幕間五 張耳と陳余 その一
ここで張耳と陳余の二人について語ろう。
二人は魏の人だった。
張耳と陳余は名士として有名で、魏が秦から滅ぼされる前後は『食客』を養えるほど暮らしは裕福だったようだ。
食客とは貴族や裕福な者が才能のある人物を客として遇し養う代わりに、主人を助けるという古代中国の風習である。
張耳と陳余はお互いを認め、『刎頚の交わり※1』を結んだ。
さて、時期が定かではないが、一時期張耳の食客の中に劉邦がいた事がある。
劉邦は魏の信陵君※2の大ファンで、信陵君の食客をしていた張耳の下を訪れ、色々なエピソードなどを好んで聞いたのだろう。
その後、秦が統一してから張耳と陳余は反秦の活動を始める。
もともと名声が高く、影響力のあっただけに二人の活動を始皇帝をも恐れた。
始皇帝が直々に、張耳と陳余を捕らえる命令を出すと二人は不利を悟り魏を出て、野に下った。
当然、秦の追討の手が伸びてくる事態になったが、二人は上手く逃げる。
中々捕まえることが出来ない事に始皇帝は苛立ち、ついに張耳と陳余に莫大な懸賞金を掛けた。
張耳に千金、陳余に五百金である。
だが、二人は賞金首となった後も捕まることはなかった。
なんと賞金首の勅令(皇帝からの命令)を各地に回覧していたのが当の本人達だったと言うから、この二人の胆力や恐れ入る。
それでも、一箇所に留まる事が危険だと判断した二人は各地を転々とすることになる。
そして、その旅の途中で始皇帝の死と陳勝呉広の蜂起を耳にする。
始皇帝没すの報せには二人は安心するも、未だ追われる身としてはひとまず安全な拠点を作りたい。
そこで目を付けたのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった陳勝である。
陳勝軍はかなりの勢力になり、秦の支配地域を次々に奪って、勢いが止まらないと噂を聞き、二人は渡りに船とばかりに陳勝へ庇護とその幕下に加わるべく陳へ向かう。
陳勝は蜂起が上手く行ったものの、政治、統治に関しては全くの素人だったため、せっかく秦より奪った地域を治める事ができなかった。
そのために優秀な人材を求めていた所に張耳と陳余が面会を求めてきたのである。
この二人の名声は陳勝も知っており、喜んで迎え入れた。
しばらくは大切にもてなしていた陳勝だったが、王位を称する段になり張耳、陳余の反対に合う。
二人の進言はこうだった。
「陳勝軍は勢い盛んなれど、未だ一地方勢力に過ぎず、王号を名乗るのはまだ早い。
秦に滅ぼされた旧六国の王族を探し出し、王位に就け、秦を滅ぼした後に陳勝が王になるのならば大義が通る」
と意見したが、結局陳勝は王位に就いてしまった。
二人は陳勝へ失望したのと同時に身に危険を覚え(独裁者への反対は粛清の対象になりかねない)、策を講じた。
折を見たあくる日、二人は陳勝へこう進言する
「陳勝王陛下が蜂起したとは言え秦は強大。
未だその支配地域は多く、陳勝軍は周りを取り囲まれているとも言えます。
ここは別働隊を組織し、北方を攻め秦より切り取り、我が軍の味方を作るのです。
その上で秦の首都咸陽へは陳勝王が当たり、その後方支援として北方より別働隊が攻めれば逆に秦を囲むことになります。
我等二人は以前に北方の趙に住んでおり、彼の地をよく知っております。
どうか我等二人に兵士をお授け下さい。今すぐに趙を攻略し王の味方を増やして参ります。」
二人の戦略に感心した陳勝は喜んで兵士を預けた。
こうして二人は陳勝から兵士を借り受け、独立する機会を得たのである。
※1刎頚の交わり……中国の戦国時代に趙で活躍した藺相如と廉頗が残した故事。
お互いの為なら首を刎ねられても悔いはないとする仲の事。刎頚の友とも言う。
※2魏の信陵君
戦国の四公子と言われた四人の中の一人。
他の三人は斉の孟嘗君、 趙の平原君、楚の春申君
それぞれ食客を三千人も召抱えていたと伝えられる。
