幕間六 張耳と陳余 その二
「そ、そんな!
何故でございます!?
何故援軍を出せないのでございますか!?」
目の前の男は驚きと怒りを混ぜたような顔をして詰め寄ってくる。
まぁそうだろうな、と私は内心同情しつつも淡々と理由を述べていく。
「秦軍には勝てんよ。
相手の兵は二十万、加えて陳勝、武信君を破った章邯が率いる秦正規軍だ。
まともに戦っても死期を早めるのみ。
そうではないか?」
「っ!それでも!
戦はやってみなければ分かりませぬ。
確かにこのままでは張耳様は死ぬでしょう。
ですが、どうして貴方様も共に秦に突撃し、討ち死しないのですか?!
貴方様と張耳様とは刎頚の交わりを結んだ間柄!!
ここで共に死ぬのが”刎頚”ではございませぬかっ!!」
いや、と首を横に振る。
「私は張耳と一緒には死ねん。
後で張耳の為に仇を取らねばならぬのに、共に死ねば誰が仇を取ってくれると言うのか?
そんな無駄な事をするつもりはない」
男はなおも食い下がってくる。
「張耳様が死んだ後に信義を立てても何の意味がありますか?!
共に死んでこその信義ではないですか!?」
ここまで張耳を慕っている姿を目の前で見せ付けられると、張耳の事を羨ましくもあり、同時に心の中にドス黒い感情が沸いて来る。
「ご使者よ」
努めて冷静に私は告げた。
「その忠心、真に立派である。
その心に打たれた私はそなたに兵を貸そうと思う。
だが、全軍は貸せぬ。
そうだな……。五千だ。
五千、お貸ししよう。
そなたは五千の兵を率いて、張耳を助けてくれまいか?」
目の前の男は唖然としていた。
が、やがて
「ご、五千でございますか?
たったの五千……?
二十万の秦に対してたったの五千……」
絶望を顔に貼り付けた男を見て少し私の心は晴れる。
「嫌なら、別に構わんよ?
だが最早そなたは鋸鹿に戻る事もできまい。
秦に囲まれたあの街を突破し、我が陣に辿り着いた事ですら驚嘆に値する仕事である。
我が陣に逗留するならば、せめて衣食の世話は見よう」
男は唇をかみ締め震えているが見れば口の端から血が出ている。
それほどまでに……
(ああ、張耳よ。
妬ましい。お前にはこんなにも慕ってくれる者達がいる事が。
この男はお前の為に死ぬ積もりだろう。
全く妬ましい。妬ましい。
だが、それは美しくもある……。
主従の絆とはかくあるべきなのだ。
私は手に入れることができなかったがな。
せめて私はこの美しい絆をお前の為に使ってやって華々しく散らせて見せよう……。)
覚悟が決まったのか、やがて男は顔を上げ
「分かりました……。
その役目お引き受けしましょう。
だが!私も貴方様に言っておかねばならない事がある。
唯の討ち死には御免被る。」
ほう…、この男今生の別れに詩でも読むのか?
私は黙って続きを促した。
男は一呼吸おいて、突然笑い出した。
「く、くくくく……ははははは!!
これが、これが笑わずにいられようか!
天下に名高い”刎頚”が、あの始皇帝ですら恐れたという”刎頚の交わり”がこんな、こんな紛い物だったとは!
元祖”刎頚”の藺相如と廉頗将軍もさぞお嘆きであろう!
鋸鹿では張耳様は今も貴方様の援軍を信じて、秦軍と闘っておられる。
しかし当の貴方様ときたら……。
とんだ恥さらしだ!
滑稽な事だ!
いや!!憐れよ!!憐れ!
つくづく、残念なのは張耳様も見る目がなかったという事か
見る目がなかった張耳様にも責任はあろう。
だが張耳様一人では死なせませんぞ!!
私が地獄の露払いとして先に参りましょうぞ!
天よ、我が赤心とくとご覧あれ!!」
そして今までの激しさが一転、穏やかに目の前の男が言う。
「確かに五千の兵を借り受けまする」
一人の男の狂気を見た私は、雰囲気に飲まれてしまい
「あ、ああ…」
と返事を返すだけで精一杯だった。
その後、使者の男が私の兵五千を率いて出陣して行ったが、誰一人として戻って来る事はなかった。
今回は少し趣向を凝らしまして、一人称で書いてみました。
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