問題編①~なりすました女~
包帯を取り外すと、そこにあったのは憎む女の顔だった。
すっと伸びた鼻梁。
薄く形の整った唇。
柔らかな頬の丸み。
長い睫毛に縁どられるのは、
黒曜石の如くに澄んだ瞳だった。
現実離れした美貌は、どこか人形じみた冷たい印象を受ける。
表情一つない鉄面皮。
もうアラサーとは思えぬ完成された美。
ひくっ、と唇を歪める。
鏡の中に映る人形は、己が意のままに動いてみせた。
意思との連動。
人形を操るマリオネッター。
表情筋を動かすたびに己が全能感が満たされていく。
今日からボクが江中十南となるのだ。
「あなた……その顔は、どういうつもり?」
薄暗い研究室にて――
手術台に拘束された全裸の女が問いかける。
声の主――本物の十南に向かって、ボクは宣言した。
「よく出来てるだろ? これがボクの新しい研究成果。自分の顔を他人の顔へ変化させることができる――エヴォル・ガスの効能だよ」
「ありえないわ……! そんなこと、現代の科学を超えすぎてる」
「ボクの頭脳に不可能はないんだよ」
エヴォル・ガス。
人体の細胞の性質を記憶し、その性質を他の細胞に与えることができる。
江中十波の顔の形を記憶させたガスを浴びたことで、ボクの顔は数時間をかけて彼女の顔へと変化したのだ。
「これでようやく、ボクは自分の人生を取り戻すことができるんだ。十南……お前に奪われた、ボクがつかむはずだった栄光に満ちた人生を」
「私が何を奪ったっていうのよ……」
「とぼけるなッ!」
窓の外で雷光が走る。
天候は崩れて、嵐となりつつあった。
一切の衣服をはぎ取られた美女――
四肢をベルトで拘束された江中十南を見下ろした。
ボクと十南は葛城技術科学大学の同期だった。
共に最先端の科学を学ぶ同志。
親友――少なくとも、在学中のボクはそう思っていた。
だが、裏切られた。
――ラビタンの定理。
ボクが証明した科学上の大発見。
それにまつわる研究成果は、全て十南に奪われた。
彼女が自分の名前で発表した論文には、ボクの名前は記載されてなかった。
当然、抗議したものの……学内にはボクの味方はいない。
とっくに根回しをされていたのだ。
人間的な魅力と社交性に優れた十南と、偏屈で内気で研究の虫だったボクとでは、元より政治の場では勝ち目がない。
逆に研究成果の盗用の疑いをかけられ、学会を追放されてしまった。
以後、ボクは社会の底辺でヘトヘトの人生を送ってきた。
エヴォル・ガスの研究が完成する、今日この日まで。
んっ、んっ、と喉の調子を整える。
「どうかな? この声」
「それって、私の声と同じ……!?」
「一曲ほど歌ってみたい気分だよ。君の声ならば、キーが高めのアイドル・ソングだって歌えそうだな」
今度、ヒトカラで試してみるか。
「ご覧の通り、エヴォル・ガスがコピーできるのは顔の形だけではない――内部構造にだって作用できる。もっとも、さすがに脳の中身までは複雑すぎてコピーできないけどね……とはいえ、頭の出来ならボクの方が上なんだ。問題ないだろう? はははっ」
「狂ってる……。そんなことをしても、あなたじゃ私にはなれないわよ」
たしかに変化させたのは顔と声だけだ。
研究が進めば、そのうち全身も変えられるようになるだろうが――
「ボクと君は背格好も似ているし、問題ない。この日のために運動で絞ってきてね、体型も揃えてきたんだ……胸は少し、ボクの方が大きいかもしれないけどな」
「そういうことを言っているんじゃないのよ」
拘束されたまま、十南はベッドの上で首を振る。
「今の私は、この国の科学捜査をあずかる頭脳。政府直々の指名で、東都科学捜査研究所の所長を任されているわ。言っている意味がわかるかしら? 私の仕事は今や、研究だけじゃないのよ。人事の調整や予算の獲得、政治家への根回しも――その重責が務まるの? 人嫌いで研究に逃げてた、あなたのような科学者に」
十南の言い回しに、ボクはカチンときた。
「だから、出世するべきは自分だったって言いたいのか? あのとき、ラビタンの定理の成果をボクから奪ったのは、正しいおこないだったとでも!?」
「……悪かったとは、思ってるわ。本当はあなたを共同研究者として発表するつもりだったのよ。だけど、教授があなたのことを嫌っていて……」
「嘘だね! 君はボクのことを切り捨てた、それが事実だッ!」
ボクは手製の銃を向けた。
この銃から放たれるのは、弾丸ではない。
エヴォル・ガスの噴霧器――
引き金を引くことで、ガスが銃口から飛び出す仕組みだ。
「な、なにをするの……っ!?」
「エヴォル・ガスは人体の細胞に作用する。これを応用すれば、肉体を細胞レベルから分解することも可能なんだ――証拠は一切残らない。君がこの世にいた痕跡はきれいさっぱり消えることになるんだよ、十南」
分解――この世からの消滅。
「いやっ……私を、殺すつもり……っ!?」
「殺す? 変なことを言うねぇ。江中十南は生き続けるとも。このボクが、今日から江中十南その人になるのだからね。消えるのはボクの方――誰からも好かれない、誰も味方になってくれない、哀れな敗北者の人生だけだ」
ボクが銃口を向けるたび、十南は身じろぎをして暴れた。
「やめて、やめて……っ! 悪かったわ、謝るわ……! ええ、あなたから研究成果を奪ったことも認める、なんでもする……っ! あなたが正しい栄誉を得られるためなら、なんだってするから……お願い、許して……っ! 私、死にたくないの……っ! 殺さないでぇ! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
奇妙な踊りの如くに裸身をくねらせる十南。
ギシギシ、と革のベルトが煽情的な音を立てる。
まるで、包丁で捌かれるのを待つまな板の上の魚のようだ。
抵抗するさまを見るたびに、彼女のことが愛おしく思える。
生殺与奪の権を握った恍惚を握りしめた。
怒りは失せて、興奮の度合いが増していく。
「へぇ……なんでもしてくれるんだ……」
あの江中十南が――傲慢な女王が、ボクに頭を下げている。
原始的な快感が背筋を走り、喉元が熱くなった。
征服欲。
自然と、息が荒くなる。
ボクが彼女を支配しているんだ……!
