幕間十 腐れ儒者
沛公軍は、懐王より五万の兵を授けられ彭城を出陣した。
まずは彭越 の本拠地、昌邑に寄る。
昌邑は彭城から北に真っ直ぐ進んだところにある街だ。
彭越の支配下にあっても、本人は漁の為に街にはいなかった。
軽く休息を取り、次に向かったのは高陽という街だった。
高陽の太守は「劉邦来る」の報に合わせて城門を開き、自ら劉邦を出迎えた。
劉邦は降ったのならば、太守の地位をそのままに保障する、と噂が流れていたからだ。
そして、それは噂ではなく事実だった。
高陽の太守は劉邦をもてなし、劉邦も快く応じた。
その席で劉邦は、太守も行軍に加わって欲しいと依頼したのだが、街を治める者がいなくなる事を理由に辞退された。
その代わりにと推挙されたのが、酈食其と言う儒者だった。
劉邦は顔をしかめて
「儒者か……俺は儒者は好かんのです。
やつらは徳だの、礼だの、腹の足しにもならない小難しい言葉を並べて偉そうにしているだけです」
「酈食其は儒者でございますが、大賢人であると私は見ております。
お側に仕えさせれば、沛公の関中入りにきっと役立つと思います」
「ほう……そこまで言われるとは……。
それで、どのような人物ですかい?」
「酈食其は家は貧しく、普段は門番をしております。
酒が大好きで、よく酔っ払い、天下には人物がいない、などと大声で詠っています。
街の人々は狂人先生などと呼んで、関わり合わないようにしていますが、あれは狂人のふりをしているだけです。
始皇帝の焚書坑儒(農業と法律以外の書物を焼き払い、儒者を生き埋めに弾圧した事件)がありましたから」
劉邦は少し興味が涌いてきた。
「なるほど、面白そうな御仁ですな……。
太守どの、ご紹介願えますか」
「もちろん喜んで。
すぐに向かわせましょう」
そう言って、太守は劉邦の前を辞するのだった。
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太守はそのまま酈食其の元を訪れた。
「先生はおられるか?」
「おう、太守どの、ここじゃ」
酈食其は今日も酒を飲んでいるようだ。
辺りに酒精が漂っている。
「先生、今日は先生の酔いが醒める、良き日になるかもしれませんぞ!」
「うん?」
「それがしは只今、楚の沛公へ降って参った。
その際、先生を推挙したのです。
沛公こそ、先生が久しく求めておられた明主に違いありますまい。
そう確信しました」
「ほう、太守どのがやけに惚れ込んだ様子じゃが」
酈食其は老人だが、大柄で身長が高い(184センチ)
自然と太守を見下ろす形になる。
「この街に沛公が来る前から、沛公のことは噂になっておりました。
なんでも、随分と度量の大きい人物であると。
降れば身分も、扶持(給料のこと)も、そのまま保障してくださるともっぱらの評判でした。
それで、実際に降ったわけですが、噂以上でございました」
「噂以上とは?」
「それがしへの対応はもちろんのこと、兵士達も街に対して乱暴狼藉や、略奪などなく、徴兵もせず、兵糧は少し供出しましたが、それでもあの大軍にしては極わずかで済みました。
そして常に、賢者や豪傑を探し求めているのだとか。
それがしは未だかつて、沛公のような人物は知りませぬ。
その度量はきっと、戦乱に苦しむ人々の希望となりましょう」
「しかし、沛公と言えば儒者嫌いで有名。
大声で儒者を罵り、儒者の冠を剥ぎ取り、その中に小便を注ぎ込むなどと聞いているが」
「確かに儒者は嫌いで、礼儀もなく粗野ですが、この乱世、細かな礼儀作法などは後回しでございます。
もし、それがしの推挙をお受けならないのであれば、先生ご自身で確かめてみてはいかがですか?」
太守の言葉を聞いて酈食其はぐいっと杯をあおる。
「ふむ、おぬしの言うとおりじゃ。
一遍会ってみるかの」
ここにまた、韓信と縁の深い人物が動き始めるのだった。




