眠らない理由
君、本当に“人間”? 」
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
「……は?」
やっとそれだけ返す。
でも、声がうまく出ない。
魔女は、少しだけ考えるように目を細めた。
「……ごめん、言い方が悪かったね」
珍しく、少しだけ柔らかい声。
でも、その目は真剣なままだった。
「でも今の、普通じゃない」
「……俺だってわかってるよ」
思わず強く言う。
「なんなんだよこれ……!」
影を見る。
まだ、微かに揺れている。
まるで、自分の意思を持っているみたいに。
「……場所、変えよっか」
魔女がぽつりと言った。
「ここ、もう安全じゃない」
そう言って、歩き出す。
ついていくしかなかった。
着いたのは、町の外れ。
崩れかけた建物。
人の気配はない。
「ここなら、少しはマシ」
魔女は壁に寄りかかる。
そして、しばらく黙ったまま空を見ていた。
「……ねえ」
やがて、静かに口を開く。
「君、この世界がどうやって出来てるか知ってる?」
「……知らないよ」
そんなの考えたこともない。
魔女は小さく頷いた。
「だよね」
少し間を置いて、言う。
「この世界、“穴”でできてるんだ」
「……は?」
理解が追いつかない。
「正確にはね」
指を軽く動かす。
「“穴”を埋めるために、作られた」
背筋が冷える。
「昔はね」
魔女はゆっくり語り始める。
「もっと普通の世界だった」
人がいて。
感情があって。
記憶があって。
「でも、“星”が落ちてきた」
その言葉で、空気が変わる。
「最初は、ただの光だった」
「触れた人間に、力を与える」
「魔法」
僕が呟く。
魔女は頷いた。
「そう。でもね」
少しだけ、目を細める。
「代償があった」
「……削られる、ってやつか」
「うん」
静かに肯定する。
「でも最初は、誰も気づかなかった」
便利だったから。
強くなれたから。
「みんな使った」
そして——
「削られた」
「削られた人間はね」
魔女の声が、少し低くなる。
「完全に消えるわけじゃない」
「……“穴”になる?」
「そう」
短く答える。
「存在が抜け落ちて、そのまま残る」
何もない空間。
でも、確かに“あったもの”。
「それが増えすぎた」
「……」
「世界が、耐えられなくなった」
空を見る。
どこまでも普通に見える空。
でも——
「ひび割れた」
その言葉が、妙にリアルに響く。
「そこで、作られた」
魔女は言う。
「今の“仕組み”が」
「仕組み……?」
「削られた分を、均等に分配する」
「……は?」
「一気に崩れないように」
淡々と説明する。
「ゆっくり、みんなで削れるようにした」
理解したくない。
でも、わかってしまう。
「だから、みんな魔法を使える」
「そう」
「みんなで少しずつ、穴を広げてる」
「……じゃあ」
喉が乾く。
「止めればいいじゃん」
魔法を使わなければ。
それで終わる話だ。
でも。
魔女は、首を横に振った。
「もう無理」
その一言。
「穴が多すぎる」
「……」
「止めたら今度は、全部一気に崩れる」
背筋が凍る。
「……じゃあ、どうすれば」
かすれた声。
魔女は少しだけ考えてから、言った。
「どうにもならない」
静かな絶望。
「だから、バランスを取ってる」
「削る側と、削られる側で」
「……じゃあ、俺は」
言葉が詰まる。
怖い。
聞きたくない。
でも、聞かないといけない。
「……どっちなんだよ」
魔女は、まっすぐに僕を見る。
そして——
「どっちでもない」
「……は?」
「本来、存在しない位置」
意味がわからない。
「削られる側でもない」
「削る側でもない」
「でも——」
少しだけ、声が低くなる。
「どっちにも干渉できる」
「……それが、何なんだよ」
魔女は、ほんの少しだけ迷った。
そして、言った。
「仮の名前だけど」
一拍置いて。
「“穴埋め”」
「……穴埋め?」
「うん」
「穴を壊して、埋めるための存在」
さっきの光景が頭をよぎる。
“穴”に触れて、壊した。
「……俺が?」
「たぶんね」
魔女は静かに言う。
「でも、おかしいんだよ」
「何が」
「そんな存在、本来いないはずだから」
沈黙。
風の音だけがする。
「……あんたは」
ふと、聞く。
「なんなんだよ」
魔女は、少しだけ笑った。
でもその笑いは、どこか寂しそうだった。
「さっき言ったでしょ」
「昔は魔女だったって」
「……今は?」
その問いに、少しだけ間があく。
そして——
「“削り残し”」
静かな声。
「最後まで、削られきらなかっただけ」
「……」
「だから眠れない」
空を見る。
「完全に消えないから」
その言葉が、重く刺さる。
「……じゃあ、あんたは」
言いかけて、止まる。
“人間なのか”って聞こうとした。
でも。
もう、そんな単純な話じゃない。
魔女は、ふっと息を吐いた。
「さて」
少しだけ明るい声に戻る。
「ここまでで理解できた?」
「……半分もわかってない」
正直に言う。
魔女は小さく笑った。
「それでいいよ」
そのとき。
ふいに、空気が揺れた。
さっきとは違う。
でも、確実に“何か”が動いた気配。
魔女の表情が、すぐに変わる。
「……来たね」
低い声。
「今度は何だよ」
問いかける。
魔女は、ゆっくりと空を見上げた。
「“上”」
つられて見る。
空。
いつもと同じはずの空に——
黒いひびのようなものが、走っていた。
「……嘘だろ」
「本来、ここまで来るはずじゃない」
魔女の声に、明確な焦り。
「君、さっき“穴”壊したでしょ」
「……それが何だよ」
「バランスが崩れた」
その一言。
空の“ひび”が、ゆっくりと広がる。
その奥から——
何かが、こちらを覗いていた。
「……あれは」
喉が乾く。
魔女が、小さく呟く。
「“本体”に近い」




