異空間へのそれぞれの思惑
「結論から言うと、僕の力では、何もできません。すみません」
ギューは、長官に謝罪した。
少年は、長官に何をどうしたいのか答えてほしい、と告げた。その結果、長官は長々と、感情が入り混じる状態で、少年に内容を伝えた。
だが、その内容は、神の領域ですらなく神皇の領域だった。
『妖』の神皇・界元妖神皇と、『魔』の神皇・界元魔神皇。
実質は一柱だが、個性が二柱存在する空間生命体・神皇。彼らでやっと実現が可能であり、空間を自在に扱う『疑似仮想空間』を、神ですらないユークリッド界元の民が実現するのは、どう考えても不可能だった。そして、無理矢理その空間を作ることそのものも、多大な危険が存在するように思えた。
「……というか、普通に考えて無理でしょう。それに、やるべきではない気がします」
ギューは半ば呆れたような物言いをしてしまう。
だが、そこでハッと気づく。
この巨人たちは、『疑似仮想空間』の生成に幾度となく成功しているのだ。そして、その中に足を踏み入れてさえいる。知らなかったとはいえ、ギューもその証人の一人だ。
その空間内の問題点は全く解決されておらず、そこに潜むリスクが何一つ払拭されていないが、『疑似仮想空間』の作成自体は成功しているのだ。
その中身の確定が全くなされていない事が、大問題ではあるのだが。
長官の顔が沈んだ。
「……そうもいかんのだ。
私はいい。もう家内にも先立たれ、天涯孤独だ。子もいない。
だが、チニゼとノボには、家族がいる。科学技術大臣は、その家族たちを軟禁しているのだ。このプロジェクトを完遂させるために」
「人質……」
「そうだ。
そして、我々は『施設』で成功してしまっている……。
その、『疑似仮想空間』という奴を作り出せてしまっているのだ。その作りだしたものに、まだ干渉できないだけで……」
朱の鎧の少年は、思わず呻いた。
これではどのような言い訳も効きはしない。作り出すしかないのだ。彼らの家族を無傷で取り戻すためには。
何故作り出せたのか、ということを調べることも大事だが、その作り出せたものの精度を上げ、実際に使えるようにするしかない。
ただ、その方法については、ギューには皆目見当がつかなかった。
界元神皇に尋ねる方法もあるが、恐らく教えてくれることはないだろう。人の命が掛かっているといっても、神皇にとってはさしたる問題ではない。それこそ、カインシーザがよく口にしていた『神は等しく救済しない』という言葉の通り、こちらが先だって助力した義理など、全く関係なく何事もなかったかのように振る舞うだろう。
ほんの僅か前……。それこそ、黒服の巨人達と行動を共にし始めた直後に、とある強大な事案に、一時的とはいえギューの事情など完全に無視した状態で突然駆り出したとしても……。
では、他の誰に聞けば良いかといえば、自身の界元の神皇に尋ねるしかないが、もはやギューの界元ギラオは存在しない。
しばらく俯いて考え込んでいたギューは、顔を上げた。
「……その、ダイヤルの壊れたコントローラーって、僕も見たり触ったりすることは出来ますか?
僕にわかるかはわかりません。でも、見もしないで出来ない出来ないっていうのも違う気がして……」
見ても、やはり出来ない、というかもしれないけれど、という言葉は飲み込んだ。
「すまないな、ギュー君。
準備させよう。少し時間をくれ」
長官は、くるりと背を向けると、地下室から出ていった。遠ざかっていく足音は、地響きをギューに伝えるが、その響きは決して雄々しいものではなく、ともすると物悲しい一人の老人の慟哭に聞こえなくもなかった。
少年神勇者ギューは、一人、化石になっていない恐竜の死骸の前に佇み、本来なら血沸き肉踊るはずの状況に、興奮しきれない自分の反応に驚いていた。
「陰の『可変容積型多機能多目的施設』の開発、どうなっている?
