見ない練習
「“見ないこと”を覚えな」
魔女のその言葉が、頭から離れなかった。
「……そんなの、どうやってやるんだよ」
見えるものを、見ない?
意味がわからない。
「簡単だよ」
魔女はあっさり言った。
「見なきゃいい」
「だからそれが——」
「“ちゃんと見ようとするから”見えるの」
言葉が止まる。
「普通の人はね、見えても“理解しない”」
魔女は指でこめかみを軽く叩く。
「ここで処理しない」
「……」
「でも君は違う」
僕の目を見る。
「全部、拾っちゃう」
その言い方が妙に引っかかった。
「拾うって……ゴミみたいに言うなよ」
「似たようなものだよ」
さらっと言われる。
「いらない情報」
「……」
言い返せない。
さっきの店主の手。
思い出そうとすると、頭が痛くなる。
「ね?」
魔女が少しだけ笑う。
「無理に理解しようとしてるでしょ」
「……っ」
図星だった。
「それ、やめな」
静かな声。
でも、強い。
「理解した瞬間、そっち側に引っ張られるから」
「……じゃあ、どうすればいい」
魔女は少し考えてから、言った。
「練習する?」
「今から?」
「今しかないでしょ」
そう言って、周りを見渡す。
普通の通り。
人が歩いている。
笑っている。
何も変わらない——ように見える。
「いい?」
魔女が言う。
「今から、“見ちゃいけないもの”探して」
「は?」
「大丈夫、すぐわかるから」
そう言って、少し後ろに下がった。
「ほら」
急かされる。
仕方なく、周りを見る。
人。
店。
道。
空。
……普通だ。
でも——
「……あ」
見つけてしまった。
通りの向こう。
女の人が立っている。
買い物袋を持っている。
でも。
「……なんだ、あれ」
足元。
影が——
ない。
いや、違う。
ある。
でも。
二つある。
しかも、違う動きをしている。
「……っ!」
目を逸らそうとする。
でも、見てしまう。
片方の影が、ゆっくりと——
振り向いた。
「やめて」
横から声。
魔女だった。
「それ以上見ないで」
「でも——」
「いいから!」
強く言われて、無理やり目を逸らす。
呼吸が荒くなる。
心臓がうるさい。
「……今の、なんだよ」
「“混ざってる”」
魔女が短く答える。
「削られすぎて、別の何かが入り込んでる」
「……っ」
吐き気がする。
「だから言ったでしょ」
魔女は少しだけため息をつく。
「見ないことが大事って」
「……無理だ」
正直に言う。
「見えたら、見ちまう」
「うん、知ってる」
あっさり。
「だから練習」
魔女は一歩近づく。
「いい?コツはね」
少しだけ、声が優しくなる。
「“どうでもいい”って思うこと」
「……は?」
「興味を持たない」
言いながら、さっきの女の方を見る。
でも、魔女は一瞬も目を細めない。
「変でも、怖くても、“ただの風景”って思う」
「そんなので——」
「変わるよ」
即答だった。
「認識ってね、意外と雑だから」
その言葉の意味はよくわからない。
でも。
「……やってみる」
そう言ってしまっていた。
もう一度、周りを見る。
さっきの女。
まだいる。
影が、二つ。
片方が、こちらを見ている。
でも。
「……どうでもいい」
小さくつぶやく。
ただの影。
ただの現象。
意味なんてない。
関係ない。
「……」
じっと見る。
でも、深く考えない。
理解しない。
——すると。
影の動きが、ぼやけた。
さっきほど、はっきり見えない。
「……え」
「ね?」
魔女が笑う。
「ちょっとマシでしょ」
確かに。
完全に消えたわけじゃない。
でも、さっきほどの“気持ち悪さ”がない。
「それを続ける」
魔女は言う。
「見えても、拾わない」
「……」
「そうすれば、壊れにくくなる」
その言葉に、少しだけ希望が見えた。
そのとき。
「……あれ」
違和感。
さっきの女。
影が二つあったはずなのに——
今は。
「……一つ?」
思わず、よく見ようとする。
「ダメ」
すぐに止められる。
でも、遅かった。
影が——
一つ、消えた。
「……っ」
ぞくりとする。
「今の、見た?」
魔女の声が、少し低い。
「……うん」
「やばいね」
短く言う。
「何が」
魔女はゆっくりと、周りを見た。
そして——
小さくつぶやく。
「“気づかれた”」
「……は?」
その瞬間。
通りを歩いていた人たちが——
一斉に、こちらを向いた。
「——走って」
魔女の声。
でも今度は、さっきよりも明確な焦りがあった。
「今度は、多い」