「ふ、ふふっ。うん、いいよ。許してあげる」
「許して……くれるの?」
「君はボクを裏切って、ボクの心を殺してみせた。でも、本当に人の命を奪ったわけじゃない……流石に殺すのはやりすぎかな、と思い直すことにしたよ」
「あ……ありがとう。助けてくれて」
十南は冷たく整った顔をくしゃくしゃに歪める。
涙と鼻水を垂らして嗚咽を漏らす。
必死で汚らわしい、せっかくの美人が台無しだ。
かわいい……。
本心からボクはそう思う。
今だけは、江中十南のことを好きになりそうだ。
彼女は媚びへつらう笑みを浮かべている。
「そ、そうよね……だって」
絞りだすように甲高い猫撫で声でボクにささやきかけた。
「私たち、友達ですものね……っ!」
友達。
気づくと、ボクは反射的に引き金を引いていた。
「へ」
毒々しい緑色のガスが十南を包み込む。
ボクは処置室のドアを閉めて密閉した。
ガラス越しの安全圏。
ボクはモルモットを見るように彼女の最期を観察する。
「あ……ああぁあぁあ……っ!」
苦しみ、もだえる江中十南。
きめ細やかな白い肌は泡立ち、炭酸水のように湧き上がった。
「い、いやっ……いやぁっ……な、なぁにこれ……きもち、わるい……ああぁあぁあ……うぷ……おえぇ……おねがい、しんじゃう……ねぇ……いやぁ……おねがい……えうぅ……げほっ、げぼっ……や、やめて……やめ……あーーーッ……うぇ……うええっ……たす……け……て……あ……ぅ……ぅぅぅ……っ……がっ」
か細い声は発泡音にかき消えて、やがて小さくなる。
エヴォル・ガスの効果は絶大である。
人体は泡となって消滅していく。
事前に計算していたとおり。
不可逆の化学変化。
すなわち、死。
生命の喪失。
あっという間のことだった。
一瞬の後――
沈黙が研究室を支配する。
分解は完了した。
犯行は完遂された。
江中十南という人間が生きた痕跡は消え失せた。
ガスを換気して、後処理は終わった。
ふぅ、とボクは息を吐く。
残るのは、事前に彼女からはぎ取った衣服だけだ。
わずかな温もりと、残り香。
デスクの上に畳んだ白衣を手に取る。
ああっ。
薔薇を思わせる高貴でかぐわしい匂い。
愛しき我が女王。
崇拝する主。
酩酊感で頭がふらつきそうだ。
無我夢中で白衣を抱いた。
彼女がこの世に残したよすがを、うっとりと味わう。
この香りも、すぐに消え失せる。
「あなたが友達ですって……?」
そんなものはボクにはいらない。
「私はもう、江中十南なんだから」
「……こんなものかな」
引継ぎは、滞りなく進行している。
東都科学捜査研究所での最初の一日――
当然ながら、誰もボクを疑わなかった。
顔認証でスマートフォンを開く。
今日の予定の全てにチェックを入れ終わった。
研究所の所長室にて、ボクは椅子に深く腰かける。
「まったく、ボクには江中十南が務まらないなんて……失礼な話だよ。元々、科学捜査の分野ならば在学時点でこのボクの頭脳が世界の十年先を行っていたのだから。わからないことなんて、それほどない。それに対外交渉だって――」
外は日が落ちて、窓ガラスは鏡のように顔を映す。
このボク、江中十南の顔を。
作り物みたいな……いいや、実際に作り物の顔だ。
「全てが上手くいく。江中十南の……いいえ、私の。天から授けられし、この恵まれた美貌で微笑んでみせれば、ね」
恵まれていると言えば――
私は自分のマイナンバーカードを取り出す。
住所は港区のタワーマンションとなっていた。
「自宅に帰るのが楽しみだわ。ふふっ、タワマンかぁ……」
国家の重鎮、東都科学捜査研究所の所長という身分は伊達ではない。
この若さでこれほどの成功を果たしていたとは。
「昨日までの貧乏暮らしが嘘のようだわ……」
マンションは専用のカードキーで開ける仕組みらしい。
一応、事前に調査済みである。
指紋認証をするタイプではないはず。
私は自身の指先を見つめた。
「指紋……は、まだ変えてないけど。そのうち変えとかないと面倒になるわよね。データはあいつを生かしてたときに取得済みだから、時間があるときに指紋変成用の配合をプログラミングしてエヴォル・ガスを調整しておかないと」
ピンポーン。
秘書から内線に着信があった。
私は受話器を取る。
「どうしたのかしら?」
「所長、刑事の方がいらっしゃっています」
「刑事ですって?」
刑事……なぜ、私に訪問してくる?