指摘通りに、技術庁の機関から独立させ、研究に集中できる環境を作るよう手配はしたが……」
科学技術省大臣アマデチカは、頭頂部ではほぼ失われた髪を横から集め、何とか撫で付けようとする作業の手を止めること無いまま、自身の前に腰かける黒髪の目付きの鋭い男に報告を求めた。
「大臣、ご心配には及びません。タタアギ長官は、老齢ながら指導力、実行力ともに定評がありますのはご存知の通り。
技術庁につきましても、私が副長官として就任し、実務を監督しておりますが、長官の尽力により、既に完成された組織となっております。
今回、三人の秘書をつけておりますが、彼らも非常に有能で、『陰の施設』の例の衝撃にも対応できる人材を確保したとの事。
これから実装に向けて、実験は加速度的に進んでいくことでしょう」
そういって笑う男の目は、どこか違う所を見つめているようにも見える。
「そうか。
いずれはタタアギ長官に、話を聞き労わねばならんな。
庁の方の舵取りは任せたぞ、フギョリ副長官」
深々と頭を下げ、フギョリと呼ばれた目付きの悪い黒髪の中年の男は、大臣アマデチカと目を合わせること無く、大臣の執務室から辞したのだった。
残された科学技術大臣アマデチカ。
彼は、席から立ち上がり伸びをすると、彼から見てデスク右側の書類に目を通し始めた。やがて、常人の倍近い速度で書類を読み終わると、そのままシュレッダーに掛けるのだった。
大臣の執務室としては、異常なほどにものがない。毛足の短い、濃いベージュの絨毯に、彼の腰かける椅子と大きめな木目調のデスク。正面の扉の横にある腰掛けと、打ち合わせ用のソファに挟まれた小さなテーブル。
部屋にあるのはそれだけだった。
それは、科学技術省の大臣にまで上り詰めたアマデチカという男の非凡な処理能力の片鱗を示していた。
この国家の法を記した、いわゆる六法全書の類いの書物を完全に暗記し、入省試験でもトップに近い成績で入省を果たしたこの男は、胆力だけが欠点だった。
彼は、しばらく背後の窓から外を見て、物思いに耽っていたが、思いついたようにデスクの上の受話器を取る。
短縮ダイヤルなのだろうか、手にした受話器の腹の部分を二回ほど押し、どこかに電話をし始めるのだった。
朱の鎧を身に纏った少年神勇者・ギュー=ドンは、眼下に横たわる体長十数メートルの恐竜の死骸に対して話しかける。
もちろん、死骸からの返答を求めているのではない。
この死骸に寄生し一体化した超妖魔が、もし意思の疎通ができる、所謂『動的超妖魔』だとするなら、件の施設に起きた事象を説明してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を込めての問いだった。
だが、そんなギューの願いもむなしく、そこにいるであろう超妖魔は、死骸の真似をし続けた。
正直、死骸に姿を変えたのか、死骸に溶け込んだのかは、今のギューではわからない。既に数億年という気の遠くなるような時間が経過している死骸だ。以前は超妖魔として意識があり、意思の疎通も可能だったかもしれないが、二億年もこの地で化石たちと共にいたならば、言葉はおろか、会話をしようとする考えすら忘れ去ってしまうかもしれない。
少年にふと浮かぶ疑問。
そもそも、超妖魔って一体何なのだろう。
ギューは、恐竜の死骸を見ながら考える。
超妖魔は空間生命体。
では、空間生命体とは何なのだ。
図鑑で読んだ『生命体の定義』は、それそのものもあまりピンとこなかったが、それでもそうなのかなぁ、とは思えた。見たり聞いたりしたわけではないので、納得はすんなり出来ないが……。
それは。
外部からエネルギーを取り込み、子孫を残す為に活動をする存在。
色々定義はあるだろうが、そういう認識だ。
自分が生き残るために活動し、子孫を残す為に活動する。そういう本能を持たないと、絶滅するかなぁ。お腹が空いたという感覚がなければ、エネルギー不足に陥ってもわからないだろうしなぁ。
幼心にそう思った当時。
それから、色々経験し、考え、見てきたが、それそのものを覆すに至る事案はなかった。
ところが。
超界元ユークリッドを訪れてから、何度と無く遭遇する超妖魔。
その存在の定義も数あれど、理解も納得も出来ない存在がいた。
彼の知る根本の生命体の考え方を覆す恐るべき存在が数多くいた。
まず、神皇。
その存在は、現次や高次の存在とは全く異なっていた。
生命体的な所作を行なっていたのは、『実体』であり、その他は『確率体』と呼ばれる存在。視認はもちろんの事、≪索≫でも辿れない。辿れるのは、あくまでも神皇の『実体』なのだ。
何か意思をもって行動し、ギュー達神勇者に対するアクションも、基本は『実体』が行う。その姿も様々で、老人の場合もあれば、赤子の場合もある。中には犬の姿をした者もいた。
あのおぞましい界元魔神皇マラディの、あの圧倒的な『氣』ですら、実体化した時に発生したものなのだ。
『氣』の濃度?