戦国末期、秦がほぼ一強状態で統一に向かう時期に、自身の才覚、食客たちの補佐を上手に使い、秦に対抗する連合軍を結成し、一時期とはいえ国境を函谷関まで押し戻した。
秦は信陵君を恐れ、王と信陵君を離反させる為に魏の官僚を買収し、その策にかかった魏は信陵君を表舞台から遠ざけ失意の内に死んでいく。
信陵君がいなくなった魏は滅亡を早める事になった。
余談だが、後に劉邦は魏の大梁を通るたびに信陵君を祭り、墓守として付近の五家に扶持を与え、代々祭祀が絶えぬようにした。
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張耳と陳余の二人は向かった先の趙ですぐ戦闘を仕掛けるような事はせずに、まず自軍の兵数を増やすところから始めた。
その手法は「宣伝」である。
秦を非難し、自分達反乱軍が民の味方で、民の為に立ち上がるよう檄文を作成しばらまいたのだ。
効果はてきめんで、付近の豪族や猛者達が次々に集まってきた。
その数はあっという間に軽く一万を超えた。
この辺りの要領の良さが二人の真骨頂であろう。
軍勢がそれなりにまとまった数になった所で趙の街を攻略し始めた。
十余りの城は瞬く間に落としたが、范陽という街はなかな降伏しようとしなかった。
二人は決して武官や将ではないために戦については素人である。
簡単な攻撃や退却などは命令できるが、臨機応変に戦の流れを読んだ指揮は無理である。
二人は有効な手立てを思いつかぬまま、判断もできず途方に暮れていた。
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蒯通登場
范陽に蒯通という男がいた。
今は百姓の真似事をして暮らしている。
この蒯通は戦乱の世ならば己の舌先三寸で国と国を渡り歩く、弁舌の徒であったのだが天下を秦が統一してからは自分の出番はないと、ここ范陽で静かに暮らしていた。
しかしこの蒯通もまた、現在の己の境遇に納得などしていなかったのである。
悶々として過ごしていたところに風雲急を告げる事態が起こる。
范陽が戦に巻き込まれたのだ。
范陽の知事は城門を閉め、防備を固め籠城の構えを見せた。
蒯通はこれを好機と捉え、知事に面会を求めた。
当時は貴人や王侯に比較的簡単に庶民が会える時代でもあった。
面会の席上で蒯通はいきなりこうのたまった。
「私は范陽の百姓、蒯通と申します。
知事閣下におかれましては、そのお命が風前の灯でございまして真にお気の毒であり、臣はお悔みを申し上げます。」
「なんだと!貴様何と言った!」
怒って当然である。
「ですが、臣がおりますから閣下は生き延びられるでしょう。
真におめでたくあり、お慶びを申し上げます。」
「……??
何故貴公に悔やまれたり、慶ばれたりされねばならんのだ」
「そこで、この戦でございます。」
蒯通は待ってました、とばかりに続けた。
「今、各地で秦への反乱が起きております。
その勢いの前に秦の官吏の中でも反乱軍に加担する者も後を絶ちません。
貴方は秦の官吏であり、この街の生まれではありませんが、秦より派遣され十年。
その間、秦の法に則って、とは言いますものの人を殺し、子を捕らえ、刑罰と言っては腕、足を切り、入れ墨を入れ、范陽の民から恨まれること数えられませぬ。
民が貴方の首を掻き切り、腹を割かないのはただただ秦の法、秦の力を恐れての事でございます。
ですが始皇帝が没し、今まで押さえつけていた恐怖がなくなり、民衆が次々に立ち上がりました。
今ここで貴方が防御を固めても范陽の住民達が反乱を起し貴方は殺されるでしょう。
それほど秦は憎み、恨まれているのです。
これが臣がお悔みを述べた理由にございます」
知事は話を聞いて正直生きた心地がしなかった。
蒯通の話はまさにその通りだったからである。
「そ、そうか……、よくわかった、わかった。
だが、貴公がいれば生き延びられるというのは?」
「知事閣下は籠城をお考えのようですが、全くの下策にございます。