東都科学捜査研究所は国内における科学捜査のメッカとも言われる、最先端の科学技術を研究する組織だ。
その性質上、警察とのかかわりは強い……とはいえ、科捜研のような警察内部の組織とは異なる。個々の犯罪事件にかかわるよりも、より基礎的な研究を進めたり、あるいは国家の威信をかけた大がかりな劇場型犯罪の捜査に携わることが多い機関である。
末端の刑事が連絡を取ってくるのは違和感がある。
「どうかされましたか、所長?」
「ええと、そうね……その刑事さんは、アポイントメントは取っているのかしら? 予定には無かったみたいだけど」
「それが、その……」
歯切れが悪い。
江中十南なら、ここは不機嫌に振る舞うべきところだろう。
「そういう細かい刑事事件の話ならば、私の手をわずらわせないでくれる? 申し訳ないけど、アポが無いのなら帰ってもらって」
「それがその、東都研というより、所長に用件があるようでして……ほら、所長が困ってらっしゃる例のストーカーの件の捜査ですよ」
「ストーカー!?」
ギクリ、とボクは狼狽した。
「ストーカー……ああっ、わ、私のストーカーの件かしら?」
「はい。いつもいらっしゃってる、新町さんという女性の刑事です」
「あらまち、さん……わかったわ、お通しして」
ボクは慌てて、スマホのスケジュール表を確認する。
あった。
”ストーカー相談”
一年ほど前から定期的に刑事と会っているらしい。
それでも、おかしい。
今日は予定が入っていないようだが……?
いや、そんなことよりも考えるべきことがある。
江中十南にストーカーがいたって?
まずいぞ。
困ったことになったかもしれない。
予想外の事態である。
昨日、ボクは本物の十南を襲って誘拐した。
もしも、だ。
ストーカーが犯行の一部始終を見ていたとしたら……?
いや、誰にも見られないように注意はしてたはずだ。
ボクの研究室に至ってはセキュリティも完璧だ。
大丈夫、大丈夫のはず。
それでも万が一、ということもある。
ボクの正体を知る唯一の存在になるかもしれない。
「始末しなきゃ……」
まずは新町という刑事から話を聞き出さなくては。
「い……いらっしゃい、新町さん」
どういった距離感で接すればいいものか。
ボクは態度を探りながら、彼女に挨拶する。
女刑事は手袋をつけたまま手帳をめくり、視線を上げた。
「うふふ」
蠱惑的な笑みを向けられて、ドキリとしてしまう。
新町古都子――
現れた刑事は、驚くほど若い女だった。
10代……?
いや、そんなわけないか。
遠目には女子高生くらいに見えたが、
近くで見た感じ、
たぶん20代の前半くらいだろう。
小柄な体格。
化粧っけはほとんど無い。
髪は色素の薄い青。
珍しい色だが、まさか染めてるわけではないはず。
(刑事なんだし)
遺伝的にはどういう組み合わせなんだ?
髪型は後ろ髪を束ねて右に流した簡素なもの。
あれだ、アニメとかで死ぬ母親キャラがやるやつだ。
それより何より。
整った顔立ちが目を引く。
目が大きく、輪郭が小さい。
若いというより幼いというか、
この世のものではないような。
まるで自分自身の外見に興味が無さそうでいて――
それでいて、観察する方としては目を離せない引力がある。
「う、うふふのふ……」
「どうしたのかしら、新町さん?」
パタン、と新町は手帳を閉じた。
「ひひっ、そ、そんなに本官をまじまじと情熱的に見つめて……なんだか、視線だけで丸裸にされちゃうみたいで、ドキドキしちゃいます。ふひひ。科学者は観察力が大事と言いますし。それはきっと職業病なんですねぇ、十南ちゃん♪」
「ト、トナミチャンッ!?」
「どうかしましたか? 十南ちゃん」
聞き間違いじゃなかった!?
いや、この子ってボクより年下だよな?
ボクと十南が同い年なんだから……
いや、今は私が十南なのだけれども。
とにかく、私は30歳。
この子はどう見積もっても20代半ばくらい。
もっと若いかも。
下手したら新卒一年生ぐらいだ。
それが、どうして……
ボクは十南ちゃん呼ばわりされてるんだ???




