羊飼いの少年 二
やっと投稿できました…。
韓信が夫人から言われて小さな絹の袋を開けると中から印綬が出てきた。
まさか、と思いながら印を裏返して彫られている印章を見ると、『楚国王璽』と描いてあった。
楚国王の印璽である。
さすがの韓信も驚いた。なぜこんなものがこんな所にという思いと、まさか自分の人生において国王の印璽などが登場するとは夢にも思っていなかったからだ。
しばし、状況に思考が追いついていない感覚を味わい、だがそれは一瞬の刹那だったようだ。
我に返るとすぐに夫人と少年の前で片膝をつき、体の前で両手を組んで頭を垂れた。
王に対する礼である。
あわてて桃花も韓信の後ろで両膝をつき、両手を膝の上において頭を下げる。
「これは落ち延びる時に王太子が渡してくれたものです。ご自身がこの印璽を使う事はありませんでしたが、きっと楚は再興するだろうと、これを持って逃げろとおっしゃって頂いて…。」
その時の事を思い出したのだろう。夫人は袖を目に当て少し涙した。
韓信も桃花も動けなかった。
少しの間、目頭を袖で抑えていた夫人は、顔を上げ韓信に問う。
「それで今後の事ですが……。」
韓信は頭を垂れたまま答える
「はい、お二方の足跡りを追っていたのはもう一名、私の上官にあたりますが、鐘離昧と申す者がおります。そのものが些事手配いたしますので、まずはお目通りをお願いいたしたく。その後お二方を彭城へと迎える車と使者を遣わします。その車に乗っていただき彭城へ向かい、彭城に着き次第、楚王へと就いていただきたく思います。」
鐘離昧は韓信から報告を聞いて大いに喜んだ。
そしてすぐ夫人と少年に目通りし、夫人に項梁より預かった資金を渡した。迎えが来るまでの生活資金と彭城へ向かう準備をしてもらうためである。
まさか、王とその生母に庶民の格好のまま待機してもらうわけにはいかない。長年住んでいた、傾いて今にも倒れそうなあばら家も出てもらい、しかるべき宿にでも泊まってもらう予定だ。
韓信と桃花は護衛として二人に就いてもらうことにした。
彭城へは鐘離昧が向かうことにする。
鐘離昧は韓信とごく簡単に打ち合わせを済ませると、すぐ馬に跨り居巣を発った。
□□□□□□□□
鐘離昧が居巣を出てから半月ほどで迎えの馬車が来た。報せを聞いた項梁はことのほか喜び、すぐに立派な四頭立ての御車と王を迎えるにあたり礼を失しないようにと文官を十名と護衛として二十人ほど寄こした。
まだ国としての体裁を整えられていない状況ではそれでも精一杯であろう。
項梁の喜びようが伝わってくるようである。
夫人と少年は元の貧しい姿からはすっかり変わり、派手ではないが明らかに上質な生地と質の高い作りをした立派な服を身に纏っている。
夫人は居巣には落ち延びてきた身であり、ずっと貧しい暮らしをしてきたため財産らしいものは何もなかった。
それで準備も早く終わり、村長や長老達にもあいさつは済ませてある。
予定通り韓信と鐘離昧はここで別れ、韓信は桃花を会稽へ送っていく。
鐘離昧は夫人と少年を守りながら彭城へ送り届ける。
これで任務は完了となる。
韓信は夫人と少年の一行が居巣を出立する前に会稽へ向かおうと二人にあいさつをするために会いに来た。
もう警備、その他は王に準ずる待遇になっていて宿泊している宿は丸ごと貸しきられ、入り口には二名の警備兵が立っていた。
門を守っている兵に名前と王にあいさつに来た事を伝えると、すぐに通された。
が、泊まっているであろう部屋の前にもまた兵が立っている。
まぁ、王を警護するには当然のことかもしれないと韓信は思いながらも、貴人の手順というものは面倒くさいものだと辟易した。
部屋の前の兵士が通してくれてもすぐに二人に会えなかった。
その前に文官が出てきたのである。
ここでも同じように名前と二人に先に発つのであいさつに来た事を告げ、やっと部屋に入ることができた。
部屋の中は田舎の宿なのでさほど広くはない。
夫人は椅子に座り、少年は寝床に腰掛けている。
韓信が顔を見せたことで夫人も少年も明らかにホッとした表情を作る。
韓信は少し苦笑いしながらも、二人の前に進み出て膝を折り両手を前で組み目の前の高さに持ってきて口上を述べる。
「臣韓信、竜顔に拝謁叶いまして恐悦至極の極みにございます。(意訳:あなた達の臣下、韓信に面会を許可いただきまして光栄に思っております。陛下におかれましては尊いお姿が~。)」
つまりちょっとした皮肉である。
今度は二人が苦笑いをする番である。
「韓信、おやめなさい。一番戸惑っているのは当の妾達なのです。」
「そうですよ。いきなりこの人たちに取り囲まれ四六時中見張られているなんて息が詰まります。それにまだ即位しておりません。」
少年王はまだまだ幼い表情を盛大に曇らせ、ため息と共にそんな事を言う。
「これはこれは。陛下、護衛のためには致し方なきことかと。それが王というものです。いや、まだ閣下の方がよろしいか?」
とはいうものの韓信も本気で言っているわけではない。
その証拠に少し口の端が笑っている。
村人達にも余所者、貧乏と笑われてきた親子が一晩経てば楚の王親子である。
環境の変化に戸惑ったのはこの親子だけではないだろう。
韓信は冗談はこれまでと、真面目な顔をして
「私と桃花は先に居巣を出立します。お二方にはあいさつに参りました。」
「そうですか…韓信にはお世話になりました。韓信が妾親子を見つけてくれなければ、未だにあの暮らしをしていたことでしょう。」
「いえ、全てはお二方の威徳と楚王家の社稷のお力でございましょう。臣などはそのお手伝いができただけでも光栄でございました。
彭城にて楚王となり遊ばされましては、臣はただの一兵卒でございますゆえ、最早お目通りも難しいかと。」
「そんな……!韓信よ、これからも側にいて妾達を助けてたもれ。」
「そのお言葉だけで充分でございます。これからは王、王太后様を助けるのは専門の職の者が行ないます。
臣は、戦場を駆け巡るのが仕事ですのでそれは叶いませぬ。常にお側に控える事は出来ませぬが、お呼び立ていただきますれば、参内はできますゆえ。」
その言葉を聞いて少し安心したようだった。少しでも付き合いが長い韓信に側にいて欲しいというのはわからなくもない。だが、これからは王として振舞わなければならない。
早く貴族や百官たちに慣れて欲しいのだ。
聡い親子なのですぐ慣れるだろうと韓信は二人の前を辞した。
そしてそのまま、桃花と二人会稽へと旅発つ。
彭城に戻ったらもう親子は王と王太后となっているであろう。
果たして、それは二人にとって幸せな事だったのかどうか。
いきなり歴史の表舞台に立たされた二人の事を思い、だがそれは今考える事ではない、と韓信は会稽へと急いだ。
気づくと30話も超え、徐々に盛り上がる場面が増えてくると思いますので楽しみです。
ただ、主役の活躍の場が(笑)
何か考えよう。
誤字脱字ありましたらご一報お願いします。
感想評価もよろしくお願いします。