そんなことも思ったが、『確率体』という、生命エネルギー『氣』を限りなく薄めて広げても、意識を維持できるという意味では、少年の理解を超える。
空間が生きている。だから空間生命体。
その目的は、存在し続けることなんだろう、とギューは漠然と思った。
だからこそ、神勇者と実体化した魔神皇が、互いに命を削りながら戦い、存在するためのエネルギーを得ようとする。神闘者と妖神皇が、存在するためのエネルギーと生き続ける為のエネルギーを掛けて激しく戦う。どちらが確率体の主導権を握るか、というかなり打算的な戦い。どちらかが消えたら双方消えてしまうから、消えない程度に痛め付けて、黙らせる。なんとも原始的な戦闘理由ではある。
存在するためにエネルギーを得ようとするなら、それはある意味捕食行為であり、生きていると言ってもいいかもしれない。
ならば、超妖魔はどうなのか。
以前エビスードが言っていた動的超妖魔は、エネルギーを得るために活動し、戦うこともある。
しかし、静的超妖魔は存在するだけ。
今のところ、命光石を見つけたのは、ファルガやエスタンシア、ゴンフォンのチームだけだという。しかも、見つけたというよりは、ギュー達が遥か遠くに感じていた火山の爆発に飲まれて消滅した静的超妖魔が、目の前に置いていったものだったという。
実体化している間に、実体を維持できぬ程のダメージを受けた時に、超妖魔は死……消滅する。
命光石と真源石を残して。
動的超妖魔はともかく、静的超妖魔といえば、もう存在目的すらわからない。
ただそこにいるだけ。
それで良いのか悪いのかすら、関係ない。
『物事に理由を求めてはいけない』。
ギラオ界元での神勇者のトレーニング中に言われた師匠の言葉が、今更ながらに彼の脳裏にリフレインし続けていた。
突然、ギューの思考が何者かに邪魔された。それは、ふと我に返ることで気付かされる。
「ギューよ。神勇者ギュー=ドンよ。
私の言葉を聞き取ることは出来るか?」
この声……といっても、ギューには声が頭の中に響いているように感じられているだけで、実際は、ギューの思考をそう誘導しているだけなのだが……には聞き覚えはある。
界元妖神皇エリクシールだ。
エリクシールがわざわざ神勇者個人に向けて、直接アクションを起こしてくることなど、そうはない。ただ、一般に念話といわれる種類の意思の疎通については、ギラオの神皇・ビュウラックとのやり取りで経験しているため、それが念話だとはわかる。
しかし、他の神勇者がいない中で、ギュー個人にアクションを起こしてきたのは初めてだった。
「エリクシール様ですか? 何でしょうか?」
「今、そこにいるのは、そなたもわかっているように、恐竜の死骸を模した超妖魔だ。
二億年という長い月日を、活動を停止し、ただそこにありつづけたため、もはや個体としての意識は消失し、ただそこに存在するだけ。そして、その化石群と共に、恐竜の死骸が傷つけられれば、その超妖魔は消滅する。
それくらいその存在は弱い」
……それはわかっている。だが、それがわざわざ界元神皇がギューに対して直接アクションを取ってきた理由であるとは到底思えなかった。
「……これ以上、その星の人間どもの『疑似仮想空間』の研究に、手を出させてはならんぞ」
突然の命令。
しかし、その背景がわからないギューには、答えようもない。
「私も、あの男たちが扱った箱を見ていた。
あれは、そなたが気づいたとおり、『疑似仮想空間』に他ならない。もちろん、ひどく不安定であり、神皇達が作ったものとは比較にならん精度でしかないが。
ただ、何故彼らにそれが実現できたのか。それが非常に大きな問題なのだ。
空間生命体である神皇と、一部の超妖魔以外、扱えないはずの『疑似仮想空間』を、高次ならともかく、現次の存在が認識し、自らの思い通りに操るとなれば、それは由々しき問題となる」
「え……? 一体何が起きるんですか?」
一瞬の間が、エリクシールによって齎された。……ように感じる。
その間が、一体どれくらい続くのだろうと思い始めた直後、エリクシールは静かに答えた。
「界元が消滅する。
現次の存在では、『疑似仮想空間』は認識できない。
無論、例外的に、何か特別なものを感じる者はいるかもしれない。しかし、本来彼らが干渉すべきものではないし、干渉出来てはいけないのだ。
認識できない状態で、『それ』を操ることは、目を閉じて崖の際を歩く行為に等しい」
「で……、でも、もう彼らはその技術を実現に移していますよ?」
思わずギューは反論した。
反論というよりは、現状把握の確認といった方が正しいのか。
「確かに、『疑似仮想空間』を発生させることだけは出来ている。
しかし、そなたが見たように、その空間内はいびつであったはずだ。『疑似仮想空間』を象るためには、強い精神力が必要だ。広大な宇宙空間を全て把握できるほどの……。
彼らには、それがない。
管理外の巨大な力は、消滅を誘発する。
本来であれば、あの空間内に体をおくことも非常に危険なことなのだ。
ギューよ、彼らの開発を何としても止めるのだ」
エリクシールが直接コンタクトをしてきた理由が分かった。
事態は深刻なのだ。
だが、ギュー自身がその開発を止めることは出来なかった。
三人の黒服のうちの二人が、人質を取られているのだ。
何としても開発を成功させ、人質を解放させるしかないのだ。
「……開発を止めると、人質の命が……」
「人質の命など、大した問題ではない。界元の消滅の危機なのだ。ユークリッド界元が消滅すれば、その人間たちも生きてはゆけぬ。
事案の深刻さの階層が全く別次元なのだ」
「で……、でも……!」
「そなたが出来ぬなら、別の人間を送り込むだけだ。
ギラオのように、私も消えたくはないのでな」
エリクシールの無情な一言が、ギューの脳裏に放たれた。それは、空間生命体としてのエリクシールの生への欲求だった。
そんなこと言ったって……、とギューは思った。では、あの二人に『人質は諦めてくれ』と言うのか?