何故なら味方であるはずの范陽の民は貴方様を恨んでおりまする。
時間経たずして貴方の首は胴を離れ、臓腑は犬の餌になるでしょう。
そしてこの范陽は反乱軍に降ることになります。
ですが、幸な事に反乱軍の首領、張耳と陳余は私もよく知る名士にございます。
あなたにとって最善の策はこちらから降伏をし、その代わりに領土と地位、命を安堵してもらうことです。
閣下はすぐに臣を使者として遣わす命令を出していただきたい。
私が話をまとめて来ましょう。」
そう言って立ち上がった。
知事は青い顔をしたまま、ただこくこくと頷くのみであった
そのまま、范陽を出た蒯通は張耳と陳余の陣に出向いた。
范陽からの正式な使者として交渉にあたる。
蒯通は鍬を持って土を掘っている時には味わえない高揚感を感じていた。
(やはり俺はこういう事がやりたいらしい)
さっき知事には張耳と陳余をさも知り合いのように言ったが、もちろん会った事はない。
ハッタリである。
名前はさすがに知っている。
二人は有名人だからだ。
「さて、さて、噂に聞く”刎頚の友”はどんな御仁達かな?」
(この舌を十二分に発揮できる相手だといいんだが)
蒯通は少し気が高ぶるのを押さえつつ張耳、陳余の陣へと入っていった。
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張耳と陳余は范陽から使者が来たと聞いて会見の場を設けたが、現れた男を見て何かの間違いではないか?と思った。
目の前の男が「使者」というより百姓そのものだったからである。
二人が訝しがって、どう話し始めようか逡巡していると
「お二方は戦にて国を作ろうとお考えのようですが、少々効率が悪うございますな」
と、いきなり偉そうに目の前の百姓は言い放った。
その言葉に様子見で観察していた陳余はカチンときて百姓を責めようと身体を乗り出すも、張耳に手で制された。
「あいや、我々は成り行き上、軍を率いているとはいえ本来は武官でも将の器でもなく。
兵よりも書に向かっていた方が落ち着く性分です」
平時ならばそれで良かったのでしょうが、ここに来てのんびりと書に向かう事を時代が許してくれませぬ。
そうではありませんか?」
と張耳が言う。
目の前の百姓は表情こそ変えなかったが、何となく張耳の言葉に満足しているような気配が伝わってきた。
「古来より賢人とは己を知る人の事を言います。
お二方が将でないとするならば今後はどのように秦に対するお積りか?」
先ほどはキレそうになった陳余も百姓から知的な言葉が出てきて目を見張る。
同時に、范陽はまだ秦の支配地域だ。
その使者が何故味方の様な物言いをするのか?
陳余が蒯通の意図を読めずにいると
「我々は陳勝王陛下の命により、秦に対抗するため別働隊として周辺地域の攻略を命ぜられました。
まずは趙を、趙を攻略した後は魏へ向かう予定です。
私と陳余は戦よりも政治の方が力が揮えるのですが、治めるべき国は自ら切り開いていかねばなりません。
こうなると我が身に将才がないことが恨めしくも思えます」
「さればです。
不肖、この蒯通がこの先戦をせずに趙を手に入れる方法を教えましょう。
范陽の知事は籠城の構えを見せておりますが、内心非常に迷っております。
そしてその性格は役人にありがちですが、小心で富貴を好み、ひどく貪欲です。
本心を言ってしまえば真っ先に降伏してしまいたい。
だが、降伏をしても秦は恨まれておりますから処刑されるかもしれない。
それが故に、范陽の知事は恐れているのです。
もしお二方が范陽を攻め落とした後に知事を殺すならば
周りの街の人々の抵抗は激しくなり、城壁を高くし堀をめぐらせ(金城湯池※)城を固守すること間違いありませぬ。
※金城湯池……金は「堅い守り」、湯は「煮えたぎり近づけない」の喩え
そうなれば敵を寄せ付けぬ強固な城となり、攻める事が難しくなります。
