわば、落語の定型のオチであり、漫才のお約束のような様式美に昇華された類いのものだったのだろう。
ただ一人、怒髪天を衝く勢いで怒ったのは、ドゥエイブその人だった。プリプリ怒る恰幅の良い……というよりは、小太りの男を、半ば飽きれ、半ば同情して、省内の人たちは見たことだった。
「……すみません……」
間違った判断をし、ファルガに迷惑をかけ、『可変容積型多機能多目的施設』の完成のために何とかして約束を守ろうとして守れず、そして、今回の爆発事故の件で、ドゥエイブに濡れ衣が着せられた。
ギューは、小さくなって三方面に謝罪する。
ファルガは黙って静かに彼らの出方を見ていた。
もし、今回の件を全てギューに押しつけ、ギューを責め立てるようなら、ファルガはそのままギューを連れ、この場を去るつもりだったからだ。
タタアギ長官と、三人の黒服の秘書達には、説明はしている。
本来、ファルガを含めたここにいる面々でさえも、『疑似仮想空間』を操ることは、完全に不可能なのだ。それを行えば、彼らは自分の世界を道連れにした、壮大な消滅型心中をすることになる。
それを止めに来たファルガを説得しきれなかったギューを責めるのは、本末転倒であり、その程度の人間のために尽力してやる必要はない。ファルガはそう判断するつもりだった。
ディーガレン国の技術庁長官と、三人の黒服の秘書たちは、ギューの謝罪を受け入れた。というより受け入れざるを得なかった。
ファルガの説明を聞き、彼らは泣き崩れるしかなかったのだ。
家族を諦めるしかない。
それは、死の宣告に等しかった。
彼らにとって、その選択は苦渋の決断だからだ。
「今、この人たちの反応を見ていてわかるだろう? お前の選択は、どちらも断崖絶壁だ。茨の道なんかじゃありゃしない。
ないんだよ。道が。
それをお前はわからないといけない」
「……はい」
立ち尽くして視線を落としながら閉口する長官タタアギと、顔面蒼白のドゥエイブ、そして、蹲り小山のようになってしまったチニゼとノボ。
各々が与えられた現実を受け止めきれず、彼らの中で時間が止まってしまったようだった。
「……今、この中で話ができるのは誰でしょう?」
スーツの老人、名ばかりの技術庁長官になってしまったタタアギが、伏せていた視線を足元のファルガに向ける。
「私は、比較的冷静なつもりでいる。
ファルガ君、だったか。彼らは、現実を突きつけられて、今は何を話しても恐らく届くまい」
「……これ以上は、彼らが決めないといけません。
もし、ご家族を連れて逃亡者になる覚悟がおありなら、俺たちは救出のお手伝いをします。
今回の事案は、国の中での問題だと推察します。俺の役割は、『疑似仮想空間』を使おうとする者の阻止。
それさえできれば、どちらが敵味方はありません」
「申し出はありがたい。だが、少し時間が欲しい。
まだ、ギュー君ともそこまで話せていない。それに、ファルガ君、君とはほんの数刻前に知り合っただけだ。その圧倒的な強さと思慮深さはわかったがね」
「お任せします」
そう言うと、ファルガはギューの方に振り返る。
斧を杖にして立っていたギューは、ファルガの視線が気になった。
ファルガは、ギューの巨神斧と朱神鎧を観察しているのが分かったからだ。
「ギュー、お前は少し休みかもな」
そう言うと、ファルガはギューの鎧の中心部を指で軽く押した。
鎧は、胸にあるエンブレムを中心にして、二つに割れた。
甲冑が二つに割れる。それは衝撃の光景だった。
腕の部分の装甲や、足の部分の装甲にもつなぎ目はある。そこが剝ぎ取られたりするダメージは、甲冑でも負うことがある。
だが。
甲冑が中心から二つに割れるというのは、通常は起き得ない。戦場を見てまわってみても、そのような損傷のある防具は存在しない。
そして、ギューの身体を支えていた巨大な斧。