言えるはずもない。
少年神勇者ギューは、齢十歳にして上と下の板挟みに喘ぐ中間管理職の悲哀を痛感していた。
タタアギ長官が、大統領執務室のドアを叩いたのは、ギューと別れてすぐだった。
地下の恐竜の死骸の保管してある部屋から、螺旋階段を戻り、長官の執務室から出て目と鼻の先にある、少し広めで天井の高い部屋だ。
通常であれば、タタアギの上司は科学技術省大臣のアマデチカであり、彼を経由して大統領に報告を行うのが筋なのだが、このときはなぜか、直接大統領の執務室に直行した。
入室の許可があり、タタアギがドアを開けて入ると、デスクの前にある応接セットに、大統領であるゴンゲンと、その隣に科学技術大臣アマデチカが腰かけていた。
大統領ゴンゲンは、ディーガレン国立大学の政治学部を首席で卒業した、極めて優秀な政治家であった。鬼でさえも厳格過ぎると言わしめる程の気質は、かつての重鎮政治家から要求される忖度を全て弾き返し、一時は干されたことさえあった。
しかし、それに立ち向かい続け、ついにはその老獪な政界の妖怪どもを手懐けた。どれほどの権力を誇る相手であっても、圧倒的な正論を圧倒的な力でぶつけられれば、相手も折れざるを得ない。
このゴンゲンという男は、強い力で殴られようが、退路を断たれようが、血だらけになって直進をし続ける、強く不器用な戦士だったのだ。
それは、短く刈り込まれた角刈りを見ても、太く険しい眉を見ても、明らかだった。これほどに外見と内面が一致する人間も珍しいだろう。
そして、その熱血大統領ゴンゲンの横に座るアマデチカは、隣の席の熱量と雰囲気に押されつつ、汗を拭きながら、髪を撫で付けていた。
「お掛けください。タタアギ長官」
大統領は、低いが澄んで遠くまで聞こえるであろう声で、長官に着席を促した。
タタアギは頷くと、二人と対面の位置にゆっくりと腰を下ろしたのだった。
「『施設』が完成したというのは本当ですか?」
ゴンゲンはゆっくりと話し出す。隣のアマデチカが、汗を拭きながらタタアギに目配せをする。口裏を合わせろと言う意思表示だ。
だが、その同調要請にはタタアギは応じなかった。
「『完成』の定義が判然としませんが、『容積大なり体積』の空間については確認が出来ています。再現性は、今のところ百パーセントではありますが、あくまで、そのような空間の発生は確認されたと言うレベルであり、大統領の仰る『可変容積型』の施設としての運用はまだ試験が必要な段階です」
「わかりました。引き続き研究の継続をお願いします」
アマデチカの誇大報告は、大統領ゴンゲンにはお見通しだったと言うことか。
アマデチカは、タタアギを睨むが、タタアギはどこ吹く風だ。タタアギの報告には嘘も隠しもない。それを、短期的な評価を得たいが為だけで、都合の良い受け答えをしてしまうアマデチカは、何度も同じミスをしている。
アマデチカの強い眼光をさらりと躱すように立ち上がったタタアギは、大統領執務室を辞し、『施設』のサイズコントローラーを整備する研究棟に向かった。