そこで、お二方においては王侯が乗るような立派な車を作り范陽知事を迎え、趙の各地を巡って大いに喧伝するのです。
さすれば知事を見た趙の人々は降伏をしても厚く遇されると安心してこぞってお二方の下へ参りましょう。
これぞ、武力を用いずして国を切り取る計略にございます」
二人は蒯通の言葉にすっかり感心してしまい、まさにその通りとその策を採用する事にした。
果たして、蒯通に『候』の印綬を持たせて范陽の知事に授けた所、すぐに評判となり周りの街、県は次々に降伏していった。その数三十を超えた。
蒯通の言葉通り、趙を戦わずして張耳、陳余が攻略できた。
無名だった蒯通の名前は広く知れ渡る事になる。
張耳と陳余は蒯通の弁舌とその知恵を高く評価し、厚遇で迎え入れようとしたが意外に固辞し、さっさと范陽、趙から出て行ってしまった。
蒯通はまだ天下の形勢は予断ならない、と見ていたのである。
(天下の乱れはこれから。諸侯争う時また俺の出番が来るだろう。
残念ながら張耳と陳余は天下を治める器ではない)
そして蒯通は風の様にふらっと旅立つのだった。
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趙を手中に収めた張耳と陳余だったが名目上には陳勝軍の所属である。
二人は陳勝の政権は長く持たないだろうと見ており、先の事を考えるならば自立を急ぐ必要があった。
そこで趙の長老達を招き、統治する上での意見を集めたがやはり、と言うべきか
張耳、陳余は趙の人ではないために直接治めるのは難しいだろうという事で、旧趙王族の生き残りを探し出し王位に就ける事になった。
幸い趙歇という人物が見つかったので、趙王に据えた。
名目上、傀儡とも言うがとにかく国としての体裁を表面上整えた張耳、陳余は陳勝に使者を遣わし趙を属国としての許可をもらおうとした。
事件はその時起こった。
章邯率いる秦軍が陳勝軍を破り、陳勝が討ち死にしてしまったのだ。
そして陳勝を降した章邯は次に趙へと攻め入る構えを見せたのである。
秦軍は二十万を号する大軍であり、国として出来たばかりの趙ではとても防ぎ切れるものではなかった。
そこで陳余は援軍を求めて趙を出た。
周りの国や独自で活動している反乱軍に助力を請うのだ。
この時の行動がずっと二人三脚でやってきた張耳と陳余の運命の別れ道となるのである。
趙に残った、趙王と張耳は首都邯鄲では不利だと判断し、要害である鉅鹿へ逃げ込んだ。
だが章邯はその鉅鹿に見向きもせず、邯鄲を占拠すると土木工事を始め、城壁を一切合切取り除いてしまった。
邯鄲は防御力を持たない人口が多いだけの街になってしまう。
そして章邯は邯鄲の工事が終わるとサッと秦の首都咸陽へ引き上げてしまった。
張耳と趙王は助かったのである。
だが、平和は長く続かなかった。
陳勝亡き後、楚の旗頭となり頭角を現した武信君こと項梁の勢いを恐れた悪臣宦官趙高により、再度章邯は出撃を命ぜられる。
章邯が選んだ戦場は楚ではなく趙付近を選んだ。
ここで章邯は縦横無尽に駆け巡りながら反秦軍を翻弄していく。
趙を攻める気配を見せながら楚を始め、斉やその他の反乱軍を次々と打ち破っていく。
そしてついに本命と言えるべき項梁が動く。
項梁の甥、項羽には章邯も手こずったが、兵を四つに分け別々の戦場に誘導し、項梁には油断を誘い、仕留めることができた。
項梁を破った後は趙へ取って返し再び趙王、張耳の篭る鉅鹿を取り囲む。
張耳は使いの者から項梁が破れ、死んだ事を聞いた。
だが、趙一国では章邯にまるで歯が立たない事は分かっていたし、項梁敗れても反秦の最大勢力は未だに楚なのだ。
楚や斉、周りの反乱軍、そして援軍を集めてくるといって張耳と別行動を取る事になった陳余が今は頼りである。
「陳余……、早く援軍を連れて来てくれ。このままでは趙は、お前と作ったこの国が滅んでしまう……。」
鉅鹿を取り囲む秦軍の多さに目が眩む思いをしながら張耳の言葉は黄河から吹いてくる風に掻き消えていった。