こちらも損傷していた。
ギューを自立するように促すと、ファルガは斧に触れる。
なんと、この斧も見事に割れたのだ。柄の部分ではなく、もっとも肉厚な斧の刃の部分が。
ファルガの最大の技、『閃光彗星斬』から、ギューを護ろうとしたギラオ界元の超神剣の装備の最期だった。
ギューは絶句した。
そのまま、身動き一つとれない。
「もともと、その超神剣の装備は、長くはなかったみたいだ。
造ったのは、エリクシール様とギラオ界元の神皇ビュウラック様。ビュウラック様はもういない。ビュウラック様の体の一部だったギラオ界元も消滅してしまっている。
ギラオ界元の『氣』と『真』で作られている超神剣の装備が、ここまで持ったのが奇跡に近いんだろうな。
よほど、超神剣の装備にとって、お前は護りがいのある所有者だったんだろうな」
ギューはしゃがみ込み、二つに割れた甲冑と、刃の部分が欠けた斧を見て、声を押し殺して泣き始めた。
「さて、ギューもそれなりの損失を被った。
後は、あんたたちの考え次第だ。
あんたたちの技術で、この斧は直せるか? 斧さえあれば、ギューは戦える。ギューが手を貸せれば、あんたたちの家族を助けられる確率も上がる。
どれほどの力で相手を追い詰めても、家族が奴らの手にある限りは、命の保証はない。
取り返すしかない。
方法をどうするか。
押し込み強盗を決め込むのか、はたまた、合法的に取り戻すのか。
まずは、そこのすり合わせから始めざるを得ない」
ファルガは淡々と話を進める。
「……君は、相当の修羅場を潜ってきたのだろうな。
この状況下において、我々の心情が分かった上で、それでも立ち止まってはいけないと、意見を投げかけてくれている。
だが、こやつらには、そこまでの気概はない。明日まで時間をくれ。
明日正午、この場所で私と彼らの意見をまとめたものを君に伝えよう」
ファルガは無言で頷いた。
本来説得する話ではないのだ。自分たちの国の不始末は、自分たちでつけるしかない。
「……俺たちは、明日また来る。この場所に」
わかった、とだけタタアギは答えた。
ファルガは、エリクシールに≪洞≫のゲートを要求した。それは、エリクシールの城直通のものだった。
ギューの表情は一瞬引き攣るが、ファルガの言わんとすることは理解していた。
新しい超神剣の装備の要求。
それをギュー自らの力で行わせるのがファルガの狙いだった。
反逆者ギュー。界元を消滅の危機に陥れた極悪人だ。そのそしりは免れまい。例え、意図せぬ行動だったとしても。
しかし、エリクシールがギューの装備を作り直すことは、贖罪の完了を意味する。
ギューの立場を更生させるため、ファルガは一肌も二肌も脱ぐ。
それは、少年時代にギューの父であるガガロに施された、導く『宿敵』のお返しでもあった。
紫雷と共に発生する、神皇の力の証明。
それは、空間生命体が空間生命体足る要件だった。
まるで、現次の巨人達に見せびらかすように、過剰な放電現象が起き、その場にいる四人の巨人は絶句する。
先程は施設の中庭に現れた。
そして、今回はタタアギの長官室に現れた。
賢明なタタアギは気付く。
空間生命体には防御は関係ないのだ、と。
防御の根幹は、遮蔽だ。弾丸、斬撃、術の影響範囲。その全てを遮ることにより、被ダメージを押さえたりなくしたりする。
だが。
それを通り抜けたり無視したりできるのが、空間生命体ということ。広さだ狭さだといっている時点で、既に空間に『負けて』いる。
世界が消える云々は、雲を掴むような話だ。しかし、防御が意味をなさない、と聞いた時、初めて自分達が扱おうとしたものの恐ろしさに気付いたのだった。
ファルガは、そんなタタアギの様子など気付かぬとでもいうように、ギューには折れた斧を持たせ、自身は割れた甲冑をもって、ゲートの中に歩み進んでいったのだった。




