項羽の「背水の陣」 その二
偵察に出ていた斥候から楚軍の詳しい情報を聞いた将軍達は大いにとまどい、章邯に答えを求める。
「章邯将軍、大切な食料を捨ててしまうなどと……敵は一体何を考えているのでしょうか?」
「楚は短期決戦を選んだのだ。
船を壊したのは退路を断ったという事。
そして食料を捨てるという事は、勝って我らの食料を奪わねば生き延びられん。
敵は死に物狂いで攻撃してくるだろう。
よいか、この戦苛烈なものになると思え。
だが相手の思惑には乗ってはやるつもりはない。
三日しのげばこちらの勝ちなのだ!!
全面的に当たらないように上手く立ち回り、兵糧切れを狙う。」
「「はっ!!」」
「ではまず、正面の防御を固める。
燃えやすい天幕や藁などは陣の後方へ移動。
柵の前に馬の足止め用に大きな溝を掘れ。
同時に柵は二重にし、柵と柵の間に矢倉を築く。
急げ!
それからな……
ヒソヒソ……」
□□□□□□
項羽に偵察に出ていた斥候が報告する。
「伝令!!
敵は何やら陣前にて工事をしております!
大きな溝を掘っている様子!」
「ふん、我らが兵糧を捨てたと聞いて守りに入ったか。
よいか!!やつらが陣地を固める前に引きずり出すぞ!!
付いて来れる奴から付いて来い!!
出る!!」
言うなり項羽はひらりと愛馬騅に跨りそのまま楚の陣を出て行ってしまう。
慌てて兵士達は
「項羽様を追いかけろ!!
援護するのだ!!
急げ!急げ!!」
項羽軍は項羽自らが最前線に出て闘う様式はいつもと変わらない。
最大戦力の総大将が先鋒として自分で切り込んで行くのだ。
士気が上がらないわけがない。
ただ項羽の騎乗する騅は一日に千里を駆けると言われている名馬である。
あっという間に項羽が一人だけで、秦の陣地まで到達する。
「うわぁ!!項羽だ!!」
「に、逃げろ!!」
「待ってくれ!!置いていかないで……!」
溝を掘っていた兵士達は項羽の姿を見たとたんに震え上がり、生きた心地もせず腰を抜かす者もいる始末。
鍬などを投げ捨てて慌てて陣へ逃げ帰る。
項羽の名は秦の兵士達も良く知っていた、その恐ろしさと共に。
ジャーン!ジャーン!ジャーン!
と鐘が三回鳴る。
あれは退却の合図だろうか?
「ちっ!!最初から打ち合う気もないと言うわけか!!腰抜けどもめ!!」
工事をしていた兵が陣に戻れるようにと援護の矢が飛んでくる。
「ふんっ!!
出てきて俺と勝負しろ章邯!!」
戟を振り回し矢を落としていく項羽。
陣の前の溝に沿って騅を走らせ秦軍を挑発する。
(この溝とあの矢倉、
相手が出てこない限り俺一人では何も出来ん……
加勢を待つ、か)
項羽の判断は早い。
サッと騅の首を返すとそのまま矢の射程外まで退く。
項羽が引くと矢も飛んでこなくなり、しばらく何も起こらない空白の時間が生じた。
それからやっとバラバラと楚の兵が集まりだす。
雑兵達は基本歩きなのでどうしても遅れるのだ。
万を超える兵が集まったところで歩兵を中心に攻撃を始める。
騎馬は溝が邪魔をして進めない。
項羽も騅から降りる。
急遽こしらえたにも関わらず溝はほぼ完成していた。
思ったよりも幅も深さも充分のようだ。
矢が飛んでくる中、この溝を攻略せねば敵陣まで辿り着けない。
しかも矢倉からの打ち下ろすような軌道の矢と平地からの矢。
この二種類の軌道の矢がやっかいだ。
角度が変わると防ぐのも避けるのも難易度が極端に上がる。
さらに馬も使えないため速度が生かせないのだ。
(やはり溝と矢倉が邪魔だな。
だが、ここは士気が高いうちに力押しで突破する!)
「はしごを用意しろ!!
溝の底からよじ登れるようにはしごを使う!!」
項羽の指示ですぐに簡単なはしごが作られる。
はしごを登る際に足をかける部分を踏桟と言うが、その踏桟と長い二本の支柱を縄で縛るとはしごは完成だ。
すぐに量産され準備が整う。
気が付くと大分日が高くなってきていた。
はしごを並べ、項羽からの号令を待っているところに斥候が慌しく駆けて来る。
「項羽様!!
伝令です!!
秦軍が黄河の岸に現れました!!
渡河し彭城を目指すものと思われます!!」




