総則
他人より先が見えるのは良いことばかりとは言えない。
たとえば、現在がそうだ。
歯車は目の前の作業に集中したいというのに総則が邪魔をする。
視界がぼやける。
スコップで掘る手が止まる。
作業の手が進まない。
レインコートを着た少女は心配そうな目で歯車を見た。
「……先生? お疲れですか」
「肯定します。しばらく任せます、こちらの作業を」
実際のところ、歯車の体調はすこぶる壮健である。
説明が面倒なので疲れたふりをしたのだ。
こういうのは今に始まったことではない。
「休息を取ります、歯車は」
「りょーかいです。無理をさせてごめんなさい、先生」
少女は汗をぬぐい、一人で穴を掘り続ける。
好都合とばかりに歯車は離脱した。
スコップを木に立てかけて、ヴィジョンに集中する。
近い未来に、歯車がプレイする遊戯の総則。
したたる雨音が奏でる規則正しい音が作用する。
没入。
視界のピントを合わせる。
現在とは異なる時間、異なる場所へ。
窓一つない乾いた地下室に視界が切り替わる。
【チェシャ猫】を名乗る猫のマスコットが揚々と語り始めた。
【爪剥ぎオークション】
総則1:ゲームは全3ラウンドで進行する
総則2:1ラウンドに1回、プレイヤーは入札をおこなう
総則3:プレイヤーは入札室では必ず爪を剥がなければならない
総則4:入札できる爪の枚数に上限はない
総則5:入札する順番は【チェシャ猫】が指定する
総則6:生存したプレイヤー全員が入札した時点でラウンド終了
総則7:最も多かった入札数と最も少なかった入札数が公開される
総則8:入札した爪の枚数が最も少なかった者全員を処刑する
総則9:ただし、一人でも同じ枚数の入札者がいた場合、該当する爪の枚数にはマイナスの符号が付与される。また、全ての入札者の入札数が同じ枚数の場合には処刑は実行されない
総則10:入札室に入ることを拒否する者は処刑する
総則11:入札室を出る際に爪を剥いでいなかった者は処刑する
総則12:5分以上のあいだ入札室に留まっていた者は処刑する
総則13:暴力行為・物理的な妨害をした者は処刑する
総則14:入札として有効となる爪はその手のみである
総則15:入札室で剥がした爪を入札しなかった者は処刑する
総則16:全ラウンド終了時に生存していた者全員に賞金を分配する
これは近いうちに起きる事実。
歯車は【爪剥ぎオークション】とやらに参加することになる。
これは事実であり、確定しているのだ。
「先生……っ!」
少女が手を振る。
どうやら、穴を掘り終わったらしい。
歯車はうなずき、ビニール袋に入った死体を引きずった。
――作業は完了した。
二人がかりで穴を埋め直した。
女手だけでは苦労する作業だったが、仕方がない。
「先生。これで、大丈夫ですよね……?」
不安に震える少女の肩に手を置き、歯車はうなずいた。
「肯定します。歯車の私有地ですから、この山は。安心してください――侵入者には目を光らせています。露見することはないでしょう、歯車が監視しているかぎりは」
「はぐるま……」
幼い印象の少女――我妻鏡花は、ボブカットに切り揃えられた茶髪を揺らし、人形のように細い首をすくめるようにかしげて、おずおずと歯車に問いかけた。
「いまさらですけど、先生の一人称って変わってますよね。どうして歯車なんですか? っていやいや、そんなことよりも……どうして、私なんかのためにここまでしてくれたんですか?」
「どちらも同じです、その二つの質問の答えは」
なぜ、歯車は歯車なのか。
なぜ、歯車は鏡花の殺人を隠蔽することにしたのか。
「すべては歯車の体質に由来しています」
「先生の、未来が見える特別な能力ですか?」
このやり取りは既に体験していたのを思い出した。
既視感――デジャヴ。
かつての体験をなぞるように歯車は首を横に振る。
「体質です、能力ではなく。他の人間が順番通りにしか物事を認識できないのとは異なり、歯車の場合には時折、先の出来事が手前に来てしまうのです。歯車は過去と未来の出来事を前提として現在の行動を判断しなくてはなりません。鏡花の場合には過去の出来事だけを前提として現在の行動を判断しなくてはならないのと同じように」
「だから……歯車? 未来は変えられないの?」
歯車は首肯する。
「過去が変えられないのと同じで、現在もそう」
誰も全体の構造を把握できない巨大な機械。
世界がそれだとすれば、部品となるのは歯車。
読みかけの小説を考えてみればわかることだ。
読んでしまった文章は過去。
読んでいる文章は現在。
読もうとする文章は未来。
視点が異なるだけで、手にした本の記述は確定している。
歯車の本はそのページがデタラメになっている。
差異はそれだけ。
だからこそ、歯車は――
この世界が”一冊の本”であることに気づいているのだ。
「でも……先生」
鏡花は再び、問いを重ねる。
「鏡花が死なせちゃった人間を隠してくれたのは、どうして?」
面倒なので、話を逸らすことにした。
「悪い遊びは控えることです、ほとぼりが覚めるまでは。世の中にはたくさんあるのですよ、お金だけでは解決できないことも」
「う……うん」
これ以上は面倒ごとに巻き込まれたくない。
適当に矛先をずらすとするか。
「次は猫を飼うのをおすすめしましょう。ラッキーカラーは青」
歯車がそう助言すると、鏡花は微笑んだ。
「青……ロシアンブルーの子とか、いいかも!」
嫌な予感がしたので、釘を刺すことにしておく。
「言っておきますが……今回かぎりです、鏡花の罪を見逃すのは。もし猫を飼うのなら、今度ばかりは命を大切に、大事に育ててあげることですね」
「し、心外! 私、猫ちゃんにはそんな酷いことしないよ!」
人間になら、してもいいということか……。
嫌悪感が顔を出す。
思わず、呆れが表情に出てしまったかもしれない。
「類は友を呼ぶ……友達なだけはありますね、彼女の……」
不意をつかれたように鏡花は口を開けた。
「友達って……シロちゃんのことですか?」
「否定します、そちらではなく。気にしないでください、歯車の言動は」
歯車の悪い癖。
どうしても、思わせぶりな話し方になってしまう。
これはまだ、少し先の話だった。




